独言 全互協会員様へのメッセージ『互助会通信』連載 136

父の銅像

 昨年他界した父の銅像が完成し、5月2日に除幕式を行った。作者は、高名な彫刻家である片山博詞先生である。
 日本文化の真髄は「こころ」を「かたち」にすることにあるが、銅像とはまさに「かたち」の文化そのものだ。
 「知の巨人」と呼ばれた故渡部昇一先生が監修された『日本の心は銅像にあった』(育鵬社)という本がある。同書で、渡部先生は銅像が持つ意味を説いている。
 銅像には、しぐさや向いている方向、建てられた場所など細部にわたり多くの人々の想いが込められているので、全ての日本人に大切なことを思い出させてくれるという。
 また銅像は、モデルとなった偉人の歴史的偉業の瞬間を切り取った物も少なくない。
 渡部先生は、「ぜひ、銅像を見た時には『なぜ?』と問いかけてみてください。その『なぜ?』という問いから、その偉人の様々なエピソードや後世への影響がわかると思います」と述べられている。
 じつは、わたしは三度の飯より銅像が好きである。正確には、銅像の真似をして写真を撮ることが好きだ。しかし、単なるおふざけではない。
 「銅像」は偉大なる先人たちの憑代であり、そのポーズには何かしらのメッセージが潜んでいる。その偉人と同じポーズをとることで、彼らの志を感じることが大事なのだ。これは先人に対する「礼」でもあり、その精神を学ばせていただいているのである。
 もともと「学ぶ(まなぶ)」が「真似ぶ(まねぶ)」から来ていることからもわかるように、銅像の真似をすることには深い意味があるのだが、父の銅像は胸像なので、ポーズというものがない。
 父の銅像の真似をすることはできないが、冠婚葬祭互助会を愛し、常に新しい分野に挑戦し続けていた父の生き方を真似したい。