ハートフル・メッセージ サンレー会員様へのメッセージ『ハートライフ』連載 第27回

「死と葬と供養の新しいかたち」

このたび、わたしは、ペンネームの一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として二冊の本を書きました。『ロマンティック・デス 死をおそれない』、『リメンバー・フェス 死者を忘れない』です。

まず、ロマンティック・デスとは何か。直訳すれば「美しい死」ということになるのでしょうか。わたしは、「死を美化したい」と思いました。死は美しくなければならないと思いました。なぜなら、わたしたちは死を未来として生きている存在だからです。

未来は常に美しく、幸福でなければなりません。もし死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在であるわたしたちの人生そのものも、不幸だという事になるからです。

わたしたちはこの世に生を受けた瞬間から「死」に向かって一瞬も休まずに突き進んでいます。ですから残された時間を幸福に生き、幸福に死にたい。これはわたしだけではなく誰もが願うことでしょう。

わたしたち全員が「死」のキャリアであり、あらゆる人々が「死のロマン主義」を必要としているのではないでしょうか。

死は決して不幸な出来事ではありません。なぜなら誰もが必ず到達する「生の終着駅」だからです。死が絶対の存在なら、死を避ける、あるいは死を考えないのではなく、素晴らしい終着駅にするべきではないでしょうか。

わたしは『ロマンティック・デス』に三つのテーマを与えました。まず一つは「死」とは何か。わからない死をイメージするための手助けになればという思いです。二つ目は「月」としました。死後の世界観を示す試みです。三つ目は「葬」です。現代社会において、「葬」の役割を、普遍的なものと変わるべきものでとらえなおす作業となりました。

次に、リメンバー・フェスとは何か。それは供養のアップデートです。「盆と正月」という言葉が今でも残っているくらい、「お盆」は過去の日本人にとって楽しい季節の一つでした。一年に一度だけ、亡くなった先祖たちの霊が子孫の家に戻ると考えたからです。

日本人は古来、先祖の霊に守られて初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。その先祖に対する感謝の気持ちを「供養」という形で表したものが「お盆」です。

一年に一度帰ってくる先祖を迎えるために迎え火を焚き、各家庭の仏壇でおもてなしをしてから、送り火によってあの世に帰っていただくという風習は、現在でも盛んです。同じことは春秋の彼岸についても言えますが、この場合、先祖の霊が戻ってくるというよりも、先祖の霊が眠っていると信じられている墓地に出かけて行き、供花・供物・読経・焼香などによって供養します。

それでは、なぜこのような形で先祖を供養するのかというと、もともと二つの相反する感情からはじまったと思われます。一つは死者の霊魂に対する畏怖の念であり、もう一つは死者に対する追慕の情。やがて二つの感情が一つにまとまっていきます。

死者の霊魂は死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれる祖霊という存在になります。かくて日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。

サンレーは冠婚葬祭互助会です。毎年、お盆の時期には盛大に「お盆フェア」を開催して、故人を供養することの大切さを訴えています。しかしながら、小さなお葬式、家族葬、直葬、0葬といったように葬儀や供養に重きを置かず、ひたすら薄葬化の流れが加速している日本にあって、お盆という年中行事が今後もずっと続いていくかどうかは不安を感じることもあります。

特に、Z世代をはじめとした若い人たちは、お盆をどのように理解しているかもわかりません。お盆をはじめとした年中行事は日本人の「こころの備忘録」であり、そこにはきわめて大切な意味があります。

お盆が古臭い、形式的なもので、なぜあるのかわからない。お盆って夏休みじゃないの。お盆なんかなくなってもいいのでは―でも、わたしは先祖を供養してきた日本人の心は失ってはいけない、と思っています。お盆という形が、あるいは名前が現代社会になじまないなら、新しい箱(形)を作ればいいのでは。そんな思いに行きつきました。それが「リメンバー・フェス」です。「リメンバー・フェス」は「お盆」のイメージをアップデートし、供養の世界を大きく変えます。