一条真也の人生の修め方 『日本経済新聞電子版』連載 39

老年期は実りの秋である!

今年の夏は本当に暑かったですね。わたしは50代の前半ですが、若い頃と違って暑さが体にこたえます。昔は夏が好きだったのですが、今では嫌いになりました。四季の中では、秋が好きです。

 さて、古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていました。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」です。
 それによると、人生は冬から始まります。まず生まれてから幼少期は未来の見えない暗闇のなかにある。そんな幼少期に相当する季節は「冬」であり、それを表す色は原初の混沌の色、すなわち「玄」です。玄冬の時期を過ぎると大地に埋もれていた種子が芽を出し、山野が青々と茂る春を迎えます。これが「青春」です。この青春の時期を過ごす人を青年といいます。そして青年が中年になると夏という人生の盛りを迎えます。燃える太陽のイメージからか色は「朱」が与えられています。中年期を過ぎると人生は秋、色は「白」が与えられ、高齢期は「白秋」とされるのです。
 ちなみに最近、作家の五木寛之氏が『玄冬の門』(ベスト新書)という本を書かれましたが、五木氏は「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」の順で人生をとらえておられるようです。
 ところで、それぞれの季節には「四神」と呼ばれるシンボルとなる霊獣がいて、東西南北を守護しているとされました。北を守る亀と蛇の合体は「玄武」、東を守る龍は「青龍」、南を守る雀は「朱雀」、西を守る虎は「白虎」です。
 このように、古代中国には四季と方角と色と動物と人生とを対応させ合う、じつに壮大な宇宙観がありました。そして、その宇宙観のフレームのなかに玄冬、青春、朱夏、白秋という人生観、すなわちライフサイクルがあったのです。
 現在の「人生80年」をこのライフサイクルに当てはめてみると、ちょうど四季がそれぞれ20年ずつとなります。誕生から20歳までが玄冬、20歳から40歳までが青春、40歳から60歳までが朱夏、そして60歳を過ぎると白秋に入る。人生の始まりを春ではなく冬ととらえたところに老成した中国古代思想の奥深さを感じますが、とくに高齢期を白秋、つまり実りの秋としたことは重要です。そこには「老い」とは人生の実りの秋、人生の収穫期であるという考え方があります。
 少年期に亀や蛇のように地をはい回って努力を重ね、知識と技術を得た青年期には龍のように飛翔し、中年期にはスズメのように群がりさえずって世間をにぎやかに飛び回る。そのようにして蓄積してきた「人生の実り」を高齢期にこそ収穫し、純白な虚心でゆっくり味わい、かみしめる。もはや些事(さじ)雑務にわずらわされることなく虎の如くに生きるべきなのです。そして白き虎として天下を睥睨(へいげい)し、ひと声ほえれば万衆注視というのが人としての理想なのかもしれません。
 インドにも「老い」をテーマにしたライフサイクルがありました。ヒンドゥー教の「四住期」という考え方です。これは理想的な人生の過ごし方というべきもので、人間の一生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の4つの段階に分けて考えます。
 学生期には師に絶対的に服従し、ひたすら学び、厳格な禁欲を守らなければなりません。このような学びの期間が過ぎると次は家住期で、親が選んだ相手と結婚して、職業について生計を立てなければなりません。そして子どもを育てるのが大切で、このことによって子孫を確保し、祖先への祭祀が絶えないように心がけなければならないのです。この時期は世俗的なことが重要とされるのです。
 現代日本人であれば、これで人生が終わりとさえいえますが、ヒンドゥー教の場合にはさらに2段階が加わります。第3の林住期は、これまでに得た財産や家族を捨て、社会的な義務からも解放され、人里離れたところで暮らします。
 こうした過程を経て、最後の遊行期は、この世へのいっさいの執着を捨て去って、乞食(こつじき)となって巡礼して歩き、永遠の自己との同一化に生きようとしたのです。
 あるヒンドゥー教の文献によれば、この四住期は必ずしもこのとおりの順序でやらなくてもいいそうですが、いずれにしても、理想的な人生のあり方というものが見て取れます。
 こうして歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその英知を結集してきたわけです。
 人生80年時代を迎え、超高齢化社会の現代日本は、人類の目標とでもいうべき「豊かな老後」の実現を目指す先進国になることができるはずです。その一員として、実りある人生を考えていきたいものです。「終活」とは、そのための大切な活動にほかなりません。そして、それは「人生の終(しま)い方の活動」としての「終活」というより、前向きな「人生の修め方の活動」としての「修活」と呼ぶべきだと思います。