『和』は日本精神そのもの
こんにちは、一条真也です。
このたび、最新刊『和を求めて』(三五館)を上梓(じょうし)しました。
わたしの80冊目の著書となります。「なぜ日本人は平和を愛するのか」というサブタイトルがついています。さまざまなテーマを取り上げながら「日本人とは何か」を追求した内容であり、『礼を求めて』および『慈を求めて』(ともに三五館)の続編です。
「和」は日本文化のキーワードです。多くの宰相を指導した陽明学者の安岡正篤によれば、日本の歴史には断層がなく、文化的にも非常に渾然(こんぜん)として融和しているといいます。征服・被征服の関係においてもそうです。諸外国の歴史を見ると、征服者と被征服者との間には越えることのできない壁、断層がいまだにあります。しかし、日本には文化と文化の断層というものがありません。天孫民族と出雲民族とを見ても、非常に早くから融和しています。
三輪の大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)は大国主命(おおくにぬしのみこと)、それから少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀(まつ)ってありますが、少彦名神は出雲族の参謀総長ですから、本当なら惨殺されているはずです。それが完全に調和して、日本民族の酒の神様、救いの神様になっているのです。『古事記』や『日本書紀』を読むと、日本の古代史というのは和の歴史そのものであり、日本は大和の国であることがわかります。
「和」を一躍有名にしたのが、かの聖徳太子です。太子の十七条憲法の冒頭には「和を以て貴しと為(な)す」と書かれています。聖徳太子は、574年に用明天皇の皇子として生まれました。本名は「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」ですが、多くの異名を持ちます。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、622年に没しています。内外の学問に通じ、『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』を著したとされます。
また、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立しました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞などは「和国の教主」と呼びました。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありません。その真価は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたことにあります。
日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいます。
よく「日本教」などとも呼ばれますが、それを一種のハイブリッド宗教としてみるなら、その宗祖とはブッダでも孔子もなく、やはり聖徳太子の名をあげなければならないでしょう。
聖徳太子は、まさに宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして、自然と人間の循環調停を神道が担う…。3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。
この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学(せきもんしんがく)、そして、今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。
たとえば、冠婚葬祭の「神前結婚式」は純粋な神道儀礼ではなく、そこには儒教の要素が大きく入り込んでおり、いわば「神・儒合同儀礼」です。また「仏式葬儀」にも儒教の要素が大きく入り込んでおり、「仏・儒合同儀礼」ともいえるハイブリッド・セレモニーなのです。
その聖徳太子が行った最大の偉業は、604年に憲法十七条を発布したことでしょう。儒教精神に基づく冠位十二階を制定した翌年のことであり、この憲法十七条こそは太子の政治における基本原理を述べたものとなっています。
普遍的人倫としての「和をもって貴しと為し」を説いた第一条以下、その多くは儒教思想に基づきますが、三宝(仏法僧)を敬うことを説く第二条などは仏教思想です。さらには法家思想などの影響も見られ、非常に融和的で特定のイデオロギーにとらわれるところがありません。これが日本最初の憲法だったのです。そして、ここで説かれた「和」の精神が日本人の「こころ」の基本となりました。
十七条憲法の根幹をなすコンセプトは「和」です。しかも、その「和」は、横の和だけではなく、縦の和をも含んでいるところにすごさがあります。上下左右全部の和というコンセプトは、すこぶる日本的な考えです。それゆえに日本では、多数少数に割り切って線引きする多数決主義、いわゆる西欧的民主主義流は根付かず、何事も根回しして調整する全員一致主義の国なのです。「和」は「平和」思想そのものなのです。
「天の時は地の利に如(し)かず。地の利は人の和に如(し)かず」とは『孟子』の言葉です。天の時、つまりタイミングは立地条件には及びません。しかし、立地条件も「人の和」には及ばないという意味です。人の和がなかったら、会社の発展もありません。組織の結束力を高めることは、仕事を成功させることにおいて非常に大事なのです。
『孟子』が出てきましたが、じつは「和」はメイド・イン・ジャパンではありません。聖徳太子の「和を以て貴しと為す」は太子のオリジナルではなく、『論語』に由来するのです。「礼の用は和を貴しと為す」が学而篇(がくじへん)にあります。「礼のはたらきとしては調和が貴いのである」の意味です。聖徳太子に先んじて孔子がいたわけですね。
このような「和」の精神からは、冠婚葬祭をはじめ、さまざまな日本文化が花開いていきました。『和を求めて』では、日本人の 「こころ」そのものである「和」についての論考を集めました。じつは、これまでの「一条真也のハートフル・ライフ」の原稿もすべて掲載されています。ぜひ、ご一読をお願いいたします。