技術編 第一講
本が読めないのは頭が悪い…わけではない
読書についての3つの悩み
プロローグでも触れたとおり、読書における悩みには次のようなものがあります。
1 読んでも頭に入ってこない
2 内容を忘れてしまうから、身につかない
3 読書がなんの役に立つのかがわからない
ざっとあげるとこんなところではないでしょうか。こうした悩みを持っている方は意外に多く、だからこそさまざまな読書本にも需要があるのでしょう。
私は北陸大学でリベラルアーツの授業を担当しています。リベラルアーツとは、人間性の育成という観点から行なわれる教養教育のことで、北陸大学ではとくに「礼節、運動、読書、芸術鑑賞」の奨励に力を入れ、カリキュラムが組まれています。カリキュラムの一環として「読書」の講義を行なっているわけですが、受講している生徒の中にもこうした悩みを抱えている学生が少なくないようです。
そして彼ら彼女らは「僕、頭が悪いので……」とか、「私、読書に向いていないんですよね」なんて、冗談半分本気半分で言ってきます。
始めに宣言しておきますが、①~③の悩みは「読書術」を身につけることで、すべて解決可能であり、そうした悩みの原因は、「読書に向いていないから」でも、「頭が悪いから」でもありません。原因はたんにきちんとした方法論を身につけていないことにあります。
つまり問題はこれまでの本の読み方にあるのです。具体的に検証してみましょう。
上司から本を薦められたAさんのケース
――現在の会社に入社して2年目になるAさん。会社の上司から、「もっと経済に強くならなければいけない」と注意され、上司が勧めてくれた300ページを超えるやや厚い本、『日本ケーザイの真実』(日本ケーザイ新聞社。あくまで架空の出版社の架空の本です)を読み始めました。通勤中の電車でページを開くのですが、なかなか内容が頭に入ってきません。それでも、購入した日とその翌日までは、ここで挫けてなるものかと会社の行き帰りに本を開きましたが、3日目には朝の通勤時間に本を開くのが苦痛に感じて、いつものようにケータイゲームに興じてしまいました。このくらいの本は読んでおいたほうがいいとは思うものの、章が進むにつれ高度になっていく内容が無味乾燥に思えて、ページを開くのがついついおろそかになってしまう。気がつけば、『日本ケーザイの核心』はつねにカバンの中に入っているのに、そのページはもうかれこれ1カ月以上も開かれないまま。読んだのは、第2章までと第3章のほんの少しだけ。
そんなとき、上司が思い出したようにAさんに訊ねます。「あの本、読んでたけど、どうだった?」
たしかに「読んで」はいたけれど、頭にはほとんど内容が残っておらず、当然日本経済についての知識が深まったわけでもないAさんはしどろもどろ……。「なんだ、読まなかったのか?」と上司は呆れ顔です。
Aさんはたしかに『日本ケーザイの真実』を読んだわけですが、これでは結局読んでいないともいえてしまうのです。
時間が経つと内容が頭から抜け落ちる
Aさんのように途中で挫折せずに、すべてを読みきったあとでも、「ただ読み切っただけ」という感じをお持ちになっている方も多いのではないかと思います。
時間が経過するとほとんどすべて頭から抜け落ちている、この読書がいつどのように役に立つのかイメージできない、ちょっと難しい本になると歯が立たない……。こうした問題を解決に導くのがこれから第1章で紹介する方法論です。
そして、この新しい方法論で読み終えたとき、あなたは「本を味わい尽くした」ことを実感できるのではないでしょうか。
というのも、これからお伝えする方法論では、読書する前にある程度の準備が整ってしまいます。読書のアウトラインが頭に描かれている状態ですので、実際の読書はその確認作業ということになるわけです。これまで実際の読書はいきなり「本番」でしたが、それが「復習」みたいなものに変化します。未知のものに本番で遭遇するよりも、既知のものをおさらいするほうが負担は少ないに決まっています。
また、内容の理解度も格段に深くなります。読書を終えたあとでも、その内容が頭に残っていて、あなたが好きなときに頭の引き出しから取り出すことも可能です。
この方法論で、あなたの読書は間違いなく変わり、あなた自身も変わるはずなのです。
それでは、いよいよ具体的な方法論の紹介へ入っていくことにしましょう。