ハートフル・メッセージ サンレー会員様へのメッセージ『ハートライフ』連載 第24回

「映画で心ゆたかになろう!」

みなさんは、映画を観るのは好きですか?

映画館に行って、映画を観ていますか?

わたしは映画が大好きです。映画を観れば別の人生を生きることができますし、世界中のどんな場所にだって、いや宇宙にだって行くことができます。さらには、映画を観れば、死を乗り越えることだってできます。

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。

わたしは、映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると考えています。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。

「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。すなわち、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ映画の誕生以来、時間を超える物語を描いたタイムトラベル映画が無数に作られてきたのでしょう。

そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。

たくさんの映画を観るうちに、わたしは奇妙な現象が起きていることに気づきました。どんな映画を観ても、グリーフケアの映画だと思えてきたのです。ジャンルを問わず、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。

この不思議な現象の理由として、わたしは三つの可能性を考えました。一つは、わたしの思い込み。二つめは、映画に限らず物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。三つめは、実際にグリーフケアをテーマとした映画が増えているということです。わたしとしては、三つとも当たっているような気がしていました。

わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。それによれば、何を見ても「グリーフケア」に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の要素があるのだといいます。

哲学者アリストテレスは『詩学』第六章で、「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定しましたが、この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるというのです。

しかし、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな、「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となる可能性がある。そのような考えを鎌田先生は示して下さいました。

死別の悲嘆に寄り添うグリーフケアは、わたしの人生と仕事におけるメインテーマのひとつです。社長を務めるサンレーでは2010年から遺族の方々のグリーフケア・サポートに取り組んできましたし、副会長を務めた一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会では、グリーフケアPTの座長として、グリーフケア士の資格認定制度を立ち上げました。

2018年からは上智大学グリーフケア研究所の客員教授も務めさせていただき、そこでは、「グリーフケアとしての映画」をテーマに、具体的な作品の紹介も含めて講義をしました。さらには、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とするグリーフケア映画「愛する人へ」の製作も決定し、2024年の公開を予定しています。

みなさんも、たくさん映画を観て、心ゆたかになって下さい!