「人は死なない」 歌舞伎の襲名披露を見て
先日、久々に歌舞伎を鑑賞しました。「松竹大歌舞伎 中村翫雀改め四代目中村鴈治郎襲名披露公演」です。会場は福岡県の「北九州ソレイユホール」でしたが、わたしは最前列左端の花道のすぐ近くの特等席でした。おかげさまで、役者さんの鼻息まで近くで感じることができました。
上方歌舞伎の大名跡である四代目中村鴈治郎の襲名披露は、大阪松竹座、歌舞伎座、博多座に続いて全国各地の劇場やホールで公演されていますが、わたしは地元での鑑賞となりました。わたしが広告代理店の新入社員だった頃、歌舞伎座100周年記念イベントの仕事をしたことがあります。連日、歌舞伎について勉強し、また鑑賞するうちに、その魅力にすっかり取りつかれたのですが、最近は忙しさにかまけて歌舞伎から遠ざかっていました。
襲名披露狂言として上演するのは玩辞楼十二曲のうち、『双蝶々曲輪日記』より「引窓」でした。初世鴈治郎が家の芸として制定した十二演目の一つで、長く歌舞伎上演が途絶えていたものです。それを初世が明治29(1886)年に大阪で復活上演したのです。以来、代々の鴈治郎が南与兵衛後に南方十次兵衛を当たり役の一つにして上演を重ねてきました。この狂言には「親子の情」「夫婦の愛」が描かれています。特に鴈治郎の息子である壱太郎が女房のお早を演じ、親子で夫婦を演じるという珍しい舞台でした。
会場を見渡すと、高齢者の方がほとんどでした。中には杖(つえ)をついて来られた方も見られました。一般に高齢者の方は時代劇が好きだといわれます。歌舞伎も江戸時代を舞台とした演劇です。「引窓」を鑑賞しながら思ったのですが、お年寄りになればなるほど昔の話を好まれる理由がわかったような気がしました。
というのも、江戸時代に生きていた人々というのは、現在はもう生きていません。いわば、死者です。高齢の観客は、舞台の上で生き生きと動いている江戸時代の人々が間もなく死ぬことを知っています。すると、「どんな元気な人間でも、いつかは死ぬ」、ひいては「人間が死ぬことは自然の摂理である」ということを悟り、自身が死ぬことの恐怖が薄らぐのではないでしょうか。
続いて、四代目中村鴈治郎襲名披露「口上」が行なわれました。舞台上には、右から市川左団次、市川男女蔵、中村亀鶴、坂田藤十郎、翫雀改め中村鴈治郎、中村壱太郎、中村虎之介、中村扇雀の順に8人が並んでいました。坂田藤十郎が三代目の中村鴈治郎でした。彼の息子が四代目中村鴈治郎と中村扇雀であり、孫が中村壱太郎、中村虎之介であり、他の人々とも血がつながっています。
わたしは、歌舞伎の襲名というのは儒教における「孝」そのものであると思いました。現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒にともに生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということです。「孝」という画期的なコンセプトを唱えた孔子は、人間が死なない方法を考え出したのかもしれません。この考えを、わたしは中国哲学者で儒教研究の第一人者である加地伸行氏の一連の著書で知りました。
「孝」という死生観は、明らかに生命科学におけるDNAに通じています。とくに、イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスが唱えた「利己的遺伝子」という考え方によく似ています。生物の肉体は一つの乗り物にすぎないのであって、生き残り続けるために、生物の遺伝子はその乗り物を次々に乗り換えていくといった考え方です。なぜなら、個体には死があるので、生殖によってコピーをつくり、次の肉体を残し、そこに乗り移るわけです。子は親のコピーなのです。
加地氏によれば、「遺体」とは「死体」という意味ではありません。人間の死んだ体ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」というのが、「遺体」の本当の意味です。つまり遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち「子」なのです。あなたは、あなたの祖先の遺体であり、ご両親の遺体なのです。あなたが、いま生きているということは、祖先やご両親の生命も一緒に生きているのです。
わたしは四代目中村鴈治郎の襲名披露「口上」を聴きながら、この舞台上には坂田藤十郎すなわち三代目中村鴈治郎の「遺体」がずらりと並んでいると思いました。
「口上」の後は休憩をはさんで、「連獅子」が上演されました。中村扇雀と中村虎之介の父子が舞いましたが、まことに華やかで勇壮な親子獅子でした。DNAの話をしましたが、扇雀はお母さんである扇千景さんに生き写しであり、わたしは「血とはすごいものだなあ」としみじみ思いました。歌舞伎を見ていると、「人は死なない」と思えてくるから不思議です。