『エヴァンゲリオン』とグリーフケア
最近、不思議なことがある。何の映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づくのだ。この現象の理由としては3つの可能性が考えられる。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしている。
少し前に話題のアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観た。「エヴァンゲリオン」は、1990年代に社会現象を巻き起こしたアニメシリーズである。2007年からは「新劇場版」シリーズとして再始動しており、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は同4部作の最終作となるアニメーションだ。
汎用型ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンに搭乗した碇(いかり)シンジや綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、真希波・マリ・イラストリアスたちが謎の敵「使徒」と戦う姿が描かれる。総監督は、「シン・ゴジラ」なども手掛けてきた庵野秀明だ。
四半世紀にもわたる壮大な物語は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で幕を閉じた。鑑賞後、わたしは「エヴァ」とはまさにグリーフケアの物語であることを知った。
碇ゲンドウは最愛の妻であるユイを失う。ユイとの再会を願う彼は、とんでもない方法でその実現を計画し、その企みは息子であるシンジを巻き込む。この映画において、シンジはある愛すべき存在を失う。ゲンドウは、最愛の人を失うという自分が味わったこの世で最大の苦しみを息子にも味わわせようとしたのだった。
最後に、ゲンドウとシンジが対峙したとき、ゲンドウはシンジに「おまえも、死者の想いを受け止められるようになったとは大人になったな」という言葉を口にする。
また、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」には、何度も「儀式」という言葉が登場した。シンジの上司であるミサトも口にしたが、なんといってもゲンドウの口から何度も「儀式」という単語が語られた。そう、「エヴァ」とは儀式の物語でもあるのだ。何の儀式かというと、死者の葬送儀礼、すなわち葬儀である。
最期のセレモニーである葬儀は人類の存続に関わってきた。故人の魂を送ることはもちろんだが、残された人々の魂にもエネルギーを与える。もし葬儀を正しく行わなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことだろう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなる。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのである。