ラグビーのような社会へ
日本中が、ラグビーのワールドカップ(W杯)の話題で持ちきりだ。今後も11月2日まで熱い戦いが繰り広げられる。
開催前は「サッカーならいいけど、ラグビーのW杯ねぇ」と今一つ興味が湧かなかったわたしも、世界の強豪チーム同士の熱い闘いに、「ラグビーとは、これほど面白いスポーツだったのか!」と見方が一変した。
強豪ウェールズは北九州市で事前キャンプを行い、地元の子供たちがウェールズ聖歌を歌うなどして歓迎した。
この粋な演出による北九州市の「おもてなし」に、ウェールズの選手や関係者は深い感銘を受けたという。
9月28日には、日本は世界ランク2位(当時)のアイルランドから大金星を挙げた。ラグビーは番狂わせが起きにくいとされているが、日本は前回大会で南アフリカを破ったのに続き、再び優勝候補からの金星だ。
ラグビーという競技は、「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」という思想に支えられている。「一人は全員のために、全員は一人のために」と訳されることが多い。
由来は古代ゲルマン人の言い伝えなど諸説ある。19世紀半ばのアレクサンドル・デュマ著『三銃士』で、青年ダルタニアンと意気投合した三銃士が結束を誓う言葉として出てくるのが有名だ。同時期の空想的社会主義者、エティエンヌ・カベーのベストセラー『イカリア旅行記』の表紙にも登場するが、この言葉は、相互扶助の思想として社会にも影響を与えた。
ロシアのヒョードル・クロポトキンは一般にはアナキストとして知られているが、ロシアで革命家活動を終えたのち、亡命先のイギリスで1902年に『相互扶助論』を書いた。
クロポトキンによれば、きわめて長い進化の行程のあいだに、人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきたという。近所に火事があったとき、人々が手桶に水を汲んでその家に駈けつけるのは、隣人しかも見知らぬ人に対する愛からではない。愛よりは漠然としているが、しかしはるかに広い互助の本能が人間を動かすというのである。
「相互扶助」という考え方は、多くの人々が少額を出し合って万一に備える保険業や、わが社・サンレーのような冠婚葬祭互助会業の根本理念にもなっている。そもそも互助会の「互助」とは「相互扶助」を縮めたものなのである。
そして、わが社は「互助会から互助社会へ」をスローガンとしている。互助社会とは、共生社会であり、思いやり社会でもある。ラグビーチームのような社会が本当に実現したら、これ以上に素晴らしいことはない。