思想篇 第七講
極私的読書体験を明らかにする
子ども時代から高校時代までの読書
これまでさまざまな角度から読書について述べてきました。わたしは、本が好きで好きで仕方がありません。こんな自分の原点は、子どものころの「幸福な読書体験」にあるように思います。
子どものころから本は好きでした。子どもはだれでも不思議な話が好きなのではないでしょうか。私の場合、総じて小学生時代に「本とはメチャクチャに面白いもの」という考えが植え付けられたように思います。
とくに思い出深いのは、小学校3年生のとき、SFにはまったことです。偕成社やポプラ社から出ている少年向けのSF全集を片っ端から読破しました。これにより、想像力というものの価値を学んだように思います。
そして、高学年になると、岩波少年文庫をかなり読みました。特に『青い鳥』『星の王子さま』『トムは真夜中の庭で』などファンタジー作品を好みました。前述のとおり、岩波文庫の海外文学には悪訳が多いのですが、岩波少年文庫には名訳が多いんですね。相殺して、プラスマイナスゼロと私は考えていますが……。
中学生に入ってからは、校長先生が朝礼で紹介した渡部昇一著『知的生活の方法』を読んだことが忘れられません。その後、紀田順一郎や庄司浅水をはじめ、各種の読書論にかぶれました。きっかけは『知的生活の方法』にあったように思います。この頃、すでに本に関しては耳年増だったのかもしれません。
社会のすべてを知っているわけではありませんから、大人たちは私たち子どもに何か大事なことを隠しているのではないかという疑念があって、大人の本はよく読みました。夏目漱石とか芥川龍之介でも、隠し事を発見したわけではありませんが、やはり子供のあずかり知らぬ大人の世界に触れた部分がありました。自宅に各種の全集があったので片っ端から読みました。当時、岩波から『芥川龍之介全集』が出たので、それを小遣いで毎月購入。配本されるたびに1ヶ月くらいかけて読むというリズムが身についたのです。芥川全集を読破した勢いで、家にあった『漱石全集』にも取り掛かりました。『虞美人草』とか『明暗』とか難しかったが、なんとかページを繰って、目だけは通しました。
この「漱石と芥川の全集を読破した」という経験は、自分の大きな自信になったことを記憶しています。「これで自分は一人前の本読みになれた」という実感があった。1人の作家の全集を読破できたということは、漱石や鴎外だろうが、ゲーテやドストエフスキーだろうが、もう誰の全集でも読めるわけですから、中学生ながら変な確信を持ったのです。
そして、「せっかく中学で芥川の全集を読んだのだから、これから小説を書いて、高校時代には芥川賞を取ってやろう!」という途方もない妄想を抱くに至りました。この妄想はいまだに実現に至ってはいませんが……。
この頃は頭の良い人間になりたいと思っていました。哲学書なんかスラスラ読めたら格好がいい。一種の憧れですね。級友がプロ野球選手とか芸能人に憧れるように、私は難しい本をスラスラ読める人に憧れたのです。でも当然初めはわかりません。それでも読む。わからない。読む。中3の頃に、世界の名著、岩波文庫の青帯とか読んで、ボッキリと挫折しましたから。
そうした難しい本への憧れとコンプレックスもありながら、もともと好きだったSFも読んでいました。ウェルズの『宇宙戦争』とか、『2001年宇宙の旅』、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』とかは好きで何度も繰り返し読みました。
高校に入学すると、漱石の次は『鴎外全集』を何とか読み、運命の『三島由紀夫全集』に出会います。高校時代は、とにかく三島にかぶれました。
彼は45歳で自刃したわけですが、今の私は46歳。あのころ、あんなに憧れていた三島の享年を超えてしまった事実に言い表せぬ感慨を抱きます。それと同時に、澁澤龍彦や国内外の幻想文学にも親しみました。国書刊行会の『世界幻想文学大系』とか『ドラキュラ叢書』『ゴシック叢書』などが愛読書。
小倉に金榮堂という老舗の書店があった(今はもうありません。書店が消えていくというのは寂しいものです)。松本清張なども通った有名な店です。そこで父が本を注文し、月末にまとめて支払いをするのが習慣でした。父も読書家で、月に20万円~30万円ぐらい本を買っており、毎月、定期購入している全集だけで10種類以上あったと思います。欲しい本は、そっと親父の注文書に勝手に加筆して入手できたわけです。高校生くらいになると、私の注文した本だけで月に50万円ぐらいになって非常に怒られた経験があります。
また、高校生になってからは、夏休みや冬休みのたびに東京に出かけ、神保町に入り浸って、とにかく本を買って買って買いまくりました。これは父親公認で、『国史大系』とか『群書類従』とか、100万円以上する全集類をとにかくたくさん買いました。高校の3年間で、神保町には1,000万円近くは落としたのではないでしょうか。
わが大学時代の読書
わたしは東京の大学に入学しました。
住まいは六本木のマンションでしたが、大学生になったのだから、たくさん本を読んで知識をつけなければと思い、九州の実家から全集類をたくさん運び込みました。哲学書や経済学書なども新たに買い込んで書棚に並べ、1人で悦に入っていました。中学生のころの難しい本への憧れがムクムクとよみがえってきました。
大学に入学した年の秋に、1冊の本が読書界の話題をさらいました。浅田彰氏の『構造と力』(勁草書房)です。いわゆるニューアカ・ブームを巻き起こした思想書です。フランスの現代思想の影響を強く受けたというそのベストセラーに挑戦したものの、当時のわたしは歯が立たず、まったく理解できませんでした。無残にも大学生になって半年で、難しい本への憧れは砕け散ってしまったのです。
しかし、当時の浅田氏の言葉でわたしが大きな影響を受けたものがあります。雑誌のインタビューに浅田氏が答えて、「本を執筆するときは、そのテーマの本を最低でも200冊は読むべき」という内容の発言をしたのです。わたしは、それを真に受け、心から信じました。いまでもその言葉は真理のようにわたしの心に残っており、新しい本を書くときは参考文献を必ず200冊以上読むことを心がけています。
浅田氏と並んで、「ニューアカの旗手」とされた中沢新一氏の『チベットのモーツァルト』(せりか書房)は非常に面白く読めました。この本を読んだことがきっかけで、宗教や神秘主義への興味が深まり、心理学者のユングや、ルーマニアの世界的宗教学者であるエリアーデの著者などを読むようになりました。コリン・ウィルソンやライアル・ワトソンなどもよく読みました。
オカルト、ニューエイジなどの神秘思想とともに、幻想文学がわたしの大きな関心の対象でした。大学生になってすぐのころ、好きだった幻想文学のサークルに入りました。このサークルは荒俣宏氏を顧問に迎えた本格的なもので、同人誌も発行し、その後は商業誌も発行するほどでした。
そのメンバーも多士済々で、のちにプロの作家になった人もいます。その中に、尋常でない読書家の先輩がいました。彼は、たしか当時で4年生でしたが、中央公論社の『世界の名著』(全88巻)と『日本の名著』(全50巻)をすべて読破したというツワモノでした。幻想文学やオカルティズムなどにも詳しいものですから、わたしがいろいろと質問すると、いつも即答してくれました。「東京にはこんなにも博識の人がいるのか!」と非常に感激し、わたしは彼に尊敬のまなざしを送っていました。
ある朝、その先輩とキャンパスで出会ったので「おはようございます!」と挨拶したところ、なんと無視するのです。それは、わたしだけではありませんでした。どんな知り合いに会っても、彼は「おはよう」と挨拶しないのです。というより、できないのです。会釈もしないで、目を逸らすのです。わたしは、その姿を見て、「いくら大量の本を読んで知識があっても、挨拶ひとつできないなんて!」とショックを受けました。そして、急速に読書への情熱を失っていきました。それと軌を一にして、六本木のディスコに通うようになり、ますます読書とは縁遠い学生生活を送ることになったのです。
わたしは、そのとき、単なる知識のインテリジェンスよりも人間関係のインテリジェンスが大事なのだということを最初に学んだような気がします。ちなみに、その先輩は、現在では高名な思想家として知られ、著書もたくさん刊行しています。
10代の読書、70代の読書
わたしは、年齢によって、本の読み方は変化すべきであると思っています。
『論語』為政篇には次の有名な言葉が出てきます。
「われ15にして学に志し、30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る。60にして耳順(したが)う。70にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
15歳で学問に志し、30になって独立した立場を持ち、40になってあれこれと迷わず、50になって天命をわきまえ、60になって人の言葉が素直に聞かれ、70になると思うままにふるまってそれで道を外れないようになった……この孔子の言葉は、老いることを衰退とせず、一種の人間的完成として見ていることを示しています。
読書も然り。その年代に合った、10代後半から20代の「志学」の読書、30代の「而立」の読書、40代の「不惑」の読書、50代の「知命」の読書、60代の「耳順」の読書、70代の「従心」の読書。つまり、読書によって「人は老いるほど豊かになる」のではないでしょうか。
もちろん、これは理想論ですが、やはり理想は高く持って、豊かな人生を歩んでゆきたいものです。
年齢のよっても読み方が変われば、もちろん立場や役職によって読書の仕方、読む本が変化します。新入社員のときは自分の成功や幸せだけを考えるかもしれません。でも役職が上になるにつれて、責任も重くなり、個人の利益よりも全体の利益を考えることが多くなります。
単なる「自己実現」や「成功哲学」の本よりも、「マネジメント」「リーダーシップ」の本を読む必要が出てきます。
もっとも、新入社員のうちから、自分が幸せになりたいという「夢」ではなく、人を幸せにしたいという「志」を抱くことが大切です。そして、そういう人は必ず周囲が応援してくれて、成功を収めます。また、そういう人は必ずリーダーに昇りつめるでしょう。
最近の経営書には、「志」の重要性について言及しているものが多くなっています。でも、たしには「夢」と「志」を混同しているものが多いのが気になります。
「志」というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値します。「志なき者は、虫(無志)である」というのは松陰の言葉ですが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」といえます。
簡単にいえば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。
社会的に大きな事を成した偉人や成功者の言葉などに触れると、「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」という想いが強く感じられます。つまり、彼らには「夢」ではなく「志」があったのです。
あなたは、何か大いなる事を成したいと考えていますか?考えているなら、ぜひ世のため人のために「志」を立てられるとよいでしょう。あなたの心の焦点が「私」から「公」に移行し、それを宣言したときから、あなた1人の問題ではなくなり、周囲の人々も巻き込まれていきます。そして、ひとたび立てられた「志」は、立てられた瞬間から一時も休まず実現に向かって進んでゆくのです。
あなたの「志」を生むものは読書です。あなたの「志」を育てるものも読書です。そして、あなたの「志」を実現するのは、あなた自身です。まずは、読書ありきなのです。