一条真也の供養論 『終活WEBソナエ』連載 第35回

インドで知った最大の平等

 わたしが58回目の誕生日を迎えた5月10日、インドビハール州のガンジス川河畔に71体の遺体が漂着しているのが見つかった。同国ウッタルプラデシュ州のガンジス河畔でも25体の遺体が発見されたという。
 インドでは、新型コロナウイルスの変異株が猛威をふるっており、当然ながら遺体はコロナ感染による死者の可能性がある。報道によると、火葬用の木材が不足していたり、葬儀の費用が高騰していたりして、遺体を直接川に流すしかない家族がいるという。ネットでこの記事を読んだわたしは、非常に心を痛めた。
 
 超格差社会であるインドには、現在もカースト制度の影響が強く残っている。カースト制度はバラモン教によってつくられ、ヒンズー教に受け継がれた身分制度である。そのカースト制度を廃止しようとした人こそ、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダだった。
 残念ながら、ブッダの志は今も果たされず、カースト制度は残っている。わたしは、2016年2月に生まれて初めてインドに行ったが、そのとき、聖なるガンジス川をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回った。インドに到着して3日目の早朝、わたしは「ベナレス」とも呼ばれるバラナシを視察した。ヒンドゥー教の一大聖地である。
 
 まず、ガンジス川で小舟に乗った。しばらくすると、舟から火葬場の火が見えたので、わたしは思わず合掌した。バラナシの別名は「大いなる火葬場」だが、国際的に有名なマニカルニカー・ガートという大規模な火葬場がある。そこは、24時間火葬の煙が途絶えることがない。そこに運ばれてきた死者は、まずはガンジス川の水に浸される。それから、火葬の薪の上に乗せられて、喪主が火をつける。
 
 インドでは、最下層のアウトカーストが火葬に携わるとされている。火葬場からガンジス川に昇った朝日がよく見えた。その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ太陽の光は平等だ!」と思った。太陽の光はすべての者を等しく照らす。そして、わたしは「死は最大の平等である」という言葉を口にした。これはわが持論であり、わが社のスローガンでもある。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人‥‥‥「生」は差別に満ち満ちている。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れる。
 遠藤周作の名作『深い河』の舞台にもなったマニカルニカー・ガートで働く人々もアウトカーストだそうだが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えた。太陽と死だけは、万人に対して平等なのだ。