茶道
茶道は単に一定の作法で茶を点て、それを一定の作法で飲むだけのものではありません。実際は、宗教、生きていく目的や考え方といった哲学、茶道具や茶室に置く美術品など、幅広い知識や感性が必要とされる非常に奥深い総合芸術です。
茶道はまず、禅と深い関わりがあります。禅宗は「今をどう生きるか」を説く仏教の一派ですが、茶道には禅の精神が随所に生きています。むしろ禅の思想が茶道の根本にあると言ってもいいでしょう。偉大な茶人はすべて禅の修行者でもあったことを考えれば、茶道の正体とは、茶の湯という「遊び」を通して禅の「教え」を伝える「宗遊」なのかもしれません。人は茶室の静かな空間で茶を点てることに集中するとき、心が落ち着き、自分自身を見直すことができます。
茶室は狭い空間です。縮みの空間をつくり出すところに、その美学があったと言えます。室内装飾の簡素化と、その空間を縮小しようとしたことから、「わび」や「さび」といった茶の新世界が出現したのです。コロンブスは広い海の彼方に新大陸を発見しましたが、茶文化のコロンブスであった村田珠光は、逆に書院座敷を四畳半に区切り、その空間を屏風で狭く囲った瞬間、新しい別の宇宙を発見したということになります。そして、より簡素化された草庵茶室を完成させた千利休は、四畳半茶室にさらなる縮みのベクトルを導入しました。三畳、二畳、ついには一畳台目という極小空間に至り、それを利休は理想の茶室としたのです。
前衛芸術家としての利休は、偉大な心理学者であり、一流の空間プランナーでもありました。茶室には、露地、中門、飛石、蹲踞、躙口といった、利休が張りめぐらせたさまざまな仕掛けを見つけることができます。そこでは天下人も富豪も、同じ歩幅で石を踏み、必ず頭を下げなければならないのです。茶室では、すべての人間が平等となります。
そして茶道には「一期一会」という言葉があります。人との出会いを一生に一度のものと思い、相手に対し最善を尽くしながら茶を点てることは、まさに「死」を茶室に取り入れることに他なりません。日本の美とは、死の美です。日本の美に切々たる繊細さがこもっているのは、それが生ではなく、逆に「一期一会」という死の切迫した意識から生じたものだからなのです。