独言 全互協会員様へのメッセージ『互助会通信』連載 124

供養には意味がある

 『供養には意味がある』という本を産経新聞出版から刊行した。世界初の終活専門誌「ソナエ」に連載したコラムを集めた内容である。
 わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えている。供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要だ。
 僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないで下さい。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質であると考える。
 古代から、日本人は、人が死ぬとその霊は肉体から離れてあの世にいくと考えていた。そして、亡くなった人の冥福を祈る追善や供養を営々と続けてきたのである。盆には仏壇に精進料理を供え、お寺の迎え鐘を突いて精霊を迎え、精霊流しをして帰すといった先祖供養を行ってきた。
 日本人は、古来、先祖の霊によって守られることによって初めて幸福な生活を送ることができると考えていた。その先祖に対する感謝の気持ちが供養という形で表わされたものが「お盆」なのである。
 盆行事に代表される供養は、仏教の僧侶によって執り行われる。「葬式は、要らない」とか「葬式消滅」などと言った人がいた。その人の言説の効果もあったのか、「葬式仏教」と呼ばれる日本仏教への批判の論調が盛り上がったこともあったように思う。
 しかしながら、これまでずっと日本仏教は日本人、それも一般庶民の宗教的欲求を満たしてきたことを忘れてはならない。そして、その宗教的欲求とは、自身の「死後の安心」であり、先祖をはじめとした「死者の供養」に尽きるであろう。そう、「葬式仏教」とはグリーフケアの文化装置なのである。