平成心学塾 法則篇 自分の法則を見つけよう #008

月と占星術と錬金術

哲学・芸術・宗教とは何か

哲学・芸術・宗教についてお話しましたが、その誕生に「分離の不安」および「死の不安」が深く関わっていることがおわかりいただけたことと思います。さらに「法則」との関係について見ていきましょう。

わたしは、『ハートフル・ソサエティ』に「哲学・芸術・宗教の時代」という一章を設けましたが、その最後には「21世紀は宗遊の時代である」という一文を記しました。つまり、哲学・芸術・宗教を包括する言葉として、わたしの造語である「宗遊」を提示したのです。そして、それは「葬儀」というものの別名でもあります。ご説明しましょう。

宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものですね。その「もとのもと」を具体的な言語とし、継承して人々に伝えることが「教え」なのです。

だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが儀礼であり、広い意味での「遊び」なのですね。「遊び」についての不朽の名著『ホモ・ルーデンス』を書いたホイジンガは、「遊びは文化よりも古い」と述べました。わたしは『ロマンティック・デス』という本で「葬儀は遊びよりも古い」と記しました。

実際、世界的に見ても相撲・競馬・オリンピックなどの来歴の古い「遊び」の起源はいずれも葬儀と深い関係があります。古代の日本では、天皇の葬儀にたずさわる人々を「遊部(あそびべ)」と呼んでいました。葬儀と「遊び」とのつながりをこれほど明らかにする言葉はないでしょう。

そもそも「遊び」とは何かというと、「心を自由にすること」ではないでしょうか。わたしは、哲学・芸術・宗教の究極の目的もそこにあると思います。哲学そのものの道を開いたソクラテスやプラトンは「哲学は死の予行演習」と説きました。

世界中の名画は天国や極楽を描き、それらのモデルを実際に創造する営みとして建築が重んじられました。彫刻や音楽の最大のテーマも「死」でした。

史上もっとも墓石を彫刻した人物がミケランジェロであり、もっとも葬式音楽を作曲した人物がバッハであったという事実を知れば、芸術と「死」の分かちがたい結びつきがよくわかるでしょう。

宗教にいたっては「死」との関係は語るまでもありませんね。宗教とは、つまるところ「死と死後の説明者」なのですから。

すなわち、哲学・芸術・宗教とはいずれも、人間を肉体という牢獄から解放して精神を自由にする営みなのです。その目的とは、心を自由にすることなのです。だから、「遊び」の本質とまったく同じであり、葬儀というものにつながってくるのです。

「人類の文化は墓場からはじまった」という説があります。すでに六万年以上も昔、旧人に属するネアンデルタール人たちは、近親者の遺体を特定の場所に葬り、ときにはそこに花を捧げていました。

死者を特定の場所に葬るという行為は、その死を何らかの意味で記念することに他なりません。しかもそれは本質的に「個人の死」に関わります。すなわち、ネアンデルタール人が最初に死者に花をたむけた瞬間、「死そのものの意味」と「個人」という人類にとって最重要な二つの価値が生み出されたのです。

月を見るもの

ネアンデルタール人たちに何が起きたのでしょうか。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』のヒトザルたちが遭遇したモノリスのようなものが目の前に現れたのでしょうか。何が起こったにせよ、そうした行動を彼らに実現させた想念こそ、原初の宗教を誕生に導いた原動力だったのです。このことを別の言葉で表現するなら、人類は埋葬という行為によって、文化を生み、人間性を発見したのです。

そして、わたしは、そこに月があったと思っています。最近、「ネアンデルタール」というフランス語の語源となった言葉が「月を見るもの」という意味であったと知り、大きな衝撃を受けました。それとともに、人類が文化をスタートさせた原因となった存在こそ月であるという思いを改めて強くしたのです。

現在ではネアンデルタール人は、わたしたちの直接の祖先ではないとされていますが、まだまだ謎は多く残されています。わたしは、DNAのバトンタッチがなかったとしても、わたしたちの心にネアンデルタール人たちの心が流れていると信じています。そして、ネアンデルタール人たちが月を見たように、わたしたちの祖先である古代人たちも月を見上げました。

世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。

多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だといえるでしょう。

人類において普遍的な信仰といえば、なんといっても、太陽信仰と月信仰の二つです。太陽は、いつも丸い。永遠に同じ丸いものです。それに対して月も丸いけれども、満ちて欠けます。この満ち欠け、時間の経過とともに変わる月というものは、人間の魂のシンボルとされました。

つまり、絶対に変わらない神の世界の生命が太陽をシンボルとすれば、人間の生命は月をシンボルとします。「こころ」という言葉の語源は「ころころ」だという説がありますが、人の心はころころと変化変転します。人の生死はサイクル状に繰り返します。死んで、またよみがえってという、死と再生を繰り返す人間の生命のイメージに月はぴったりなのです。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星です。また、潮の干満によって人が誕生したり死亡したりすることからもわかるように、月は人間の生死をコントロールしているという事実があります。

法則が生まれた秘密

ここに、「法則」が生まれた秘密があるのではないかと、わたしは思います。

古代人たちは、満ち欠けする月、生まれては死に、また死んでは生まれる月を見上げて、その周期性から「法則」というアイデアを思いついたのではないでしょうか。

最近、日本を代表する占星術研究家の鏡リュウジさんにその考えをぶつけたところ、鏡さんもまったく同意見でした。

太陽は直視できませんが、月ならじっと眺めて思いをめぐらせることができます。その「思い」から「法則」が生まれたのでしょう。そして、夜空の主役はその大きさからいっても月ですが、その他にも無数の星たちが輝いています。そこから星座がつくられ、占星術というものが誕生しました。

占星術は、古代オリエントに始まったとされています。しかし、バビロニアの滅亡とともにギリシャにもたらされ、プトレマイオスによってホロスコープ占星術として体系化されました。以後、ヨーロッパにも広まっていったのです。

紀元前1000年頃に現れたとされる最初の占星術は、「天変占星術」というものでした。人々が驚き、不安を抱くような変事が天に現れたとします。それを地上に災厄をもたらす前兆ととらえて、来るべき災厄を占うのが天変占星術です。この、天に現れる現象の地上への影響を研究する学問を中国では「天文」と呼び、日本にも輸入されて、江戸時代まで続いていました。この「天文」こそ、天変占星術のことなのです。

それに対して、今日の日本でもおなじみになっている個人の運勢や宿命を占う占星術のことを「宿命占星術」と呼びます。

天変占星術の原理は、「天地相関主義」と「経験主義」から成り立っています。

天に日食のような変事が起こったとき、地上で天子が死んだとします。すると、天と地のあいだに関連性があるという天地相関主義の原理に基づいて、その両者は結びつけられます。そして、次に日食が起こった場合、地上ではまたもや天子が死ぬのではないかと解釈するわけです。漢の武帝が逝去したとき、「298年正月と10月の朔(さく)に日食が起こった。翌290年4月、武帝は崩御した」と記録に残されています。

天と地の出来事に規則性を見つける

天変と地上の変事のデータをできるだけ多く記録する。その両者のあいだに相関関係の規則性を見つける。これが天変占星術であり、そこでは過去の経験を重んじるという経験主義が原理として支えているわけです。当然ながら、これは「法則」とはいえません。確率的問題にすぎません。科学史家の中山茂氏は、著書『西洋占星術』に次のように書いています。

「天変と地変は、自然科学の法則のように必然的な因果律によって結びついているのではない。また、もし必然の法則でしばられているとしたら、予測しても意味がない。日食があったら王様が死ぬ、それが必ずそうなって免れることのできない運命なら、放っておくよりしようがない」

また天変と地上の災厄のあいだには時間差があるため、そこに予報性と予防性が入り込むことができます。天変を認めて、それが地上に対する何らかのメッセージと考えて、その意味を読み取る。そして、来るべき災厄に備える。天変占星術には、現代の天気予報と同じ原理による実用的価値があったわけです。それゆえ、気象予報士ならぬ占星術師たちが登場しました。彼らは、天の現象や地の現象という本来は純粋経験的なものに各自の価値観を加えて、さまざまな占いを行ないました。

「天子」という言葉のとおり、専制君主は天の独占を図ります。古代において、天変占星術は専制君主たちの最大の関心事であり、そのまま天下国家に直接関わるものだったのです。このため、古代では占星術のほうが、法則を求める科学的な天文学よりも地位が高かったといいます。中山氏は述べます。

「法則とは退屈でつまらないものである。少なくとも専門の科学者以外には、そう考えられているだろう。太陽は毎朝東からのぼる。これは規則正しい法則である。しかし、それはまことに当たり前で陳腐なことがらで、日の出の時刻を正確に予測しようという専門家以外は、誰もとくに興味を示さない」

一方、もし太陽が西からのぼったとしたら、それは天変占星術では最大級の事件です。だから古代人は、法則の舞台としてよりも、事件の舞台として、天を見ていたことになります。法則性を探求する科学者の目ではなく、事件を期待するジャーナリストの感覚といってもよいでしょう。

天変占星術には、数学的な要素はなく、精密科学としての天文学とはまったく無縁でした。しかし同じバビロニアで、天文学が成立してからは、天文学に基礎を置く数学的な占星術が発達してきました。これが宿命占星術です。君主のために国家の命運を占う天変占星術とは違い、宿命占星術はあくまで個人の運勢を占いました。個人ゆえに、王でも家来でも占う原理は同じであり、その意味では民主的な占いでした。そしてその原理とは、生誕時あるいは受胎時の、太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星の七つの天体の位置や配置によるものでした。

生誕時の惑星の位置を示す天体図のことを「ホロスコープ」といいますが、このホロスコープはバビロニアの宿命占星術がギリシャ、ローマに入ってきて完成されたものです。現在、日本でも人気のある西洋占星術とは、このホロスコープ占星術のことなのです。

錬金術に凝っていたニュートン

占星術と並んで、「法則」と関わりの深い古代の知恵が錬金術です。

一般に錬金術は、卑金属を分解して再統合し、金や銀などの貴金属への変成を試みた擬似科学ととらえられているようです。古代エジプトに起こり、アラビアを経て、中世ヨーロッパで一大興隆を見ました。しかし、新大陸の発見後は、金の産出という物質的側面のメリットは次第にこれらの産地にとって代わられ、錬金術は精神的・象徴的学問としての色合いを濃くしていきます。そして近世ヨーロッパにおいては、魂の浄化や人間の再生を精神的に説く教えとして復活したとされています。

錬金術には、三つの起源があるとされています。

第一は、エジプトやバビロニアの冶金術。鉱石から金、銅、鉄などの金属を精錬する技術的側面です。

第二は、ギリシャの自然哲学。物質が火、空気、水、土の四元素、つまり「四大」から成り、それらの乾、湿、暖、冷という四つの「質」の組み合わせによって、さまざまな物質が形成されているという哲学的側面です。

そして第三は、ヘルメス主義。ヘルメスとは、エジプトの神であるトトのギリシャ名ですが、事物は秩序のもとに連鎖しており、万物には親和力が働いて物質は相互転換される。それによって、対立物は統一されるという宗教的側面です。

さて、ニュートンといえば数々の法則を発見した「法則王」であり、「科学革命の完成者」としても知られていますが、彼が錬金術にも熱中していたことは有名です。彼の時代においては、物質を構成する基本単位は互いに移りかわることが可能であると考えられていました。

「賢者の石」という言葉を聞いたことがあると思います。最近ではハリー・ポッター・シリーズのおかげで、よく知られるようになってきました。錬金術師たちは、鉄や亜鉛などの卑金属に薬品を加えたり、加熱したり鍛えたりすれば、最後には金に変えうる「賢者の石」が得られると信じていました。

19世紀に入ると、ようやく物質の基本単位が原子であり、原子そのものは通常の化学的手法では改変できないことが知られるようになりました。そして、錬金術は廃(すた)れていったわけです。しかし、錬金術は思わぬ副産物も生みました。物理学者の池内了氏が、著書『物理学と神』に次のように書いています。

「永久機関が成功しない理由を考える中で物理学の基本法則が発見されたのと同様に、数多くの錬金術の試みの失敗の中で物質間の反応における経験的な法則性が蓄積され、やがて原子論を基盤とする化学(ケミストリー)という分野が開発された。その意味では、一攫千金(いっかくせんきん)の夢を求めての神への接近の努力が、かえって神の不在を明らかにし、現実主義者たる科学者という悪魔を生み出すことになってしまった、と言えるだろう」

宇宙の法則は、人間界にも通用するか?

「法則」とも深い関わりのあった占星術や錬金術ですが、その両者は密接に結びついていました。古代に知られていた七つの惑星と主要な七つの金属が対応関係にあったのです。すなわち、次のごとくです。

太陽:::金
月::::銀
火星:::鉄
水星:::水銀
木星:::錫
金星:::銅
土星:::鉛

このように占星術と錬金術は、ともに壮大なシンボルの体系でした。シンボルの体系とは、「神秘主義」とも呼ばれます。神秘主義とは何でしょうか。すべての神秘主義に共通する根本思想とは、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)、すなわち人間が対応しており、かつ両者間の要素とエネルギーは同じであるという認識です。それゆえ、神と人間とは一体となることができるのです。

このマクロコスモスとミクロコスモスとの対応は、西洋のみならず東洋でも広く見られました。「気」の思想もそうです。

「気」とは何かを知るうえで、宇宙と人間との関わりから考えてみましょう。大宇宙すなわち自然の中に生命を与えられた小宇宙、それが人間です。東洋医学では自然と人間との関係を示すのに五行説を用います。一年の春夏秋冬を四季と呼びますが、夏と秋のあいだに土用が入って、季節は五季。人間の身体には肝、心、脾、肺、腎があって、これを五臓と呼びます。また、目、舌、口、鼻、耳から感じる感覚を五感と呼び、味についても五味という表現があり、自然と人間との関わりで「5」が重要なキー・ナンバーになっています。

さらに、1年は12カ月、人間の体内に走っている経路は12脈、1年は365日、ツボと呼ばれる体内の経穴は365カ所、大動脈は12脈、静脈は365脈、大きな関節は12、小関節は365といったふうに、宇宙と人間はミステリアスなまでに対応しているのです。

マクロコスモスとミクロコスモスの対応という思想は、「法則」を考える上でも非常に重要です。なぜなら、宇宙における法則が人間界においても作用するという考え方は多くの人生法則や成功法則を生み出してきましたが、その根本となる思想こそ、大宇宙と小宇宙との対応だからです。

月を見上げて「法則」という考え方そのものを発見した人間は、その後、占星術と錬金術を生み出します。古代に生まれた両者は、魔術的要素を嫌うキリスト教の興隆とあいまって衰退していきますが、突如として息を吹き返します。大いなる神秘主義復活の時代は、後世の人々から「ルネサンス」と呼ばれました。