独言 全互協会員様へのメッセージ『互助会通信』連載 135

寺院とセレモニーホール

 『仏と冠婚葬祭』(現代書林)という新刊が出た。芥川賞作家で臨済宗の現役僧侶でもある玄侑宗久先生とわたしの対談本で、「仏教と日本人」のサブタイトルがついている。
 「宗教と日本人」の対談シリーズも3冊目となった。前2冊のタイトルが『論語と冠婚葬祭』『古事記と冠婚葬祭』だったので、当初は『般若心経と冠婚葬祭』という書名を考えていたが、内容を俯瞰して『仏と冠婚葬祭』になった。
 玄侑先生との対談では、全国に林立し、日本人の葬祭文化に欠かせないセレモニーホールについても意見交換した。
 わたしは、セレモニーホールというものは、コミュニティホールへ進化する革新性を併せ持っていると考えている。
 かつての寺院は、葬儀が行われる舞台でありながらも、近隣住民のコミュニティセンター、カルチャーセンターという側面もあった。
 「セレモニーホールからコミュニティホールへ」というスローガンは、ある意味で寺院の本来の機能を蘇えらせる「お寺ルネッサンス」でもある。セレモニーホールが寺院の機能をさまざまな点で補完し、日本仏教という、世界でも優れたグリーフケア宗教の持続性に寄与したいものだ。
 玄侑先生は、寺院とセレモニーホールの関係について、「要はコミュニケーションを密にとって、共にグリーフケアに勤しむ仲間として歩む、ということでしょう。古来、神と仏が習合したように、お寺と葬祭業が習合するのも面白いかもしれませんね。実際、葬祭業の部分も併せて葬儀をしている寺もあります」と語られた。わたしは、現代日本の仏教界を代表する僧侶である玄侑宗久先生の発言に強く心を打たれた。
 これを学びに、セレモニーホールの方向性、さらには冠婚葬祭文化の未来について考えていきたい。