マーフィーからマーフィーまで
よいことを引きつける磁場
前の章では、「引き寄せの法則」についてお話ししました。この法則は多くの成功哲学を生み出しました。よく名前が出てくるナポレオン・ヒルやデール・カーネギーが代表ですが、「眠りながら巨富を得る」で有名なジョゼフ・マーフィーの唱える成功法則も明らかに「引き寄せの法則」の影響を受けています。
『マーフィー100の成功法則』(大島淳一著、三笠書房)には、「マーフィーの法則」の要点が次のように書かれています。
「いいことを考え、よいことが起こると期待している心には、よいことを引きつける一種の磁場(マグネティック・フィールド)が働きます。よいことを期待している気分でいると、潜在意識は必ずよいことに連なるチャンスだけをつかまえるようにあなたを導いてくれるのです」
これは「引き寄せの法則」以外の何物でもないでしょう。人間はどんな生き方をするかを選ぶことができると説く。よりよい「わたし」、より幸福な「わたし」を選ぶ原理と方法を明らかにしてくれるものこそマーフィーの法則なのです。
『マーフィー100の成功法則』には、その他にも、「 “置き換え” の法則で『なりたい自分』になる!」「〝自分に不利なこと〟は口にしない、想像しない!」「昇給・昇進にも『作用・反作用の法則』を生かせ!」などなど、「引き寄せの法則」でおなじみの諸法則が次々に登場します。
著者の大島淳一氏とは、じつは渡部昇一氏の別名です。大ベストセラー『知的生活の方法』を書いた英語学者であり、現代の賢人としても知られる人ですね。渡部氏がマーフィーを知るようになったのはロンドン留学の時代、二五、六歳の頃だったそうです。ふと通りかかった書店で、『マーフィー あなたも金持ちになれる』(和田次郎訳、三笠書房知的生きかた文庫)の原本を手に取ってみたとのこと。一、二ページをパラパラと立ち読みしたら、ピーンと心に触れるものがあり、早速購入して一気に読了、非常に感激したそうです。
渡部氏は帰国したら早速、日本語に訳してやろうと考えましたが、難しい問題がありました。それは、日本に戻れば駆け出し講師としての立場であったため、先輩たちを差し置いて人生訓のような本を出すことは気がひけたというのです。それで、本名の渡部昇一ではなく、大島淳一のペンネームで産能短大出版部から出版される運びとなりました。このようにしてマーフィーは日本の読書界にデビューしたわけです。
富を無視すると、しっぺ返しをくらう
マーフィーの法則の特徴は、「あなたも金持ちになれる」とか「眠りながら巨富を得る」といったタイトルからもわかるように、「富」というものを全面的に肯定しているところです。もっとも、その傾向は「引き寄せの法則」すべてに当てはまることでもありますが、マーフィーの場合はとくにその色合いが強いのです。『マーフィー 眠りながら巨富を得る』(大島淳一訳、三笠書房・知的生きかた文庫)の「訳者のことば」の最初には、次のようなマーフィーの言葉が紹介されています。
「富はよきものです。これを無視したりしてはいけません。そんなことをすると、手痛いしっぺ返しをくらうことになりかねません」
訳者の大島氏(渡部氏)は、このマーフィーの考え方は本物であるといいます。どんな哲学や思想も、高遠なことを述べる自分と、明日の食事の代金を心配している自分とが同じ人間であることを認めて、その上に成り立つものでなければならないというのです。そうでなければ、偽善的、空論的といわれても仕方ありません。大島氏は、「人生の究極の大問題と、お金もうけといった日常卑俗なこととを、マーフィー理論ほど、うまく結びつけたものはありません」と書いています。
この「富」に異様なほどの情熱を燃やすマーフィーには、先達(せんだつ)がいました。第二講でも紹介しましたが、『ザ・シークレット』にも登場するウォレス・ワトルズです。彼は、アメリカのキリスト教社会主義者でした。ほぼ一世紀もの間にわたって読み継がれてきたワトルズの『富を「引き寄せる」科学的法則』の第一章は、「お金持ちになる権利」とされ、その冒頭にはこう書かれています。
「貧しいことはいいことだ、などとどんなに言われていようと、そもそもお金がないことには、満ち足りた人生や、成功した人生を送ることはできません。もし十分にお金がなかったら、もって生まれた才能や精神的な素質を最大限に発揮することはできません。魂を開花させ、才能を伸ばすためにはいろいろなものが必要です。もし、お金がなければ、こうした必要なものを手に入れることができません」
ワトルズによれば、人が心と魂と体を成長させるためには多くのものが必要で、それを手に入れるためにはお金が必要だというふうに社会はできているというのです。だから、ワトルズは、「すべての人類が進歩するための基礎となるものは、お金持ちになる科学なのです」と言い切ります。
お金持ちになるための科学
お金持ちとは何か。それは、思いどおりの生活を送り、欲しいものをすべて手にしている人です。お金が潤沢になければ、欲しいものすべてを手に入れることはできません。
人はだれでも自分の能力の許す限り、自分のなりたいものになる権利があると、ワトルズはいいます。そして、人生における成功とは、自分がなりたいものになるということですが、そのためにはさまざまなものが必要です。その必要なものは十分なお金がなければ自由に買えません。よって、お金持ちになるための科学を理解することこそがもっとも大切な知識であるというのです。ワトルズは述べます。
「お金持ちになりたいと思うことは決して悪いことではありません。お金持ちになりたいと望むことは、人生をより豊かに、より充実し、より実りある人生にしたいと願うことであり、それは称賛されるべきことです。もっと豊かになりたいという願望がない人はあまりいません。自分が欲しいものを買うための十分なお金を欲しいと思わない人は、まだ自分の可能性を十分に生かしていないのかもしれません」
この本が書かれたのは1910年です。ここまで高らかに「お金持ちになること」の正当性を宣言したこともすごいですが、実際、その後、マーフィーをはじめとした多くの追随者が現れて、「引き寄せの法則」は数多くのお金持ちを生み出してきました。
「引き寄せの法則」を読んでお金持ちになった人の多くは、おそらくビジネスマンだと思われます。もちろん学者や医師、弁護士といったその他の職業の人も読んだかもしれませんが、ワトルズやマーフィーに代表されるような「富」と「自己実現」が直結する価値観は、やはりビジネスの世界にもっとも馴染むものだと思われるからです。
ビジネスマンたちは、成功法則の類が大好きです。最近の世界的ベストセラーである『ザ・シークレット』にしても、読者の多くはビジネスマンではないでしょうか。書店でも成功哲学や自己啓発の本は、ビジネス書に隣接するコーナーにあるはずです。そして、ビジネス書のコーナーには、成功法則以外の「法則」の本も並んでいます。まずは、マーケティング関係のものから見ていきましょう(もっとも書店に足を運び、ネットで書籍を注文するビジネスマンはマーケティング関係者だと思われるからです)。
弱者が勝つための方法論
ランチェスターの法則
たとえば、「ランチェスターの法則」。
航空戦の観察から提唱された軍事作戦における方程式の一種で、主に戦闘シミュレーションに応用されていますが、オペレーションズリサーチにも用いられています。第二次世界大戦で兵力の補填や兵器開発などをコロンビア大学のクープマンやキムボール海軍作戦研究班が研究した結果、ランチェスターモデル式理論に発展したとされています。その後は、経営にも応用されるようになりました。
「ランチェスターの法則」は二種類あります。第一法則は「一騎打ちの法則」と呼ばれるもので、第二法則は「集中効果の法則」と呼ばれるものです。それぞれを詳しく説明すると煩雑になりますが、この二つの法則の組み合わせでさまざまな戦略が立てられるわけです。
実際の戦闘ならば、桶狭間の戦いにおける織田信長軍のように狭い谷間に軍を進め、一人で多数を攻撃することが不可能な状況をつくります。そして、なるべく接近戦、あるいは1対1の戦闘にもっていく。そうすれば、敵軍の損害を増やすことができます。
また、マーケティング戦略ならば、「選択と集中」で、一つの特殊な分野に特化します。
そうすると、大企業はそこまで手を回す余裕がないので、その隙を突いて自社が市場を押さえることができるわけです。
まとめると、一般的な「ランチェスターの法則」とは、弱者の取るべき差別化戦略であるといえます。敵よりも性能のすぐれた武器を持ち、狭い戦場で、1対1で戦い、接近戦によって、力を一点に集中させることです。
魔法のような比率把握
80対20の法則
また、たとえば、「80対20の法則」。
イタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートは、所得分布の不平等を示すために、ある法則を用いました。それが「80対20の法則」、あるいは「パレートの法則」「最小努力の法則」「不均衡の法則」などと呼ばれるものです。
たとえば、あなたが持っているハンカチやネクタイのうち、あなたが好んで使うのは、全部のなかの20%であり、残りの80%はあまり使いません。営業を例にとれば、総売上の80%は、20%の営業マンによって達成されています。あるいは、顧客の20%が、総売上の80%を占めています。時間でいうなら、優先度の高い仕事の20%が、時間消費量の80%を占める。
こうした魔法のような比率把握が「80対20の法則」と呼ばれるものです。つまり、投入、原因、努力のわずかな部分が、産出、結果、報酬の大きな部分をもたらすという法則なのですね。
また、広告業界の人間ならだれでも知っている「AIDMAの法則」。1920年代にアメリカのローランド・ホールが提唱した広告宣伝における消費者行動の法則です。ある商品を消費者が知って、それを購入するに至るまでには次の5段階があるというものです。
1.
Attention(注意)
2.
Interesut(関心)
3.
Desaire(欲求)
4.
Memory(記憶)
5.
Action(行動)
この「AIDMAの法則」は心理学にも関わるものですが、心理学関連では「メラビアンの法則」も有名です。アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが1971年に提唱した法則です。
人の行動が他人にどのように影響を及ぼすか。それは、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、そして、見た目などの視覚情報が55%の割合だという。その割合から「7・38・55のルール」とか「Verbal(言語)」「Vocal(聴覚)」「Visual(視覚)」のそれぞれの頭文字から「3Vの法則」などとも呼ばれます。
この「メラビアンの法則」からは、見た目の重要性が唱えられます。2005年に日本で100万部を超えるベストセラーになった『人は見た目が9割』(竹内一郎著、新潮新書)の内容は、「メラビアンの法則」がベースになっています。
さまざまな法則たち
心理学関係では他に、「ピーク・エンドの法則」というものも知られています。イギリスの心理学者ダニエル・カーネマンが1999年に発表した法則で、「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時の度合いで決まる」というものです。
心理学者といえば、アメリカの心理学者が発見した「ボッサードの法則」というものもあります。これは、「男女間の物理的な距離が近いほど心理的な距離は狭まる」というものです。逆にいうと、遠距離恋愛は成就が難しいので、つねに連絡を取り合って互いの心理的距離を近づけることが必要だとされています。
「エメットの法則」も示唆的な法則です。これはリタ・エメットという人が提示した法則で、「仕事を先延ばしにすることは、片づけることよりも倍の時間とエネルギーを要する」というものです。
仕事に関する法則では、「パーキンソンの法則」がよく知られています。これには二種類あり、第一法則が「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」というものです。ちなみに第二法則は「支出の額は、収入の額に達するまで膨張する」というもの。二つを併せて、より一般的に「ある資源に対する需要は、その資源が入手可能な量まで膨張する」というふうに述べることもできます。
他には、「ピーターの法則」。
南カリフォルニア大学の教育学者ローレンス・J・ピーターにより提唱された、組織構成員の労働についての法則です。すなわち、「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに達する」「やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる」「仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行なわれている」というものです。
さらに、「ハインリッヒの法則」も有名です。労働災害における経験則の一つですが、「一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」というものです。アメリカの損害保険会社で技術・調査部の副部長をしていたハーバード・ウィリアム・ハインリッヒによって導き出された法則です。
社会の高度情報化に伴って、コンピュータや通信関係の法則も多くなってきました。古典的なものに「ムーアの法則」があります。
インテルの共同創業者であるゴードン・ムーアの唱えた経験則で、「最小部分コストに関連するトランジスタの集積密度は、18~24カ月ごとに倍になる」というものです。
「コンピュータの性能は価格の2乗に比例する」という「グロッシュの法則」もよく知られています。ハーバート・グロッシュが1965年に提唱した法則です。
また、ニクラウス・ヴィルトは1995年に「ヴィルトの法則」を広めました。「ソフトウェアは、ハードウェアが高速化するより急速に低速化する」というものと「ソフトウェアは、ハードウェアの加速よりも急速に減速していく」という二種類の微妙に異なるバージョンが知られています。
フレデリック・ブルックスによって提唱されたのが「ブルックスの法則」です。これは「遅れているソフトウェア・プロジェクトへの要員追加はさらに遅らせるだけだ」というもので、この法則はしばしば「9人の妊婦を集めても、一カ月で赤ちゃんを出産することはできない」というふうに説明されます。
通信関係に目を配ると、「通信網の価値は利用者数の2乗に比例する。また、通信網の価格は利用者数に比例する」という「メトカーフの法則」。そして、「通信網の費用比性能は一年で倍になる。通信網の性能比費用は一年で半分になる」という「ビル・ジョイの法則」などがあります。
トーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は?
このように、コンピュータ業界の人々は非常に「法則」が好きなようですね。その彼らの間で爆発的に流行したのが「マーフィーの法則」です。とはいっても、「引き寄せの法則」に影響を受けたジョゼフ・マーフィーとは無関係です。
ここでいう「マーフィーの法則」とは、「失敗する余地があるなら、失敗する」とか「トーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」「欠けた皿は、絶対に割れない」「いちど認めた例外は、次からは当然の権利となる」「何度も間違えていると、それが正しいやり方となる」といった数々のアイロニカルでユーモラスな経験則をまとめたものです。
もともとはオハイオ州ディトンのライトフィールド基地にあるライト航空研究所に勤務していたエンジニアのエドワード・アロイシャス・マーフィー・Jr.大尉の名前を採ったといわれています。後ろ向きに座った姿勢の予備調査をしたマーフィー大尉は、トラブルを起こした装置を調べたところ、誰かが間違ったセッティングをしたことを発見。そのとき、彼が「失敗する方法があれば、奴はその方法でする」といったそうです。この台詞が数ある「マーフィーの法則」の中でももっとも有名な「失敗する余地があるなら、失敗する」の土台となり、この「法則」は軍部内に広まりました。そして、各種の技術雑誌から一般の雑誌や新聞の話題へと広がり、ついには一九七七年にアーサー・ブロックによって『マーフィーの法則』として本にまとめられました。これが全米のベストセラーとなり、現在に至るまで話題となっているのです。日本では、1980年頃からコンピュータ科学者を中心に知られ、90年代前半に広く流行しました。
このように、ジョゼフ・マーフィーからエドワード・マーフィーまで、さまざまな法則を一気に見てきましたが、ビジネスマンもエンジニアも、みんな「法則」が大好きなことがよくわかりましたね。きっと、「法則」を体得すれば、万事うまくいくのがビジネスやエンジニアリングなのでしょうね。