平成心学塾 法則篇 自分の法則を見つけよう #011

ニュートンからニューソートへ

「仁愛」という引力

ニュートンの数々の業績の中でも、「万有引力の法則」を発見したことは特筆すべき事件であり、その影響は科学以外の分野にまで及びました。すなわち、「万有引力の法則」を他分野に応用しようという動きがあったのです。経済学者の難波田晴夫は、著書『スミス・ヘーゲル・マルクス』に次のように書いています。

「ニュートンの物理学が当時の社会、とりわけ思想界にいかに大きな影響を与えたかは改めて説明するまでもないが、これによって物理的世界の秩序が解明された見事さに影響せられて、この引力の原理を応用することにより人間の世界(社会)の秩序を根拠づけようとするものがあらわれた」

たとえば、アダム・スミスがもっとも尊敬していた大学時代の恩師であるフランシス・ハチスンがそうでした。彼は、古代ギリシャの哲学における分類にならって、哲学を論理学・自然哲学・道徳哲学に区分した人物です。彼は、さらに古代ギリシャの理想に近づけるべく、道徳哲学を倫理学・自然法・経済学・政治学に分けました。そして、その倫理学における「仁愛」が物理的世界の「引力」に相当すると考えたのです。そして、その「仁愛」こそ、社会的秩序が保たれる根拠としたのです。

ハチスンによれば、「仁愛」は当然ながら「利己心」とはまったく違うもので、「利己心の仮装」などでもない。それは「引力」が物理的世界において普遍的であるように、人間社会のすべてに行き渡っている普遍的な力である。また、「引力」と同じように、「仁愛」も人と人とのあいだの距離的接近につれて強くなる。ハチスンは、この「仁愛」という一種の「引力」が社会的秩序の根拠であると主張したのです。

「仁愛」だなんて、まるで儒教の世界を連想してしまいます。そう、まさに儒教は「仁」や「礼」といったものを人間の心を動かす「法則」としてとらえた大いなる法則体系であったと、わたしは考えています。拙著『孔子とドラッカー』では、ドラッカーのマネジメントとの共通性をさぐりながら、儒教についてさまざまな角度から取り上げましたが、その本の帯には、「人間の心を動かす法則集」と書かれています。

それはさておき、ハチスンは「仁愛」を人間社会の「引力」とみなし、「道徳的感情」というものを最重視しました。これを受け継いだのが弟子のアダム・スミスで、彼は『道徳感情論』という本を書いています。近代経済学の生みの親として知られるスミスですが、経済学者になる以前は道徳哲学者だったのです。

わたしは『道徳感情論』を初めて読んだとき、まるで『論語』や『孟子』の西洋版であるという感想を持ちました。そこに人間としてのあるべき姿、理想の生き方が詳細に述べられているからです。

スミス自身は世界的ベストセラーになった『国富論』よりも、『道徳感情論』を重要視し、死の直前まで何度も改訂増補を加えたといいます。資本主義が発展していく中で人類の行く末を案じた彼は、人間の欲望が暴走しがちな社会を「仁愛」という「引力」によって秩序づけたかったのではないでしょうか。わたしには、そう思えます。

アメリカで起こった大覚醒運動

さて、舞台はイギリスから新大陸アメリカに移ります。ニュートンの「引力」がここでも興味深い変身を遂げるのです。ニュートンの学問人生はピューリタン革命と浅からぬ因縁がありましたが、改革を求めて受け入れられなかったピューリタンの分離派は「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれ、信仰の自由を求めて1620年にアメリカへ移住しました。これはプロテスタントの軸がヨーロッパ中北部から北米大陸へと、その重心を移すことになる記念すべき第一歩でもありました。

それ以降、プロテスタント各派はアメリカに活動拠点を移し、隆盛していきます。

分離派のロジャー・ウィリアムズは、北米最初のバプテスト教会を設立しました。クエーカー教会の指導者であるウィリアム・ペンは、自派の移民を率いてペンシルベニアに移住しています。ペンは他宗派にも寛大だったので、ルター派や長老派もペンシルベニアを拠点としました。彼らは厳格な倫理規律に基づいた社会の樹立をめざし、今日のアメリカの精神風土の基礎を築くことになったのです。

18世紀には、ボストンを中心に「大覚醒運動」と呼ばれる大規模な信仰復興運動が二人の宗教家によって起こっています。一人は、カルヴァン派系の会衆派の代表で、アメリカの精神的統一をもたらした最高の神学者と言われるジョナサン・エドワーズ。もう一人は、英国メソジスト教会の説教家ジョージ・ホイットフィールドです。この運動は、大衆を前にイエスの救いと神の審判を交えた熱狂的な説教によって信仰心を鼓舞させる大伝道集会が基本でした。

この大覚醒運動に真っ向から反対を唱えたのが、ユニテリアン教会でした。ユニテリアン教会は三位一体説を否定するなど合理主義的かつ啓蒙主義的なグループであり、会衆派などを自由を束縛する保守反動的な宗派と見なしていたのです。ブッシュネルのように、カルヴァン派系の教会とユニテリアンを調和せようとした自由主義神学者もいました。信仰覚醒運動はその後も繰り返し行なわれ、アメリカのプロテスタント運動の特色の一つとなって今日に及んでいます。

巨大霊能力者・スウェデンボルグ

この流れの中から、19世紀に多くの新しい宗教運動が生まれました。日本にもなじみのある「ものみの塔」や「エホバの証人」もその一つですが、その中に「ニューソート」と呼ばれるものがあります。「新思想」といった意味ですね。

フェニアス・パークハースト・クインビーという人物が、「病気は心に思うことから生じる」と唱え、一種のカウンセリングを始めました。この流れを汲む精神療法がニューソートの始まりとされています。しかし、その源流はエマニュエル・スウェデンボルグでした。

スウェデンボルグは、17世紀のスウェーデンに生まれた巨大な霊能力の持ち主として有名な人物です。科学者としても超一流でありながら、人生の後半以降のすべてを心霊研究に捧げ、他に例のない独自の哲学、人間観、宗教思想をつくりあげた神秘主義思想家です。

彼は、いながらにして外国のことが見えたり、死者と話をして死者だけが知りうる秘密を語る人、いわば「スピリチュアルの巨人」として当時のヨーロッパ全土を震撼(しんかん)させ、同時代の偉大な哲学者であるカントに『霊視者の夢』という評伝を書かせたほどでした。

このスウェデンボルグこそ、ニューソートの大きな源流となっていますが、さらにニューソートは、はるかキリスト教が発生した時代にまでもさかのぼることができるといいます。

すなわち、ニューソートの思想とは、「人間の意識と生命は宇宙と直結している」「あらゆる病の本質は自己の意識に対する無知が原因である」「全人類に成長と発展と幸福の機会が与えられている」「人間は内なる神の一部を顕現すべく無限の発展を遂げつつある」などに代表されるでしょう。

つらく苦しい場面にどうするか

人生にはつらく苦しい場面が多々あります。

しかし、つねに何事も肯定的にとらえて、自らの意志で積極的に苦難を乗り越えていこうとする態度が求められます。もともと、こうした考え方は伝統的なキリスト教のものでしたが、時代を経て、宗教改革が起こり、イギリスのピューリタンたちが新大陸であるアメリカにやってきて、その考え方をニューソートが提唱したのでした。ニューソートについての基本資料であるマーチン・A・ラーソン著『ニューソート~その系譜と現代的意義』(日本教文社)の訳者の一人である哲学者の高橋和夫氏は、「訳者あとがき」で次のように述べます。

「こうした倫理が宗教と結びつくと、宇宙の調和と美、神の愛、人間本性に宿る神的なものの自覚と人間への善性への信頼などを強調する、肯定的で力強い宗教思想が形成される。これがニューソートの考え方の根幹である」

しかし、ニューソートは肯定的なものだけに目を向けて、人間の暗黒面を意図的に見ないわけではありません。すなわち、罪悪・病気・貧困が存在しないと考えているわけではないのです。それでは、こうした人間の負の側面に対してニューソートはどう対処するのでしょうか。高橋氏は述べます。

「これはいわば意志と信仰(信念)の領域の問題である。宇宙の根源的な秩序や調和を肯定的に信じ、苦難のうちにあってもなお積極的にそれを超克しようと意志する者はついに平安、幸福、健康、成功といった望ましい状態をこの世の生においてかちえるであろう、という実践的な哲学こそ、ニューソートの眼目である」

ニューソートは数多くの著名人によって認められ、支えられてきました。その代表格が哲学者のラルフ・ウォルドー・エマソンです。

エマソンは、スウェデンボルグと並んで、ニューソートの思想的基盤となった人物でした。1803年にボストンで生まれ、ハーヴァード大学を卒業したエマソンは、教師をした後、一時、ユニテリアン教会の牧師を務めます。しかし、聖餐の儀式について疑問を持ち、良心的な解決として辞職します。ヨーロッパに外遊したエマソンは、カーライルなどイギリスの文人たちと親交を結び、帰国後はコンコードに定住し、文筆や講演によって自らの思想を広めました。

エマソンの思想とは、ピューリタンの独断と頑迷を否定し、各人が自由また、明朗な個性を伸ばすことの重要性を唱えました。また、皮相的な物質主義や合理主義を排して直観を重んじる「超絶主義者」と呼ばれる一団の中心人物となりました。このグループには、『森の生活』の著者として知られるヘンリー・デヴィッド・ソローもいました。ソローは、エマソンを深く敬愛していたといいます。エマソンは「コンコードの哲人」の異名を持ち、一八八二年に亡くなるまで、アメリカを代表する哲学者として多くの人々に影響を与えました。

ニューソートの擁護者としては、エマソンの他にも、父のほうのヘンリー・ジェイムズ、サミュエル・テイラー・コールリッジ、ブラウニング夫妻などが有名です。彼らはいずれもスウェデンボルグ主義者でした。

クインビーの弟子であったメリー・ベイカー・エディは、1867年に「神のつくったすべては善であり、罪や病気や死は存在しない」と唱えて、「クリスチャン・サイエンス」という宗教団体を設立しました。

ポジティブ・シンキングとニューエージ

ニューソートは、多くの自己啓発や成功哲学に関する本に影響を与えています。たとえば、「ポジティブ・シンキング」という考え方を初めて示したノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』、マクスウェル・マルツの『自分を動かす』、ジョゼフ・マーフィーの『眠りながら成功する』、デール・カーネギーの『道は開ける』、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』などです。

いずれもわが国の読書界でも大きな話題となった大ベストセラーばかりですね。そして、もうおわかりのように、例の「引き寄せの法則」についてのさまざまな本も、すべてこのニューソートの影響下に書かれています。そして、そのほとんどの本にニューソートの思想的基盤となったエマソンの言葉が引用されています。

ニューソートは第二次世界大戦後、「ポジティブ・シンキング」の名で全米で流行しました。競争社会であるアメリカのビジネスマンたちに多大な影響を与え、後のニューエージ思想が生まれてくる土壌をつくりました。

日本では、1930年に生まれた新宗教「生長の家」がニューソートの影響を受けています。創始者であった谷口雅春がニューソートを「光明思想」と訳して、その普及に努めました。谷口雅春は、どうやらニューソートがあらゆる宗教の根底をなすととらえていたようです。

「引き寄せの法則」という錬金術

さて、わたしは「引き寄せの法則」というコンセプト自体にニュートンの「万有引力の法則」のイメージが明らかに投影されていると思います。「万有引力の法則」こそは、宇宙のすべてに適用され、科学革命を完成させた人類史上最大の「法則」でした。同様に、ニューソートの影響を受けた人々は、宇宙のすべてに通用し、意識革命を完成させる成功法則を入手したかったはずです。そこに「引力」の「引く」という運動が、富や成功や健康や幸福を「引き寄せる」という行為のアナロジーとなったことは想像に難くありません。

すなわち、「引力」とは物理的世界における引く力であり、「引き寄せ」とは精神的世界における引く力なのです!

そして、そこには「引力」および「引き寄せ」のシンボルとしての磁石の存在がありました。古代ギリシャでは、鉄を引き寄せる石としての磁石はすでに知られており、プラトンも『イオン』という著書で言及しています。また、ローマ帝国の博物学者プリニウスも、かの『博物誌』に磁石のことを記しています。

しかし、磁石に近代的な科学の光を当てたのはウィリアム・ギルバートというイギリスの物理学者でした。もともとは医師であり、1600年にエリザベス一世の侍医に任命されています。

ギルバートは医師としての仕事のかたわら、約20年間にわたって磁石の研究を行ないました。そして彼は、地球が巨大な磁石であること、それが方位磁針が北をさす原因であること、さらには鉄が磁石によって磁化されることなどを実験によって示しました。その成果を集大成した磁石についての大著『磁石および磁性体ならびに大磁石としての地球の生理』をやはり1600年に出版しています。

魔法のように鉄を引き寄せる磁石。ギルバートの死から約40年後のイギリスに生まれたニュートンが、この磁石に大きな関心を抱いたことは容易に想像できます。ましてや物理学者としてのギルバートは、コペルニクスの地動説を早くから受け入れ、惑星の公転や自転は磁気的な引力によるものだと考えていたのです。おそらく、ニュートンが「万有引力の法則」を発見した背景には、ギルバートによって明らかになった磁石のイメージがあったのではないでしょうか。

そして、「引き寄せの法則」は、まさに人間の心を磁石そのものに見立てて、鉄としての「思考」や「願望」を引き寄せるイメージを膨らませたのでした。実際、「引き寄せの法則」を説いた本には、磁石のアナロジーがいたるところに出てきます。本当は磁石とは同じ極同士は引き合わず逆に反発しますので、同じ思考が引き合うというアナロジーは間違っているのですが。

アナロジーの問題だけではありません。ニュートンは錬金術師でもありましたが、「引き寄せの法則」の本質は錬金術に他ならないのです。錬金術とは、金などの貴金属を人工的に生み出す営みですが、作家の澤井繁男氏は、著書『錬金術~宇宙論的生の哲学』で次のように述べています。

「土台、金が人工で得られるはずはなかったが、術師たちは目一杯の努力をした。そのあてどもない努力がやがて祈りのような精神性を帯びるようになる。そしてけっして金には至らない卑金属の変成に、術師の想いが映し出される。その想いが精神性へと高まり、物質のうちにそうした想念が存在することを経験するや、金へと導かんとする物質の変成が、精神や魂や心といった術師の内面の向上を促す修養と対応の関係となる」

ここに、錬金術は精神や魂や心を練る修養としての「錬心術」となるのです。もともと「錬」には金属をねり上げる意味と、心をみがく意味がありました。そして、錬金術と錬心術の二つを合わせたものは「練成術」と呼ばれたそうです。この練成術について、澤井氏は述べます。

「練成術のアナロジーを社会体制に向けると、ユートピアという言葉が浮かび上がってくる。苦熱しか感じない社会から幸福の光に満ちた社会へと移行していくその経緯が練成的であり、その果ての金の社会がユートピアである」

澤井氏はまた、ある人物が語った「合理的で自然で正しい制度が与えられれば、人間の運命は実際計り知れないほど改善できる、という信念」にユートピア建設の原理は基づいているといいます。そして、その言葉を語った人物こそは、R・L・エマソン。つまり、ニューソートを理論的に支えた哲学者でした。

考えてみれば、ニューソート自体が練成術的といえます。人生を肯定しつつ心をみがくという点で錬心術的であるし、幸福や健康を願うという点では錬金術的でもあります。さらにニューソートから生まれた「引き寄せの法則」とは、練成術の錬金術的な部分が強化されているといえないでしょうか。「引き寄せの法則」の最大の特徴は富を肯定し、金持ちになりたいと願うことを奨励することです。これは母体であるニューソートにはあまり見られない特徴です。エマソンは、何よりも物質主義や拝金主義を否定した人物でした。

錬金術も「引き寄せの法則」も、ともに「一攫千金」を目標とする営みである点で共通しています。ニューソートは練成術ですが、「引き寄せの法則」は錬金術そのものなのです。その意味で、世界的ベストセラーとなった『ザ・シークレット』とは、かつて、パラケルススとかニコラ・フラメルとかフルカネリとかいった魔道の人々が著わした、金を創造する「秘密」について書かれた錬金術の書なのです。

やっぱり、人間って面白いですね。