一条真也の供養論 『終活WEBソナエ』連載 第39回

ムーンライト・シャドウ

 「ムーンライト・シャドウ」という日本映画を観た。吉本ばなな氏のベストセラー『キッチン』に収められた短編小説を映画化したラブストーリーである。満月の夜の終わりに死者と再会するというグリーフケア映画で、どうしても観たい作品だった。
 この物語以外でも、古今東西、満月の夜は幽霊が見えやすいという話をよく聞く。満月の光は、天然のホログラフィー現象を起こすのではないだろうか。つまり、自然界に焼きつけられた残像や、目には見えないけれど存在している霊の姿を浮かび上がらせる力が、満月の光にはあるように思える。
 
 「ムーンライト・シャドウ」では、月が非常に重要な役割を果たす。主人公の女性は、死に別れた恋人と再会するべく、川を訪れる。夜明け近くの橋の下には、月光が降り注いでいる。そこで、彼女はなつかしい恋人の姿ともう一度出逢うのだった。
 巫女のような仲介者の女性によれば、100年に1回くらいの割合で、偶然が重なりあってこのように死者が出現するそうだ。場所も時間も決まっていないが、川のある場所でしか起こらない。人によっては、まったく見えないという。死んだ人の残留した思念と、残されたものの悲しみがうまく反応した時に陽炎のように見えるのである。死者の残留した思念と生者の悲しみがうまく反応するのは、恐らく月のせいだろう。
 
 アメリカの神経学者カール・プリブラムや、イギリスの物理学者デイヴィッド・ボームは、この世界はホログラフィーのように、映し出された立体像の方にではなく、それを映し出した干渉板のフィルムの中にこそ、リアリティは巻き込まれているのではないかとの考えを打ち出した。
 そして、その1つ1つの部分は全宇宙を宿していて、一即多、多即一、すなわち部分と全体は互いに他を含みあい、かつ空間にみられる巻き込みのように、時間も過去から未来にかけてのすべてがそこに巻き込まれているのではないかという世界のモデルを提出している。
 このホログラフィー理論は、全宇宙の記憶が刻まれているというアカーシック・レコードにも通じるし、実在界と現象界という宗教的世界観とも共通している。この世(現象界)のすべてのものは、あの世(実在界)から投影されている幻影にすぎないという考え方である。死者の思念に月光が降り注ぐ時、一種のホログラフィーが発生する。それは、ムーンライト・シャドウという「愛の奇跡」なのである。
 
 同時に、わたしたち生者もまた、ホログラフィーによって浮かび上がった、ヴィジュアライズされた霊、すなわち幽霊だという考え方もできる。もしもわたしたち自身も幽霊なら、死者たちといかに理想的な関係を築いていくかを考えなければならないだろう。