一条真也の人生の四季 『サンデー毎日』連載 58

映画はタイムマシンだ!

 12月1日は「映画の日」である。

 日本における映画の初公開は1896(明治29)年である。11月25日から29日にかけて、神戸の神戸倶楽部で映画が一般公開された。
 11月25日を記念日とする意見もあったが、半端なのでキリのいい12月1日が記念日とされたそうだ。
 ちなみに、神戸倶楽部で公開されたのは、スクリーンに映写される今日のタイプではなく、「キネトスコープ」であった。エジソンが発明した1人ずつ覗き込んで見るタイプだ。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書いたが、映画というメディアは、時間は超越するタイムマシンではないだろうか。
 映画の原点とされるD・W・グリフィス監督の「イントレランス」(1916年)を日本武道館で鑑賞したとき、徹底的にリアリズムを追求したセットと5000人もの大エキストラによって、あたかもわたしは実際に古代バビロン時代に撮影されたフイルムを見ている錯覚をおぼえた。
 そして、わたしはこの錯覚こそが映画の本質ではないかと思ったのだ。すぐれた映画において、観客はスクリーンの中の時代や国にワープし、映画のストーリーをシミュレーション体験する。これは過去でも未来でも関係ない。「イントレランス」以後の作品では、「風と共に去りぬ」(39年)は南北戦争時代のアメリカに、「ベン・ハー」(59年)は古代ローマに、そして「ブレードランナー」(82年)では2019年、「ターミネーター」(84年)では2029年の近未来都市に、わたしたちはタイム・トリップできるのである。
 子どもの頃、黒澤明監督の「羅生門」(50年)は平安時代に、溝口健二監督の「雨月物語」(53年)は戦国時代に撮影されたものだと思っていたし、19世紀初頭のウイーンを描いた「会議は踊る」(31年)など、完全に記録映画だと信じていた。
 映画という魔術によって、わたしは本物とシミュレーションの区別がつかない映像の迷宮に入っていく。