創業守礼
「創業守礼」とは、サンレーの創業時に佐久間進会長が掲げていたスローガンです。サンレーの創立記念式典において、正面の壇上には大きな懸垂幕が掲げられますが、そこには墨痕鮮やかに「創業守礼」と「天下布礼」という文字が大書されています。
佐久間会長の母校・國學院大學での恩師である樋口清之先生から「冠婚葬祭とは礼そのものだよ」とのアドバイスをいただき、発案した言葉が「創業守礼」であり、「天下布礼」だったのです。この2つの言葉は、わが社の原点であり未来です。
1966年、佐久間会長は万人に太陽の光のように等しく冠婚葬祭のサービスを提供したいと願って、北九州市冠婚葬祭互助会(現サンレー)を創業しました。そして、その根底には「礼」すなわち「人間尊重」の精神がありました。この創業時に掲げた「人間尊重」の精神を忘れないことが「創業守礼」であり、「人間尊重」の精神をあらゆる場所で、あらゆる人々に伝えることが「天下布礼」です。「人間尊重」は、わが社の大ミッションでもあります。それは佐久間会長からわたしへと受け継がれ、全社員で共有しています。
最近、わたしは「創業守礼」とは、わが社にとっての初期設定ではないかと思うようになりました。初期設定とは、ソフトウェアやハードウェアを利用するために最初に行う必要のある設定作業のことです。PCをはじめとする情報機器には「初期設定」というものがあります。誤作動して、うまく機能しなくなったら、初期設定に戻すことが必要です。
これは情報機器のみならず、企業においても通用することだと思います。
会社がおかしくなったら、創業時の理念を思い起こす必要があります。
国家においても同様で、哲学者の内田樹氏によれば、アメリカ人の国民性格はその建国のときに「初期設定」されているそうです。2009年1月20日、バラク・オバマはワシントンで歴史に残る感動的な就任演説をしましたが、あれはアメリカ国民にアメリカという国の初期設定を思い出させるものでした。正念場を迎えたとき、「自分たちはそもそも何のためにこの国を作ったのか」という起源の問いに立ち戻ればいいわけです。
また最近、情報機器の世界では「アップデート」という言葉をよく聞きます。これは、ソフトウェアやWebサイトの情報を最新の状態に保つこと。スマホではOSやアプリのアップデートがありますね。アップデートによって新しい機能が追加されたり、不具合が解消されたりするわけですが、わたしが愛用しているiPadもiPhoneも常にアップデートを繰り返しています。それがあまりにも多過ぎるので、「おい、おい、アップルさん、ちょっと落ち着きなさいよ」と言いたくなりますね。そして、企業にもアップデートが求められます。
わが社の初期設定が「創業守礼」ならば、アップデートは「天下布礼」でしょう。さらに言えば、初期設定が皇産霊神社や天道館ならば、アップデートは隣人館であり、「禮鐘の儀」であり、さらには「月への送魂」であると言えます。
初期設定とアップデートは、孔子とドラッカーの思想にもつながってきます。人間の幸福を追求した両者の思想はくっきりと一本の糸で結ばれています。
陽明学者の安岡正篤も、このことに気づいていました。安岡はドラッカーの”The age of discontinuity”という書物が『断絶の時代』のタイトルで翻訳出版されたとき、「断絶」という訳語はおかしい、本当は「疎隔」と訳すべきであるけれども、強調すれば「断絶」と言っても仕方ないような現代であると述べています。そして安岡は、その疎隔・断絶とは正反対の連続・統一を表わす文字こそ「孝」であると明言しているのです。
「老」すなわち先輩・長者と、「子」すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続してひとつに結ぶ。そこから「孝」という字ができ上がったというのです。これは、企業繁栄のためには「継続」と「革新」の両方が必要であるといったドラッカーの考え方と完全に一致します。孔子が「老」としたものを、ドラッカーは「継続」と呼び、ITでは「初期設定」と呼び、わが社は「創業守礼」と呼びます。孔子が「子」としたものを、ドラッカーは「革新」と呼び、ITでは「アップデート」と呼び、わが社は「天下布礼」と呼びます。そして、その先には「老」と「子」が結ばれた「孝」が実現し、わが社にはさらなる発展が待っていることを信じています。