一条真也の供養論 『終活WEBソナエ』連載 第42回

児童虐待と供養と七五三

わたしは、昨年の7月に日本における儒教研究の第一人者で大阪大学名誉教授の加地伸行先生と対談をさせていただいた。その内容は今年早々に『儒教と日本人』(現代書林)のタイトルで出版されるが、対談の中で児童虐待の話題が出た。
児童虐待で幼い命を落とす子どもたちが後を絶たないが、加地先生ご夫妻はその子たちの供養をご自宅でされているという。加地先生は、著書『令和の「論語と算盤」』(産経新聞出版)で、「私ども老夫婦は、家の仏壇にこの子たちの紙牓(紙位牌)を立て、涙ながらに供養をし続けている。真言宗信者の作法に従い、般若心経一巻、光明真言をはじめとして諸真言を誦し奉る。わけても、地蔵菩薩の御真言『おんかかかびさんまえいそわか』――それは声にならなかった。幸薄く去ってゆくあの子たちに対して、この老夫婦ができることは、ひたすら菩提を弔い、供養を続けるほかない。私どもになにができようか」と書かれておられる。わたしは、これを読んだとき非常に感動した。そして、縁もゆかりもない気の毒な子どもたちにそこまでの情けをかけ、誠を捧げられる著者ご夫妻に心からの尊敬の念を抱いた。

冠婚葬祭業を営むわたしは、児童虐待のニュースに接するたびに、いつも「この子は七五三を祝ってもらえたのだろうか?」と思う。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)に書いたが、古来わが国では「七歳までは神の内」という言葉があった。また、七歳までに死んだ子どもには正式な葬式を出さず仮葬をして家の中に子供墓をつくり、その家の子どもとして生まれ変わりを願うといった習俗があった。子どもというものはまだ霊魂が安定せず「この世」と「あの世」の狭間にたゆたうような存在であると考えられていたのである。七五三はそうした不安定な存在の子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼だ。そして、親がわが子に「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長を世界が祝福している」と言うメッセージを伝える場にほかならない。親がいない子の場合は、周囲の大人がそれを行うべきである。

「人間尊重」を掲げるわが社では、児童養護施設のお子さんたちにも七五三祝いを贈る活動を行っている。具体的には晴れ着を無料レンタルし、プロのカメラマンが写真を撮影してプレゼントするのである。施設で成人となる方には、成人式の晴れ着を無料レンタルし、写真をプレゼントする。万物に光を降り注ぐ太陽のように、わが社はすべての人に儀式を提供したいという志を抱いている。