老害から老福へ
今年、わたしは60歳になった。還暦を迎え、年長者の仲間入りをしたわけである。
ここ数年は、コロナ禍のせいで誕生日を祝ってもらえなかった人も多いだろう。誕生日を祝うとは、「あなたがこの世に生まれたことは正しいですよ」と、その人の存在を全面的に肯定することである。人間関係を良くする最高の方法ではないだろうか。
わたしは人間尊重の精神である「礼」、それを形にした「作法」を重んじている。これまで多くの年長者の方々と出会い、学びを得てきた。その経験からも、この先の人生を豊かにするためには、「礼」や「作法」が必要であると痛感する。
一方で、世間では「老害」という言葉が使われている。人は老いるほど豊かになる「老福」をめざすべきというわたしの考え方とは相容れない。社会はもちろん、年長者自身も老いを前向きにとらえられなくなっているようだ。
世間・社会で迷惑なふるまいをする高齢者が「老害」と呼ばれる。残念ながら、往々にしてそう思われるような行為をする当事者には「自制すべきだ」という認識はない。自らの老いの現実を受け入れることができないことが、原因のひとつといえると思う。
つまり「老害」を起こしにくくするには、「老い」をポジティブに受け入れることで、老いの現実を受け入れやすくすることが重要である。
日本の神道は、「老い」を人が神に近づく状態ととらえる。その考えに基づいて長寿祝いを行なうこと、知り合いの葬儀にはなるべく参列すること。この2つが自然に「老い」と「死」を受け容れて、「老福」人生を実現する鍵となるのではないだろうか。
わたしは、年長者が穏やかに、かつ毅然と生きる道を示すべく、『年長者の作法』(主婦と生活社)という著書を上梓した。ご一読いただければ幸いである。