カタチにはチカラがある
「カタチ」というのは儀式のことです。儀式には力があるのです。
わたしは、儀式の本質を「魂のコントロール術」であるととらえています。儀式が最大限の力を発揮するときは、人間の魂が不安定に揺れているときです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ん坊の魂。
次に、成長していく子どもの魂。そして、大人になる新成人者の魂。
それらの不安定な魂を安定させるために、初宮参り、七五三、成人式などがあります。
結婚にまつわる儀式の「カタチ」にも「チカラ」があります。『結魂論』に書いたように、もともと日本人の結婚式とは、結納式、結婚式という2つのセレモニー、それに結婚披露宴という1つのパーティーが合わさったものでした。結納式、結婚式、披露宴の三位一体によって、新郎新婦は「結魂」の覚悟を固めてきたのです。今では結納式はどんどん減っていますが、じつはこれこそ日本人の離婚が増加している最大の原因であると思います。
日本人の冠婚葬祭のカタチを作ってきた小笠原流礼法は「結び」方というものを重視し、紐などの結び方においても文化として極めてきました。
結納とは「結び」を「納める」こと、まさに結納は「結び」方の文化なのです。そう、結納によって、新郎新婦の魂、そして両家の絆を結ぶのです。それは、いわば「固結び」と言えるでしょう。現代のカジュアルな結婚式とは、いわば「チョウチョ結び」なのです。だから見た目はいいけれども、すぐに解けてしまうのです。つまり、離婚が起こりやすくなるのですね。結納こそは、新郎新婦の魂を固く結び、両家の絆を固く結ぶ力を秘めています。
そして、老いてゆく人間の魂も不安に揺れ動きます。
なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。
しかしながら、『老福論』に書いたように、日本には老いゆく者の不安な魂を安定させる一連の儀式があります。そう、長寿祝いです。61歳の「還暦」、70歳の「古稀」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」、などです。
そのいわれは、次の通り。還暦は、生まれ年と同じ干支の年を迎えることから暦に還るという。古稀は、杜甫の詩である「人生七十古来稀也」に由来。喜寿は、喜の草書体が「㐂」であることから。傘寿は、傘の略字が「八十」に通じる。米寿は、八十八が「米」の字に通じる。卒寿は、卒の略字の「卆」が九十に通じる。そして白寿は、百から一をとると、字は「白」になり、数は九十九になるというわけです。
沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝いますが、わたしは長寿祝いにしろ生年祝いにしろ、今でも「老い」をネガティブにとらえる「老いの神話」に呪縛されている者が多い現代において、非常に重要な意義を持つと思っています。それらは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれるからです。それは大いなる「老い」の祝祭なのです。
そして、人生における最大の儀式としての葬儀があります。
拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書いたように、葬儀とは「物語の癒し」です。
愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。大事な人間が消えていくことによって、これからの生活における不安。その人がいた場所がぽっかりあいてしまい、それをどうやって埋めたらよいのかといった不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまったカタチを与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになりますこれは非常に危険なことなのです。
古今東西、人間はどんどん死んでいきます。 この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつのカタチを与えることが大事であり、ここに、葬儀の最大の意味があります。
このカタチはどのようにできているのでしょうか。
昔の仏式葬儀を見てもわかるように、死者がこの世から離れていくことをくっきりとした「ドラマ」にして見せることによって、動揺している人間の心に安定を与えるのです。ドラマによって形が与えられると、心はその形に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていけます。つまり、「物語」というものがあれば、人間の心はある程度、安定するものなのです。
逆にどんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもグラグラ揺れ動いて、愛する肉親の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。
死者が遠くへ離れていくことをどうやって演出するかということが、葬儀の重要なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために葬儀というものはあるのです。
また葬儀には、いったん儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、もう一度、新しい時間と空間を創造して生きていくという意味もあります。
もし、愛する人を亡くした人が葬儀をしなかったらどうなるか。
そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失でゆがんでしまった時間と空間を再創造することができず、心が悲鳴をあげてしまうのではないでしょうか。
また一連の法要は、故人を偲び、冥福を祈るためのものです。故人に対し、「あなたは亡くなったのですよ」と今の状況を伝達する役割があります。また、遺族の心にぽっかりとあいた穴を埋める役割も。動揺や不安を抱え込んでいる心にカタチを与えることが大事なのです。
儀式には、人を再生する力がある。「カタチ」には「チカラ」があるのです!