「礼法は人間関係を良くする」
2021年4月11日、男子ゴルフの米マスターズ・トーナメントで、松山英樹選手が日本男子で初制覇しました。
そのとき、松山選手を支えた早藤将太キャディーが最終18番グリーンでピンをカップに戻した後、脱帽してコースに向かって一礼したふるまいが世界中で絶賛されました。
わたしは、このエピソードに静かな感動をおぼえました。それは、早藤キャディーの「一礼」に対してはもちろんですが、日本人なら何ということのない「一礼」が世界中の人々に感動を与えた事実を素晴らしいと思いました。この年、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、莫大な費用をかけて東京五輪が強行開催されたことは記憶に新しいですね。一方で、礼をするというノーコストの振る舞いで世界中の人の心を動かし、日本のイメージを大いに向上させたことは快挙ではありませんか。
「一礼」とは「お辞儀」のことですが、それは世界中の人々に感動を与えるぐらい美しいのです。わたしの父である佐久間進(サンレーグループ会長)は実践礼道小笠原流という礼法の宗家として、ブッダの「八正道」ならぬ「八美道」を提唱しています。「自分には正しいことはわからなくても、美しいことはわかる」というわけですが、その「美しいこと」の象徴が礼法なのです。早藤キャディーの「一礼」に感動した人々も、「正しさ」ではなく「美しさ」を感じたのでしょう。
コロナ禍の中にあって、わたしは「礼」の価値を再考しています。特に「ソーシャルディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表せる小笠原流をはじめとする日本の礼法が、「礼儀正しさ」におけるグローバルスタンダードにならないかなどと考えています。なぜならば、西洋式の握手・ハグ・キスではコロナ時代にマッチしないからです。
じつは父だけでなく、わたしも礼法家の端くれです。大学時代に小笠原流礼法を学び、1989年5月20日、小笠原家惣領家第三十二代当主・小笠原流礼法宗家の小笠原忠統先生から免許皆伝を受けました。そのため、わたしが社長を務めるサンレーでは何よりも「礼」を重んじ、冠婚葬祭に必要な、「思いやり」「つつしみ」「うやまい」といった精神を、小笠原流の礼法をもって示しています。
そもそも礼法とは何でしょうか。原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。自分を守るために、弓や刀剣などの武器を携帯していたのですが、突然、見知らぬ人に会ったとき、相手が自分に敵意がないとわかれば、武器を持たないときは右手を高く上げたり、武器を捨てて両手をさし上げたりしてこちらも敵意のないことを示しました。
相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化し、発展して、今日の礼法として確立されてきたのです。
ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。礼法こそは最強の護身術なのです。
さらに、わたしは、礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。
本当に大切なものとは、人間の「こころ」にほかなりません。その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるものこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、所作であり、お辞儀であり、笑顔などではないでしょうか。それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。