一条真也の心に残る名言 『リビング北九州』掲載 第08回

「惜福、分福、植福」幸田露伴

 言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、鴎外や漱石と並ぶ明治の文豪・幸田露伴の言葉です。

誰でも幸福になりたいもの。「幸福」こそ、人間にとって最大のテーマでしょう。その「幸福」を求めて、これまでに実に数多くの幸福論が書かれてきました。

明治末から大正初期にかけ、暗い時代が続きました。事業の失敗や失業、貧困など、さまざまな外的原因によって自らを不幸だと思い込み、悩み、苦しみ、陰惨な思いに沈む人が多くいました。

露伴は「どうすれば人は必ず幸福になれるか」というスタイルの幸福論は不可能であると考え、「どういう心がけで生きれば、不本意なことが多い世にあって人生を肯定的に生きられるか」を説きました。

そして露伴が書いた本のタイトルは『幸福論』ではなく、『努力論』でした。幸福を引き寄せるために、露伴は「幸福三説」なる3つの工夫を述べています。

第1は、「惜福」。これは、福を使い尽くさないこと。「たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽して半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである」とあります。炭火に灰をかけて長持ちさせるのが惜福です。

第2は、「分福」。露伴によれば、恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものであるといいます。春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものである。分福をあえてなす者は周囲に和やかな気を与えることができるのです。

そして第3は、「植福」。リンゴの木がまだ花を咲かせ、実をつけているうちに、種をまき、接ぎ木をし、新しいリンゴの木を育てておきます。それを自分の子孫が食べるのです。これが植福です。1人の植福がどれだけ社会全体を幸福にするか計り知れません。植福において、個人と社会の福がつながるのです。

福とは天に向かって矢を放った状態だといえます。矢は必ず落ちてきます。つまり、そのままにしておいては福はなくなります。福をなくさないためにも、さらには福を増やすためにも、「惜福」「分福」「植福」の3つの工夫があるのです。