独言 全互協会員様へのメッセージ『互助会通信』連載 121

国葬と葬儀映画

 9月27日、安倍元首相の国葬が日本武道館で行われた。参列者は1分間の黙祷を捧げたが、会場の外では「黙祷中止!」の声を上げ、鳴り物で音を出しながら抗議するグループの姿もあった。
 いろんな意見があってもいいとは思うが、弔意を表す黙祷や献花を邪魔するような行為があったことは非常に残念だった。彼らが日本人だとしたら、同じ日本人として情けなく感じる。これでは、花束を投げ捨てた政党党首と同じ非礼行為を働いたことになる。
 誰でも悲しみを表す権利は尊重されるべきであり、それを妨害したり、弾圧するような行為は絶対に許されない。
 死者を弔う行為は人類の存在基盤である。当然ながら、国葬も葬儀だが、「礼欲」という人間の本能の発露でもある葬儀は、政治・経済・哲学・芸術・宗教など、すべてを超越する。葬儀を否定できるイデオロギーなど存在しない。
 それにしても、ひとりの葬儀をめぐって、これほど世論が二分したことが今までにあっただろうか。家族葬や直葬など葬儀のあり方が問われている現在の日本で、国葬をめぐる論争が起こったことは、国民が「葬儀とは何か?」「死者を弔うことの意味は?」という本質的な問題について考える良い機会だった。
 国葬の3日後に公開された映画「アイ・アムまきもと」を観た。2013年のイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」を原作とした葬儀がテーマの映画である。
 とある市役所で、人知れず亡くなった人を埋葬する「おみおくり係」として働く牧本壮(阿部サダヲ)の物語だ。孤独死した老人の葬儀が最後の仕事となった牧本は、故人の身寄りを探すために友人や知人を訪ね歩く。葬儀という営みの意味と重要性がわかる名作であった。ぜひ、ご覧いただきたい。