平成心学塾 文化篇 グランドカルチャーのすすめ #008

能は「老い」と「死」の演劇です。死者と生者のコミュニケーションの物語です。老いとは何か、死とは何かについて考えさせられる哲学的な芸術なのです。
舞踊と音楽を中心とする演劇である能は「謡」という声楽と「囃子」という楽器演奏に乗せて、舞踊的な動きで物語を進めていきます。いわば、能はオペラに近い存在だと言えるでしょう。
能はまた、「能面」あるいは「面」という仮面を使う仮面劇です。能面をつけるのは「シテ方」と呼ばれる能の主役を演じる役者や、シテ方を補助する役者です。神仏、仙人、そして何より老人と亡霊を演じるときに使います。
またシテ方は、老女、若い女性、少年を演じるときにも面をつけます。面はふだんの自分とまったく違う次元の役に変身するための道具で、役者にとってはとても大切なものです。ただし、現実の男性を演じる「ワキ方」や、コミカルな演技を専門とする「狂言方」は面をつけません。
能の源流をたどると遠く奈良時代までさかのぼりますが、芸術としての能を完成させたのは何と言っても室町時代の観阿弥・世阿弥の親子です。観阿弥は将軍足利義満の支援を得て、大和猿楽の伝統である物真似主体の強い芸風に田楽や近江猿楽などの歌舞的要素を取り入れ、能を芸術的に高めたのです。また当時流行していたリズミカルな「曲舞」の節を施律的な「小歌節」と融合させるなど音楽面での改革も行いました。
この父、観阿弥の偉業を受け継いで今日まで伝わる能の芸術性を確立したのが世阿弥です。観阿弥が認められた京都今熊野での演能のとき、まだ十二歳の少年であった世阿弥は将軍の寵愛を受けることとなり、その絶大な後援を得て能をいっそう優美な舞台芸術に高めました。彼は、将軍に代表される観客の好みに敏感に対応しました。そして、先人や同時代の名手たちの長所を上手に取り入れて、父の志した「幽玄」を理想とする歌舞主体の芸能に磨き上げていったのです。
世阿弥は、「夢幻能」を完全な形に練り上げ、「シテ」一人を中心とした求心的演出を完成させて、多くの名作を残しました。夢幻能を観る者は、自分がまるで生と死のあいだの幽明境に在るかのような不思議な感覚にとらわれます。
能は観る者の意識を変容させる力をもっているのです。