技術編 第五講
本に線を引く
赤線、事始
私は九州・小倉北区の出身ですが、東京の大学に入学したこともあり、大学時代には東京に1人で住んでいました。私の父親も本が大好きでしたから、出張で東京に来ると、神保町あたりで大量に本を買い入れたりしていました。ところが、当時、親父は会社を経営していたこともあり、たいへんに多忙でしたから、買い入れた大量の本を読む時間がありません。そこでどうしたかというと、私にそれらの本を読むように命じ、大事な部分に線を引いて渡してくれと頼んできたのです。
ずいぶんと不思議なお願いですよね。ただ、これには父親からバイト代が出ましたから、読書好きだった私は趣味と実益を兼ねて、父親が買った本を読み、赤線を引いて、父親に渡す“仕事”をしていました。父親によると、こうするとその本の重要なポイントが一目瞭然でわかるから、すべてを読まずに済み、たいへんに効率的だというのです。
本など自分で読まなければ面白くないだろうと思って始めた“仕事”でしたが、続けているうちに、線引きの方法論の良さを体感しました。まず、その本のどこが重要なのかがわかってくることです。
みなさんも実行してみるとおわかりになると思いますが、当初はさてどこに赤線を引いたらいいのか、これは意外に迷う点です。「ここが大切だ」と思って赤線を引いても、数ページ読んだあとでは「赤線のあとの部分のほうがより重要だったんじゃないか」という迷いが生まれたり、反対に「読み流していたけど、数十ページ前に大切な箇所があったかもしれない」とページをめくり返したり……。
内容の捉え方を鍛える
しかし、慣れてくると不思議とここだけを読んでおけばいいというポイントがわかってきます。赤線を引くポイントが自分の中で明確になってくるのでしょう。内容の捉え方も同時に鍛えられているのです。
線を引くことの効用はいくつかあげられますが、おもなものは次の2点です。
① あとで読み返すときに、その箇所だけを読めばいい
② どの部分に線を引けばいいのかを考えることで、より深く内容の強弱を捉えられる
ここでは②の重要性を感じたわけです。ですから、父親にまかされた“仕事”以外でも、いつのまにやら本に赤線を引くようになってしまいました。
自分が執筆するときは、メインの参考文献はこの赤線で真っ赤になってしまいます。
基本的には、出張に出かける飛行機でも、車中でも、喫茶店でも、自宅でも、読んだその場で線を引きます。
私はこれを父親からの“仕事”として実行するようになったのですが、あらためていろいろな人の読書の仕方を研究してみると、読書家の人たちの中には、この方法をとっている方がかなり多くいることに気がつきました。
大切な箇所ってどこ?
私の方法論を具体的に申しあげますと「アースチックルーラー」という商品を使っています。これは曲がった線を引くのに非常に適した構造になっています。
では大切な箇所とは何か?
私はシンプルに考えるようにしています。
その本を買って、この文章に出会って良かったなと思った部分はすべて大切。つまり線を引きます。初心者はどうしても、たくさん引き過ぎてしまうかもしれませんね。でも、それでかまいません。
自分で決めていることは、1ページ丸ごと引くのだけは避けようということ。なるべく、ところどころは引かない部分を作ってアクセントをつけています。全部が赤くては、本当に重要な部分に引いた赤線が生きません。
一時は小説にまで赤線を引いていたことがありました。さすがに、それだと小説を読むのに赤線引きで中断されて集中できませんし、やはり変なので、〝赤線廃止条例〟を自分で出しました。
自分の心が動いたところ、面白いと思ったところ、初めて知ったところ、大事だと思ったところ、なんでもかんでも赤線を引く。私の場合は、本を書くための参考文献として使えるところも大きいのです。
斉藤孝さんの「3色ボールペン」が話題になりました。
【3色の使い分けの仕方など、簡単に説明しておきたい】
これも色を変えることで利便性を追求しているのですが、私の場合は赤1色だけです。色を変えるのが面倒くさいというのが一番だと思っていたのですが、最近別の理由があることに気がつきました。
結局、何色使っても渾然となってしまうのですね。「これは!」と思ったときに、そのときの心境が不明確なときが多いのです。新しく知って面白いと思ったのか、面白くないけど一応残しておこうと思ったのか、そんなのわかりませんし、「赤にしようか、青にしようか」などと迷っているのでは、読書にジャマにもなります。ですから私が決めたのは「心が動いたところはすべて線引き」という原則です。
「*」の効能
それでも、最重要と重要の2つの分け方だけはしています。青と赤に分けるのもいいのでしょうが、最初に読んだときは、最重要か、重要かわかりません。ある程度読み進んで、はじめて重要性に気づくということもあります。だから、いきなり青とか赤に色づけしてしまうと、あとで変更がきかない。
ですから私は当初、赤線を引いていて、そのうちとくに重要だと思った箇所が出てきたときに赤線を引いた文章の上の空白「*」印を書き込んでいます。さらに重要だと思ったら「*」を2つ、つければいいのです。このほうが応用性が高いと思いますし、実際に重宝しています。
本が好きという方に話を聞くと、「どうしても本に何かを書き入れるということに心理的な抵抗がある」というのです。本を神聖にして侵すべからざるものとしていると、たしかに本への赤線引きに躊躇してしまいます。でも本を実利100%という捉え方をしていると、赤線を引くのが惜しくなくなります。わずか1,000~2,000円程度のものなのですから、売るときにどうしようなんてケチらないでどんどん書き込んでみましょう。
ここでは本を100%味わい、使いつくそうとしていますから、古本屋での買い取り価格のことなど考えるべきではありません。そんなことを考えながら読んで、せっかくお金を出した本から肝心の部分が吸収できないのでは元も子もありません。
本への覚悟と愛情
それと「線を引く」ことにより、世界で1冊しかない、あなたオリジナルの本が誕生します。
「オリジナル本」というのは別にオシャレなものではありません。はっきり言って、汚いものです。なにしろ赤線を引かれ、書き込みもあるわけですから。
傍線や書き込みのある本は、古書店やブックオフでは「傷物」として嫌われます。というより、買い取ってもらえない。赤線を引いたり、書き込みをする目的は、実はそこにもあるのです。わざと傷物にして、売れなくしてしまう。もう、この本は自分がずっと持っているしかない。あとは、捨てるしかない。そこには、覚悟が生まれるわけです。
その本と人生を共にしてゆくと覚悟を持つことによって、本への深い愛情が生まれます。
愛情を持って本を読めば、その内容は心に染み入るはずです。
その本自体は、あなたが生んだ作品なわけですから、ひときわ愛着があるはずです。
また、線を引きながら読むことは読書への集中力を高める方法でもあります。線を引くポイントに集中できることと、線を引きながらその箇所を読むときに一段と理解が強まるということがいえます。当然、本全体についての理解度も格段に深くなります。このように、「目次・まえがき熟読」「線を引く」ことでダブルに理解度はアップするはずです。
線引きを行なうと、よいことがもうひとつ。再読がスピードアップします。「線を引く」「その上に*をつける」だけで、急ぐときは赤線部分だけ読み、ものすごく急ぐときは*部分だけを読む。そうすれば、効果的に再読をすることができます。『論語』や『精神現象学』(ヘーゲル)、『世界宗教史』(エリアーデ)をはじめ、こうやって何度も読む本は多いですよ。
手を動かすのが、脳にインプットする作業のコツです。線を引くことで、通常目で追いかけているよりも何倍も明確に脳へのインプットが可能になります。大事なところに線を引いて、目で追うだけでなく、指でもなぞって読むこと。そういう感覚が読書のクオリティーを高めることにつながります。