おらおらでひとりいぐも
日本映画『おらおらでひとりいぐも』を観た。
上智大学グリーフケア研究所のオンライン講義で「グリーフケア映画」をテーマにすることになり、最新作を取り上げるべく鑑賞したのである。「グリーフケア」のみならず、人生を修めるための「修活」についても考えさせられる傑作だった。
この映画は、第54回文藝賞と第158回芥川賞に輝いた若竹千佐子氏の小説を原作にしたヒューマンドラマである。主婦として子育てを終えたところで夫に先立たれた女性の物語だが、「配偶者がいなくなるという非日常」から「配偶者のいない日常」へと変わっていくさまが興味深い。主人公の桃子は、自身の歩んだ道のりを回顧しながら孤独な毎日をにぎやかなものへと変えていくのである。老人となった桃子の現在は田中裕子、20歳から34歳までは蒼井優が演じている。
じつは、原作小説の『おらおらでひとりいぐも』は、死者のサポートによって書かれた。というのも、芥川賞の受賞会見で、新聞の記者が「小説を書き始めたきっかけが、ご主人が亡くなった直後に小説講座に通われていますけども、ご主人がご存命のときに書き物をされてると、千佐ちゃんが芥川賞かな、直木賞かなっておっしゃってたそうですね」と質問した。それに対して、若竹氏は「はい」と言ってから、亡き夫に対して「私、やったよっていうことですかね」とのメッセージを送ったのである。このことを知って、わたしは深い感銘を受けた。
もちろん、亡きご主人が生前から奥さんの才能を信じていたということもあるだろうが、やはり見えない世界から支えてくれていたように思う。拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で述べたように、すぐれた小説を含むあらゆる芸術作品が生まれる背景には作者の「死者への想い」があり、作者は「死者の支え」によって作品を完成させるように思えてならない。
さらに映画では、桃子が図書館に通い、たくさんの本を読み、時には地球46億年の歴史のようなスケールの大きな本を読み、そこで学んだことをイラスト入りでノートに書く場面が何度も登場するが、素晴らしいことだと思った。読書は教養を育てるが、行き着くところは「死」の不安を乗り越えるための死生観を持つことではないか。
映画では、図書館で読んだ本に登場したマンモスとともに、桃子が雪の街を行進する。とても幻想的なシーンだったが、その先には、きっと亡き夫が待つ新世界があるのだろう。