誕生日には同級生のことを考える
5月10日は、わたしの53回目の誕生日です。3年前は「自分が50歳になったなんて!」と愕然(がくぜん)としました。でも、その翌年は51歳になったからといって別に何とも思いませんでした。すっかり50代の人生に慣れてしまった感じです。誕生日には、いつもお祝いメールやプレゼントや花などが届きます。ありがたいことです。
誕生日を祝うということは、「あなたがこの世に生まれたことは正しいですよ」と、その人の存在を全面的に肯定すること。人間関係を良くするうえで、これほど大切なことはありません。「人間尊重」をミッションとするわが社では、社員の誕生日が来ると、職場のみんなが「おめでとう」の声をかけています。誕生日当日には、社長のわたしが、社員のみなさんにバースデーカードを添えて、ささやかなプレゼントをお渡しします。
みなさんは、家族や恋人はもちろん、周囲の人たちの誕生日を知っていますか。そして、「誕生日、おめでとう!」の声をかけていますか。周囲の人の誕生日を覚えていて、その日に声をかけるだけで、人間関係は確実に良くなります。ぜひ、この簡単でありながら、人と人との心を通わせる素敵な魔法をお試しください。
わたしは、「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティの到来を夢見ているのですが、それはとりもなおさず、「おめでとう」と「ありがとう」が行き交う社会であると考えています。ですから、「誕生日おめでとうございます」と言われたら、素直に「ありがとうございます」と答えたいと思います。
5月は、私にとって特別な月です。それは、5日の「こどもの日」、今年は8日の「母の日」、そして10日の自分の「誕生日」があるからです。「母の日」というのは5月の第2日曜日ということになっています。わたしが生まれた53年前の「母の日」は12日でした。わたしの母は、最初のわが子を産んで母になった2日後に「母の日」を迎えたわけです。
この3つの「日」は、幼いときからいつも「3点セット」でした。大人になってから、この3つの日は本質的に同じなのだと気づきました。それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。
ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物はヒトの他に見当たりません。
わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、かつては産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで子どもを産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。誕生日が来るたびに、母への感謝の思いが強く湧いてきます。
それから、わたしは誕生日を迎えると、いつも同級生たちのことを考えます。最近出版した拙著「死ぬまでにやっておきたい50のこと」(イースト・プレス)には「成功した同級生をライバルと考える」という項目があるのですが、わたしは自分と同い年の人のことをけっこう考えます。というか、名前を記憶しています。
わたしは1963年(昭和38年)生まれです。同じ生年でまず頭に浮かぶのは、俳優の唐沢寿明さん、加藤雅也さん、お笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功さん、松本人志さん、作家の京極夏彦さん、重松清さん、イラストレーター・作家・俳優としてマルチに活躍するリリー・フランキーさん、アナウンサーの宮根誠司さん、プロ野球・福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康さん、それからジョニー・デップ、ブラッド・ピットといった海外の大物俳優も同じ年の生まれです。
なぜこの人たちを覚えているかというと、わたしは同級生たちの活躍を励みにしているからです。現在はインターネットを使えばこうした情報が手軽に手に入ります。紳士録などをひもとくなどという手間はかかりません。
有名人ではありませんが、会社を経営していたり、大企業の重役になったりした大学の同級生がいます。彼らの活躍を会社のホームページなどでときどきチェックしながら、わたしは自分の励みにしています。世の中には、同級生の成功に強いジェラシーを抱く人もいるようです。同じ年齢であるがゆえに「自分は彼のように成功していない」と、コンプレックスを刺激されるからかもしれません。しかし、それはあまりにも寂しい話ではありませんか。同級生の活躍に刺激を受けて、「あいつも頑張っているな。オレも負けないぞ」と思う。これが同級生のいいところではないでしょうか。