「世に生を得るは事を成すにあり」坂本龍馬
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、坂本龍馬の言葉です。わたしは、ハートフル・リーダーとしての龍馬について『龍馬とカエサル』(三五館)で詳しく書きました。龍馬は日本史の、カエサルは世界史の、それぞれ「人気ランキング」の首位を指定席としています。彼らの絶大な人気は、司馬遼太郎や塩野七生といった国民的人気作家の存在も大きく影響しています。
司馬遼太郎の膨大な作品群は多くの日本人に読まれていますが、その中でも最も売れた作品が『竜馬がゆく』です。一九六三年に初版単行本が出版されて以来、単行本・文庫本合わせて累計2,200万部以上が売れたといいます。
この作品が書かれる前の坂本龍馬は、それほどの有名人ではありませんでした。わたしも含めて現在の日本人のほとんどは、龍馬に明るく愛嬌のあるイメージを抱いていますが、それはずばり、この作品の影響なのです。最近、ベストセラーになった百田尚樹氏の『海賊とよばれた男』が、「『竜馬がゆく』以来の青春小説の傑作」などと呼ばれていますね。
龍馬は「世に生を得るは事を成すにあり」との言葉を残しました。これは、「志」というものを本質を語った言葉であると思います。「志」は「死」や「詩」と深く結びついています。日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、「死」と「詩」を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと思います。
そして、「死」と「志」も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知ります。
龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」こそは、死と志の関係を解き明かした言葉にほかなりません。山本常朝の『葉隠』には「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」という句があります。これは、武士道とは死の道徳であるというような単純な意味ではありません。武士としての理想の生をいかにして実現するかを追求した、生の哲学の箴言なのです。
このように、もともと日本人の精神世界において「死」と「詩」と「志」は不可分の関係にあったのです。龍馬の言葉に触れると、その生き様とあわせて、「何のために生きるのか」といったことを考えずにはおれません。