ケアと儀式の学びの言葉
3月11日、東日本大震災の発生から11年目を迎えた。その日、わたしは、東京の四谷にある上智大学で開かれた「実践宗教学研究科シンポジウム」に参加した。
ここでは、日本の宗教学をリードしてこられた島薗進先生、鎌田東二先生、伊藤高章先生の3人が上智大教授を退任されるにあたっての最終講義が行われた。島薗先生はわがグリーフケアの師であり、鎌田先生は魂の義兄弟であり、伊藤先生は全互協グリーフケアPTで発足させた「グリーフケア資格認定制度」の創設と運営にひとかたならぬご尽力をいただいている方だ。
トップバッターは伊藤先生で、「強者へのケアはあり得るか?」という問題提起をされた。それを聞いたわたしは「いま、世界中で最もケアが必要なのはプーチン大統領ではないか」と思った。また、「悲嘆とは失ったものの大きさの裏返しです。悲嘆を抱えないための唯一の方法は、誰も愛さないことです」との言葉が強く心に残った。
次に、島薗先生が「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などポジティブな人と人との関わりについての鍵概念は「ケア」と関わりがあると発言された。ならば、「ケア」はイエスや孔子やブッダの思想にも通じ、キリスト教や儒教や仏教の教えをも貫くわけだ。これはもう、人類の普遍思想である!
最後の鎌田先生は、最初に「ウクライナ、コロナ、東日本大震災をはじめとした自然災害で命を落とされたすべての方々のために」黙祷された。
鎌田先生の発言では、「リアルからいったん離れ、あえてフィクションの世界に身を投じる」ことが儀式の本質という言葉に感銘を受けた。そう、儀式は物語の世界なのである。
東日本大震災から11年目の「3・11」は、ケアと儀式について大いなる学びを得た日となった。