一条真也のこころの世界遺産 『朝日新聞』連載 2016.03.20

『慈経』

先日、わたしは生まれて初めてインドに行った。現地では、聖なるガンジス河をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの一連の仏教聖地を巡った。

 その道中、わたしのバッグには『慈経 自由訳』(三五館)という本がいつも入っていた。
 ブッダの最初の教えとされるお経をわたしが自由に訳したもので、帯には「親から子へ、そして孫へと伝えたい『こころの世界遺産』」と大きく書かれている。
 わが社では、北九州市の門司港にある日本唯一のミャンマー式寺院である「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいている。
 そのご縁で、2012年8月、わたしはミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンダパラ大僧正とお会いし、1冊の本を手渡された。それは、『テーラワーダ仏教が伝える 慈経』という本であった。
 テーラワーダ仏教とは「上座仏教」のことで、ブッダの本心に最も近いとされる仏教である。
 大乗仏教の「般若心経」に相当する上座仏教における根本経典の「慈経」のメッセージに魅了されたわたしは、それを自分の心のままに訳すことを決意した。そして、2014年3月に上梓することができた。
 「慈経」で説かれているメッセージには仏教という枠を超え、「論語」や「新約聖書」にも通じるものがある。つまりは普遍的な教えだということであろう。
 ブッダが説いた「慈しみ」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれる。
 生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を重視した。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために、「安らかであれ、幸せであれ」という「慈経」のメッセージを残したのである。