月を見よ、死を想え
9月27日の「中秋の名月」、28日の「スーパームーン」、みなさんは月見をされましたか。2015年は「中秋の名月」と「スーパームーン」が2日連続した珍しい年です。
「月狂い」のわたしは大いに月を愛で、大いに飲みました。じつは、わたしは月こそは「あの世」ではないかと思っています。地球上の全人類の慰霊塔を月面に建てるプランを温めたり、地上からレーザー光線で故人の魂を送る「月への送魂」を行ったりしています。なぜ、月が「あの世」なのか、今回はそのお話をしたいと思います。
世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きており、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。
彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星なのです。
「葬式仏教」といわれるほど、日本人の葬儀やお墓、そして死と仏教との関わりは深く、今や切っても切り離せませんが、月と仏教の関係もまた非常に深いと言えます。
お釈迦さまことブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。
ミャンマーをはじめとした東南アジアの仏教国では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。仏教のみならず、神道にしろキリスト教にしろイスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。地球人類にとって普遍的な信仰の対象といえば、なんと言っても太陽と月です。太陽は西の空に沈んでいっても翌朝にはまた東の空から変わらぬ姿を現しますが、月には満ち欠けがあります。つねに不変の太陽は神の生命の象徴であり、死と再生を繰り返す月は人間の生命の象徴なのです。
また、「太陽と死は直視できない」という有名なラ・ロシュフーコーの言葉があるように、人間は太陽を直視することはできません。しかし、月なら夜じっと眺めて瞑想的になることも可能です。
さらに、人類の生命は宇宙から来たと言われています。わたしたちの肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。その材料の供給源は地球だけではありません。はるかかなた昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じてわたしたちの肉体に入り込み、わたしたちは「いのち」を営んでいるのです。
わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、「宇宙の子」なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継ステーションのようです。
もし、月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養をすることができます。また、遺体や遺骨を地中に埋めることによって、つまり埋葬によって死後の世界に暗い「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、明るい「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月をあの世に見立てることによって、死者の霊魂が天上の世界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングが無理なく行なえます。
「葬送」という言葉がありますが、今後は「葬」よりも「送」がクローズアップされるでしょう。「葬」という字には草かんむりがあるように、草の下、つまり地中に死者を埋めるという意味があります。「葬」にはいつでも地獄を連想させる「地下へのまなざし」がまとわりついているのです。一方、「送」は天国に魂を送るという「天上へのまなざし」へと人々を自然に誘います。「月への送魂」によって、葬儀は「送儀」となり、お葬式は「お送式」、葬祭は「送祭」となる。そして「死」は「詩」に変わります。満月の夜、ぜひ月を見上げて、死を想ってみてください。
わたしは「狂」がつくほどの大の月好きです。毎月、満月の夜には宗教哲学者で京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生とWEB上の往復書簡を交わしています。「ムーンサルトレター」というのですが、最近、なんと10周年を迎えました。それを記念して『満月交遊 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)という本を上梓しました。満月の気に誘われて書き上げた世にも不思議な本ですので、よろしければご一読下さい。