「冠婚葬祭文化振興」
一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団の理事長を拝命した。
わたしは、冠婚葬祭業を単なる「サービス業」から「ケア業」への進化を提唱してきたが、さらには「文化産業」としてとらえる必要がある。
「日本文化」といえば、代表的なものに茶道がある。茶道といえば茶器が大切である。茶器とは、何よりも「かたち」そのもの。水や茶は「かたち」がなく不安定であり、それを容れるものが器だ。
水と茶は「こころ」と同じ。「こころ」も形がなくて不安定だ。だから、「かたち」としての器に容れる必要がある。
その「かたち」には「儀式」という別名が存在する。
茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化である。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定だ。だから、安定するための「かたち」、すなわち儀式が必要なのであろう。
現在の日本社会は「無縁社会」などと呼ばれているが、この世に無縁の人などいない。どんな人だって、必ず血縁や地縁がある。そして、多くの人は学校や職場や趣味などでその他にもさまざまな縁を得ていく。この世は、最初から多くの「縁」で満ちている。ただ、多くの人々はそれに気づかないだけなのである。
「縁」という目に見えないものを実体化して見えるようにするものこそ冠婚葬祭なのだ。
日本には、茶の湯・生け花・能・歌舞伎・相撲・武道といった、さまざまな伝統文化が存在する。そして、それらの伝統文化の根幹にはいずれも「儀式」というものが厳然として在る。つまり、儀式なくして文化はありえず、儀式は「文化の核」と言える。
わたしたちは、日本人の「こころ」を守る「かたち」という、文化の核を担っている。冠婚葬祭文化振興を天命とし、わたしは「いのち」をかける所存である。