一条真也の人生の修め方 『日本経済新聞電子版』連載 10

俳句ほどすごいものはない!

 前回、高齢者にふさわしい老成と老熟の文化があるとして、それを「グランドカルチャー」と名づけました。短歌は若者向けの文化という側面がありますが、俳句はグランドカルチャーを代表する文化です。私は、つねづね「俳句ほど、すごいものはない」と思っています。今回は、そのお話をしましょう。

徘徊老人が問題になっていますが、徘徊とは歩き回ることです。そもそも歩くという行為は、人間にとってどんな意味があるのでしょうか。

「スローライフ」の仕掛人の一人である辻信一氏によれば、スローライフへの入り口の一つに「歩く」ということがあるそうです。歩くということは2種類あって、ひとつはA地点からB地点への移動。もうひとつは散歩です。

散歩の「散」はまるで目的が散ってしまっていることを示しているかのようです。あえて言えば、歩くというただそのことに満足している状態であり、そこは何でもありの世界になります。道草、横道、脇道、寄り道、回り道、遠回り、ブラブラ……。立ち止まってもよし、引き返してもよし、迷ってもよし。これが散歩ということであり、徘徊とまったく意味が同じであることがわかります。目的なく歩きまわる徘徊とは、基本的に散歩であり、自由な精神の行為なのです。

歩く一つ一つの道が違い、同じ道でも昨日と今日とでは違う。雨と晴れでは違うし、冬と夏では違うし、ツツジとアジサイでは違う。そんな季節の移り変わりを散歩の途中で感じたとき、人の心には詩情が浮かびます。五七五という極小の形で季節を表現する詩歌は俳句と呼ばれ、俳句・連句、ひいては俳文学全体の総称を「俳諧」といいます。なんと、ともに人間の自由な精神と季節との出合いを本質とすることから、「徘徊」という一見ネガティブな行為は「俳諧」という風雅の世界に転じてしまうのです。歩き回って季節を感じる力という点において、徘徊力とは俳諧力なのです!

これは、ダジャレでも言葉遊びでも何でもありません。「俳聖」と呼ばれた芭蕉は、とにかく歩いた人でした。江戸時代においては立派な老人であった46歳のときに、有名な「奥の細道」の旅に出ました。

この旅で芭蕉は、江戸から奥羽・北陸をめぐって大垣に到着、そこから伊勢に旅立とうとするまで、150日、600里をとにかく歩きに歩きまわりました。600里とは実に約2400キロメートルですが、病身な芭蕉はこの長大な距離をひたすら歩き、人跡まれな辺鄙(へんぴ)な地方に苦しい旅をつづけたのです。この旅のあいだに自己の詩魂を深めきたえることができ、「不易流行」の論や、「さび」「しをり」「ほそみ」といった芸術観はこの旅のうちに確立したといいます。

また、芭蕉はこの旅で多くの俳句を残しましたが、紀行の地の文と発句(ほっく)とが見事に詩的に構成されており、『奥の細道』は俳諧における最高傑作になっています。老いて病んだ芭蕉の風狂の徘徊力が、彼の俳諧力を最大限に引き出したのではないかと私は思います。そして、『奥の細道』のなかには、「道祖神のまねきにあひて、取(とる)もの手につかず」という一文がありますが、この芭蕉の心を落ち着かなくさせて旅へと誘い出した「道祖神のまねき」は、現代の多くの徘徊老人の心のなかでも旅への勧誘活動を続けているのではないでしょうか。

そして、徘徊は人生に「ゆとり」を生み出しています。ブラブラと散歩するときのような、移動という目的・手段の関係から解放された何でもありの空間や時間を、現代の日本人はどれだけ持っているでしょうか。効率性や生産性といった経済のものさしによって、こんなにも貴重な自由が無駄という一言で片付けられようとしているのです。散歩を取り戻すことはスローライフの第一歩でしょう。そして、それは「ゆとり」ある人生、大いなるグランドライフへの第一歩でもあります。俳句という自由な心の遊びにおいても、まったく同じことが言えるのです。

何より、わたしがすごいと思っているのは、俳句をつくるのに何も道具がいらないことです。筆もいらない、紙もいらない。あるに越したことはないが、別になくても頭のなかだけでいくらでも俳句はつくれる。場所はどこであれ、俳句をつくることは理論的に可能なのです! そう考えてみると、俳句とは最も軽やかで自由な遊びであることがわかってきます。究極のローリスク・ハイリターンであり、これに勝てるのはもはや瞑想ぐらいでしょう。

俳句に季語があるように、人生にも春夏秋冬のさまざまな想い出のステージがあります。俳句はそれらに潤いを与えてくれます。さらには、辞世の句というものが「死ぬ覚悟」さえも与えてくれる。俳句ほど、すごいものはないのです。日本人なら、辞世の句の一つも残して旅立ってゆきたいものです。