平成心学塾 社会篇 人は、かならず「心」に向かう #006

第五講「相互扶助というコンセプト」

第五講「相互扶助というコンセプト」

 

「汝自身を知れ」とはデルフォイの神殿に刻まれた言葉だが、四〇億年という地球の生物史のなかで、人類は初めて自らを知ろうと挑戦した生物である。この二五〇〇年ものあいだ、宗教や哲学や科学などの営みによって、人間は自分自身について知ろうとしてきた。
ソクラテスの昔から、現在に至るまで、自分自身を知るための「方法」や「手段」はさまざまなものが開発されてきた。しかし、チャールズ・ダーウィンが一四〇年前に発見した進化論ほど、この点でパワフルなものはなく、進化論こそが本当にデルフォイの神話を実現できるところまで、私たちを導いてくれる。そう主張するのは、進化生物学者の佐倉統氏である。
佐倉氏は著書『進化論の挑戦』で、「なぜ人は道徳的でなければならないのだろうか」という問題を提起している。古来多くの倫理学者や哲学者がこの問題を論じてきた。そして、いまだに決着がついていない。古今東西のせきがく碩学たちがああでもない、こうでもない、と論じてきて、いまだに論じ尽くされていない問題というのは他にもいくつかあるが、そういった問題というのは問いの立て方か解決へのアプローチの仕方が、どこか間違っているのだと佐倉氏は述べる。そうでなければ、優秀な頭脳がこれだけ長期間考えて解決に到達できないはずがないというのだ。
プラトンやアリストテレスやカントやヘーゲルが、あれこれと考えて結論が出なかった問題を、彼らと同じように取り扱ってもダメである。私たちは、私たちの時代と知識を総動員して、違ったアプローチをしなければ前轍を踏むだけなのである。そして倫理の問題とは実は自然科学で扱うべき問題なのだという発想が出てくる。というのも、プラトンやカントと比べて私たちが圧倒的に優れているのは、まさにこの、自然科学の知識だからである。つまり、自然科学で勝負できるような形にして、はじめて私たちは彼らを超えることができるのかもしれない。逆にいうと、自然科学の土俵に持ち込めなければ、私たちに勝ち目はない。解決のめどは立たず、先人たちと同じような場所で堂々めぐりを繰り返すだけだろう。「哲学は終わった」というヴィトゲンシュタインの言葉を、佐倉氏はそういった意味でとらえている。
さて、進化論の立場から人間の倫理を論じる分野を「進化倫理学」というが、この分野もダーウィンにはじまる。ダーウィンは一八五九年に『種の起源』を発表して自然選択理論を唱えたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていなかった。これはダーウィンの戦略だったと言われている。宗教界をはじめ、いらぬ反発を最初から呼び覚ますこともあるまい、という慎重な判断である。そして、進化論が広く知れわたった一二年後の一八七一年、人間の進化を真っ正面から論じた『人間の由来』を発表する。この本の第五章は「原始時代と文明時代の知的および道徳的能力の進化」というタイトルで、人間の道徳性が動物から由来し、自然選択による進化によって獲得されたという説を展開するのである。
ダーウィンは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのである。そのような環境下では、お互いに助け合う方が適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだ、というわけだ。
このダーウィンの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル=クロポトキンである。クロポトキンは、一般にはアナキストの革命家として知られているが、ロシアでの革命家としての活動は一八八〇年半ばで終わっている。その後、イギリスに亡命し当地で執筆し、一九〇二年に発表したのが『相互扶助論』だ。ダーウィンの進化論の影響を強く受けながらもそれの「適者生存の原則」「不断の闘争と生存競争」を批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本である。この本はトーマス・ヘンリー・ハクスレーの随筆に刺激されて書かれたという。
ハクスレーは、自然は利己的な生物どうしの非常な闘争の舞台であると論じていた。この理論は、マルサス、ホッブス、マキアヴェッリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャのソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくむ。その考え方とは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解である。それに対して、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想から抽出された異なる伝統を主張した。つまり、人間は高潔で博愛の精神を
持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられる、という考え方である。平たく言えば、ハクスレーは性悪説、クロポトキンは性善説と言えよう。
『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てくる。博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素として重要なものであることをつとに認めていた。それは一八二七年のことだが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねた。そして、エッカーマンが飼っていた二羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣のなかでそのヒナと一緒に養われていたという話をした。ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の汎神論的思想がそれによって確証されたものと思った。「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行われていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎は立ちどころに解けてしまう」とゲーテは言った。さらに翌日もそのことを語りながら、必ず「無尽蔵の宝庫が得られる」と言って、動物学者だったエッカーマンに熱心にこの問題についての研究を奨めたという。
クロポトキンによれば、きわめて長い進化の行程のあいだに、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきた。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駈けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではない。愛よりは漠然としているが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすのだというのだ。
クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べている。生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。
クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしなかった。彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのである。「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べている。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあう。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じる。
相互扶助のメカニズムを解明するには、現代の進化生物学や、「人の心の歴史」をさぐる進化心理学の見方に照らし合わせてみるとわかりやすいだろう。人類は、数百万年前から共同体を形成して、そのなかで暮らすという環境で進化してきた。アリやハチなど、社会をつくる生物は珍しくない。しかし、社会生活からこれほどの利益を得ている動物は、脊椎動物のなかでは人間の他にはそう多くない。
通常、群れで暮らすことのメリットは、外敵から身を守る、情報を交換して良い餌場を見つける、交尾相手を効率よく見つけられるなどがあるが、人間の場合には、これらに加えて育児を共同で行うという大きな利点がある。人間は育児の負担がきわめて大きい動物だ。哺乳類や鳥類は、おしなべて育児のための世話の量が大きい。これがたとえば魚だと、ふか孵化したあとの子どもの面倒などほとんど見ない種類も多いが、鳥は普通はヒナにきゅうじ給餌するし、哺乳類は授乳しなければならずメスの育児負担はかなりのものになる。
人間だと、この負担はさらに大きくなる。新生児は自力ではまったく移動できないので、栄養を完全に親に依存している。それだけなら他の哺乳類や鳥でも同じことだが、授乳期間が約一年と、きわめて長い。イヌやネコが、生後半年から一年もたてば成年に達してしまうのとは大きな違いである。
人間の場合は、生後だけでなくそれまでの妊娠期間も長く、その間の母体への負担も大きなものがある。それに出産行為が大変だ。人間は直立二足歩行によって産道が狭くなったため新生児が通り抜けるのが困難で、それゆえに生まれつき難産なのである。地球上に生息する五〇〇〇万種のなかで、最も難産なのがホモ・サピエンスだという。それだけ出産時の母体の消耗も激しいから、産後の世話は育児だけでなく母親についても必要となる。共同体で生活することが必要なゆえんである。もし人類の祖先が社会生活を選択していなければ、人間は生き残ってはいなかっただろう。
互恵的利他行動が進化しうる条件には、同じメンバーとの長期間のつきあい、個体識別、すぐれた記憶力などがあげられるが、人間ほどこれらの条件を満たしている動物は他にいないとされる。つまり人間は共同体で暮らす必要があり、さらに、共同体生活における互恵的利他行動をさかんに行うだけの条件を満たしているのだ。とすれば、互いに助け合うという人間の特徴、さらには、他人に親切にしなければ何となく悪いことをしたと感じる心など、すべて、人類の祖先のこのような環境によって進化してきた形質だと考えてもいいだろう。
人間の場合には、ただ互恵的利他行動が成立する条件を満たしていたというだけではない。その高い知能は、現象の因果関係を解明し、未来をシミュレーションすることもできる。だから、何かがうまくいったときに、その原因が一致協力してことに当たった点にあると推測することも可能だ。これは、協力行動つまり利他行動のメリットをさらに大きくすることになる。先を見て、今は損かもしれないが、長い目で見れば考慮する余地があるということがわかるのだ。むしろ積極的に協力するべきだということがわかるのである。
クロポトキンはダーウィンのような機械論的進化論者ではなかった。ただし彼には、相互扶助によってどうしてこのような進化の足がかりができるかを説明することはできなかった。彼に言えたことは、社交的な種族や集団のほうが、社交的でない者たちよりも生存競争に勝てるということだけだった。この考え方は生存競争と自然淘汰説の一段階を飛ばしたものにすぎない。つまり、個体ではなくグループ単位で考えているのである。ともあれ、クロポトキンは一世紀のちに政治、経済、そして生物学の世界に大きな影響を与えることになる疑問を投げかけたのである。もし生きることが競争に勝つための戦いだとしたら、どこでもかしこでも協力や利他的行為が見られるのはなぜだろう。特に人間は熱心に協力しあうが、それはなぜなのか。そもそも人間は本能的に非社会的動物なのだろうか、それとも社会的動物なのだろうか。
この人間社会のルーツをさぐってゆくと、クロポトキン説の半分は正しいが、社会のルーツは私たちが思っているよりもはるかに深いところに横たわっていることがわかる。社会が機能できるのは、人間が意識的に社会をつくったからではない。社会は人間の進化した性質によってはるか昔に生み出されたものだからなのである。社会とは、文字どおり、人間の本性のなかにあるのだ。
オックスフォード大学で動物学を専攻し、英国「エコノミスト」誌の科学関係の記者として活躍するマット・リドレーは、著書『徳の起源 他人を思いやる遺伝子』において、「人間は、人嫌いであるくせに、人と交わらずには生きてゆけない」と述べている。現実的なレベルにおいても、人類が完全に独立独歩で生きてきた、つまり、仲間と生きるための技術を交換しあうことなくたった一人で生きていたと言えるのは、おそらく百万年以上前のことだろう。人間の仲間に対する依存度は、他の類人猿やサルよりもはるかに大きい。人間はどちらかといえば、集団の奴隷として生きているアリやシロアリに近いのである。ほとんどの場合、美徳は親社会的行動とされ、悪徳は反社会的行動とされる。クロポトキンは、相互扶助が人間という種にとって大きな役割を果たしていると強調した点においては、まったく正しかった。だが、そのコンセプトを他の動物種にも当てはめることができると考えたところに間違いがあり、動物を擬人化しすぎていたと言える。人類を他の動物から区別し、生態系のなかで優位な存在にしている理由の一つは、私たちが非常に高度な社会的本能を数多く持っていることだとリドレーは述べている。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのである。
「人間は社会的動物である」と言ったのはアリストテレスだが、近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかる。人間が生物学的に成功したのは、ひとえに共同体とその協力行動のおかげだ。ただしここでいう共同体とは、構成メンバーが互いに直接顔を合わせることのできる範囲、すなわち、村である。もともとは血縁関係を基本にして構成されてきたこのような共同体は、相互協力行動や相互利他行動、つまりは「相互扶助」の単位でもある。
共同体に属さず、放浪の旅を続ける者もいる。いわゆる「旅人」や「異邦人」だが、こういった存在に対し、共同体の人々はいい知れぬ不安を抱く。異邦人に対する愛や親切さを「フィロクセニア」と呼ぶ。隣人愛といってもよいが、当然ながらフィロクセニアはホスピタリティに通じている。逆に、よそもの嫌いの感覚を「ネオフォビア」というが、人間誰しも本能的に持っている感覚だ。チュニジア生まれの社会学者アルベール・メンミは、このネオフォビアこそが人種差別の根底にある感覚だと喝破している。
ところが現代の大都市というのは、こういったよそ者、旅人、異邦人が大集合してできたものである。そこには相互扶助も共同体も、そもそも存在しえないのだ。だが一方で、都市には「匿名性の快楽」とでもいうべき都会の気楽さというものがある。匿名性の快楽は、おそらくは共同体からの拘束と表裏一体をなす。古今東西どんな共同体でも、無礼講の緩衝地帯とか、年二回の村祭りとか、そのためのガス抜きシステムを内在化してきた。いかに共同体を人間の心が求めているといっても、共同体からの制約を受ける一方では息苦しくなる。だから、日常(ケ)の共同体生活を維持するためにこそ、そこからの逸脱(ハレ)が必要となるのだ。そして都市とは、こういった定期的ガス抜きシステムの部分だけを肥大化させたものとも考えられる。つまり都会の生活とは毎日がハレであり、それゆえに都会生活者は疲れるのである。
都会の長所を活かしたまま、共同体を復活させることは可能だろうか。かなり困難な問題だが、そこを突破しないと社会は機能しなくなってしまう。もちろん昔ながらの共同体を復活することはできないし、またその必要もない。従来の共同体と同じ役割のものが再生できれば、それでよい。インターネットなどの電子メディアは、ひょっとしたらその機能を代替しうるかもしれない。考えてみれば、いろんなホームページの最後に張ってある「リンク」というシステムは、きわめて相互扶助的であると言えるだろう。
第二次世界大戦後、日本の企業はまさに共同体の役割を果たしてきた。そこは、所属する人々にとって、働く場であるだけではなく、生活の場だった。大企業であれば、住居も学校も娯楽も老後の世話も、すべて、カイシャという名の共同体が担っていた。しかし経済成長の鈍化などさまざまな理由で、企業にそれだけの力はなくなってしまった。倒産やリストラによって、別の共同体に移るよう強制されても、もはや戻るべき共同体は残されていない。企業共同体に身も心も捧げていたあいだに、血縁共同体や地域共同体はほとんど崩壊してしまったのである。結局、二十一世紀における私たちの課題というのは、共同体の新しい形を構築していくことなのだ。もちろん、インターネットはその可能性の一つだが、実生活においても共同体の新しい形が求められている。
実生活での新しい共同体像を幼稚園、小中学校、あるいは老人会などに求める人もいる。しかし、それでは年齢的にあまりにもセグメントされすぎてしまう。また、農協や生協などに求める人もいそうだ。たしかに一時期、農協や生協は共同体的機能を果たしたことがあると私は思うが、すでにその役割を終えていると言える。
むしろ、日本では冠婚葬祭互助会、いわゆる互助会に注目するべきである。互助会はその名の通り、「相互扶助」そのものをコンセプトとした組織で、終戦直後に横須賀市で生まれ、全国に広まっていった。その歴史は五十五年ほどであるが、実はきわめて日本的な風俗・習慣に根ざした「結」や「講」にルーツはさかのぼる。
「結」は、奈良時代からみられる共同労働の時代的形態で、特に農村に多くみられ、地域によっては今日でもその形態を保っているところがある。この共同労働は労働の相互提供であり、田植えや収穫時期、あるいは屋根のふきかえなどを通して労働力が対等に交換されることを原則としている。また、この相互の労働力の交換は、その根底に労働に対する「賃借」の観念があり、そのことが今日に至って結婚式や葬儀といった互助会活動の「役務提供」に姿を変えて反映したといえる。
一方、「講」は、「無尽講」や「頼母子講」のように経済的「講」集団を構成し、それらの人々が相寄って少しずつ「金子」や「穀物」を出し合い、これを講中の困窮者に融通し合うことをその源流としている。いわゆる互助的無利息融通組合ともいえるもので、この「講」の歴史は鎌倉時代までさかのぼることができる。特に、この経済的「頼母子講」の特色は、親と呼ばれる発起人と数人ないし数十人の仲間で組織が作られ、一定の給付すべき金品を予定し、定期的にそれぞれ引き受けた口数に応じて、くじ引きや入札の方法で、順次金品の給付を受ける仕組みとなっている。このシステムは関西に始まり、江戸時代に関東へと広まり、庶民の金融機関として全国に普及した。
「講」はまた、日本の同業組合の先駆でもある。鎌倉時代の僧・重源は全国の山岳寺院の「講」参加を呼びかけ、源平の争乱に焼け落ちた東大寺の復興をなしとげた。衰微した中国の天台山復興も「講」を用いて日中共同プロジェクトで成功させた。
実は、いま寺院や美術館で見られる運慶や快慶を頂点とする鎌倉美術や鎌倉建築のほとんどが、「講」の遺産なのである。また、鎌倉後期に仏教の戒律を復興し、真言律宗を組織した叡尊や忍性は、「講」を募って癩病救済や貧民救済の事業を起こしたが、日本の福祉事業のルーツもほとんどこのような「講」から始まったのである。この二人の活動は日本のボランティア活動の最初の頂点を築くものとして、また、介護問題が重視されている今日的な課題の発端を築いたものとして、いま、とりわけ高く評価されている。
このような「結」と「講」の二つの特徴を合体させ、近代の事業として確立させたのが冠婚葬祭互助会の経営システムである。日本的伝統と風習文化を継承し、「結」と「講」の相互扶助システムが人生の二大セレモニーである結婚式と葬儀に導入され、互助会を飛躍的に発展させる要因となった。
その互助会が提供するサービスは、結婚式や葬儀のみではない。初宮祝、七五三、成人式、長寿祝、法事・法要といったあらゆる人生の通過儀礼から、介護や旅行、あるいはリフォームといった分野にまでその視野は広まりつつある。結婚式・葬儀以外のそれらのサービスを「第三役務」というが、会員のニーズやウオンツをつかんでそれを形にしたとき、互助会は二十一世紀の新しい共同体としての姿を浮き彫りにできるだろう。それは、限りなくかつての「村」に近づくことでもある。互助会は新時代の「MURA(ムラ)」の創造をめざすべきなのだ。
互助会がコンセプトとする「相互扶助」は、会員間の互恵行為のみならず、広く人類社会に向っている。互助会の全国組織である社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)は会員企業、さらには互助会会員からの募金による「社会貢献基金」を運営し、さまざまな団体に対しての助成を行っている。
国内では、知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスの開催や、弱視の人々のために国や企業が実施していない拡大字の地図の製作、リフト付き福祉バス車両運行活動のために必要不可欠な「ストレッチャー」の設置など。
海外においても、バングラデシュ農村地域の感染性下痢症対策のプライマリヘルスケアの一環としてORS(経口補水塩)治療の指導と、閉鎖式トイレの建設・設置。モンゴル国ウランバートル市のホッタイルという施設で、ストリートチルドレンや家庭があっても貧困のため、最低限の生活も保障されていないような子どもを保護し、衣食住、教育、医療を提供。そして、ケニア共和国の教室の足りない小学校のために新規教室の建設、などなど十前後のプロジェクトに対して、毎年、助成金を交付している。
私は全互協の理事とこの社会貢献基金の委員を兼任しているが、世界中に実に多くの人々がNPOやボランティア・サークルを通じて、さまざまな支援活動を展開していることに驚かされる。ちなみに二〇〇四年度は二一九件もの助成金交付の申し込みがあり、審査の結果、九つのプロジェクトが選ばれた。互助会が真の意味での「相互扶助」の実現をめざすうえで、社会貢献基金による助成活動の意義は非常に大きいと言える。
そして「相互扶助」の理念をさらに世に広めるなら、「福祉市民社会」というキーワードが出てくる。社会学者の加藤春恵子氏によれば、福祉市民社会は「スウェーデン型福祉国家」と「アメリカ型自助救済社会」との中間に位置し、福祉国家を基盤にした福祉社会を築いてきたフランス、ドイツ、イギリスなどの社会を総称するものだという。公共セクターの福祉活動を医療・年金・社会サービスについて一定のレベルまで組み上げたうえで、さらに、市民社会の力による非営利民間セクターの働きを加えて福祉の諸問題に取り組んでいる社会である。
一九九〇年代以降、スウェーデン型の福祉国家は、公的セクターの比重が高いことから、財政難に直面して「福祉の曲がり角」が論議されている。また、アメリカ型の自助救済社会は、営利セクターや民間非営利セクターの比重を高くし、公的セクターの比重を低くしてきたが、その不平等性が顕在化している。「日本型福祉社会」にしても、家族や友人といったインフォーマル・セクターの女性の無償労働に依存するなど問題点は多い。二一世紀においては、市民社会と福祉国家の発達を前提にして、市民の権利意識と自発的なパワーにより支えられる社会を築くことが必要であり、そのような社会が福祉市民社会であると言えよう。
それは、市民の要求によって国家・自治体が福祉国家をめざして取り組み、行政による福祉サービスがある程度まで普遍的に行われる状態に達した段階で、その骨格を維持する。そして、税・社会保障負担が無制限に膨張したり官僚制によって弊害が生じるのを防ぐために、市民がNPOのワーカー(職員)あるいはボランティアとして有給ー無給で働いてサービスを活性化させ、公的セクターと非営利セクターとを組み合わせることによって、福祉サービスを維持・発展させていく社会である。
市民の力をどのような形で結集して社会に現していくか。それをめぐる方法によって、福祉市民社会のありようはさまざまである。労働組合・共済組合・協同組合などが福祉に関わって政府と交渉し、サービスを創り上げていく社会もあるし、教会が大きな働きをする社会もある。フランスやドイツなどを中心とするヨーロッパの非営利協同セクターなどもこうしたタイプの福祉市民社会だと言える。
これに対して、イギリスにはタイプの異なる福祉市民社会がある。サッチャー政権はアメリカ流の自助救済型への舵取りを狙って市民の抵抗にあい、結局は果たせなかった。「この世に社会など存在しない。ただ個々人のみが存在する」というサッチャーの言葉は有名だが、まさにイギリスは、個人から出発する市民社会である。個人の自発的・創造的なパワーがコミュニケーションによってつなぎ合わされ、非営利市民組織の活動となって現われ、公的セクターと非営利セクターとの組み合わせにより人々の安心と満足を生み出していく。その背後には、神と対話する個人の自立と隣人愛とをともに強調するキリスト教の文化がある。しかし、カトリックの強い社会のように宗教団体がそのまま福祉の担い手となるのではなく、イギリスの宗教文化はあくまで個々人のバックボーンとなっている。非営利市民組織のワーカーという職業を選択したり、市民活動のために寄付をしたり、ボランティアという形で、金銭や時間を寄贈するという行為を通して社会に影響を及ぼしていくのだ。
そのような「イギリス型福祉市民社会」の成功例とされるのが、ロンドン郊外のノースケンジントンである。黒人差別による混乱と暴動事件を起点として多文化社会を形成し、上から下へのお恵みのチャリティ活動から市民の手によるコミュニティ・ワークへと展開してきた。市民意識を育てつつ、現代史のプロセスの先頭を切って、市民自らの手で「福祉社会」を築き、「福祉国家」をより人間的なものに発展させながら変貌を遂げてきた社会、それがノースケンジントンである。開かれた高齢者ネットワークとしての「オープン・エイジ・プロジェクト」をはじめ、ノースケンジントンで行われている実験の数々は世界中から熱い注目を浴びている。
そのノースケンジントンをフィールドワークした加藤氏は、市民間のコミュニケーションを何よりも重視する。そして、コミュニケーションの活性化は、市民の活動資金の流れの活性化と並んで、市民社会、福祉社会、福祉市民社会の展開の鍵だと主張している。
建築のバリアフリー化など、制度やハード面での整備が進む日本の社会だが、まだ不十分なものがあると加藤氏は言う。それは「福祉国家」に対峙し、国や自治体による制度を主体的に受けとめ、コミュニケーションを重ねて、改善をうながし、人々のニーズに応えるNPO活動を創造して公的福祉の骨組みに肉づけしていく「市民社会」であり、市民による市民のための「福祉市民社会」の具体的なメカニズムである。このような市民社会の成熟がなければ、明日の日本社会のための政策決定過程の道筋は見えてこないし、年金の将来も霧のなかである。さらに、「国民」だけの閉鎖的な社会ではなく、海外から流入してくる労働者も含めた多文化共生社会を創るための用意も不十分であると言えよう。ノースケンジントンは、日本の将来を考えるうえでも多くのヒントを秘めた町なのだ。
そして、日本においては多くの問題点を残しているとはいえ、今日必要とされる市民にとってのコミュニティを考えたとき、やはり、非営利組織つまりNPOの重要性を再認識させられる。ピーター・ドラッカーによれば、誰もが自由に選べるコミュニティが必要となるなかで、NPOだけが、教会から専門分野別の集団、ホームレス支援から健康クラブにいたる多様なコミュニティを提供できるのである。しかもNPOだけが、もう一つの都市社会のニーズ、すなわち市民性の回復を実現しうる唯一の機関だからだ。それはNPOだけが一人ひとりの人間に対し、ボランティアとして自らを律し、かつ世の中を変えていく場を与えるからである。
ドラッカーのNPOに対する期待の大きさは大変なもので、なにしろ、二一世紀の人類社会をマクロに予見した彼の名著『ネクスト・ソサエティ』は、次の一文で終っているのだ。
「二〇世紀において、われわれは政府と企業の爆発的な成長を経験した。だが二一世紀において、われわれは、新たな人間環境としての都市社会にコミュニティをもたらすべきNPOの、同じように爆発的な成長を必要としている。」(上田惇夫訳)
クロポトキンが人類を含めた生物の本能として見出した「相互扶助」は、壮大な二〇世紀の実験となった社会主義国家などではなく、地球上の市民一人ひとりが世の中を変えていく場としてのNPOにこそ受け継がれている。「相互扶助」こそは、NPOのコンセプトなのである。