一条真也のハートフル・ライフ 『終活WEBソナエ』連載 10

開創1200年の高野山へ

こんにちは、一条真也です。

 2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーです。 高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した、大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われました。この記念として、わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。
 ゴールデンウィークが明けた5月8日、わたしは同書を片手に、JR小倉駅から新幹線さくら542号に乗りました。それからJR新大阪駅、JR大阪駅、南海なんば駅、南海極楽橋駅を経て、開創1200年で盛り上がる高野山を訪れました。
 高野山は空海が密教を広める根本道場として開創した場所ですが、正確には高野山という名称の山は無く、今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山の八葉の峰と呼ばれる峰々に囲まれたに蓮の花が開いたような盆地状の平地地域を差し、日本では珍しい100以上の寺院が密集する宗教都市で、「一山境内地」と称されるように高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体が聖地になっています。
■司馬遼太郎の文章が刻まれた碑
 ケーブルカーの高野山駅に到着すると、まずは、タクシーで奥之院に向かいました。ここには、司馬遼太郎の文学碑があります。『歴史の舞台 文明のはざま』所収の「高野山管見」の一節です。そして、そこには次のような文章が刻まれています。
 「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
 山上はふしぎなほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔(こけ)むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)、勤仕(ごんじ)されている。
 その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。   司馬遼太郎」
 この文学碑の前では、多くの観光客たちが記念撮影していました。  それから、真言密教の総本山である金剛峯寺を訪れました。東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48295坪の広大さと優雅さを有しています。本尊は弘法大師座像で平成の大修理以来の16年ぶりに持仏御本尊開帳されています。そのせいもあって、大変な人の数でしたが、初めて見る室内のようすは素晴らしいものでした。また、石庭も素晴らしかったです。中では、法話や「お大師さま」という紙芝居が行われていました。
■空海の筆跡を間近に
 それから、わたしは伽藍中門を訪れました。ここは、昨年172年ぶりに再建されました。金堂の中にも入りました。本来は講堂として創建されたものですが、現在は金剛峯寺の本堂的な扱いになっており金剛峯寺で行われる重要行事の大半はここで行われます。また本尊の薬師如来坐像は1932年の完成以来一度も開帳されておらず、今回の御本尊特別開帳が初の開帳となります。
 それから、霊宝館を訪れました。今回の高野山開創1200年記念展に併せて、「高野山三大秘宝と快慶作孔雀明王像」が特別展として展示されています。今回の特別展で展示されている三大秘宝とは「聾瞽指帰(ろうこしいき)(国宝)」・「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)(国宝)」・「金銅三鈷杵(飛行三鈷杵)(重文)」の三点です。これは弘法大師の真跡で大師が仏教を志して出家し(聾瞽指帰)、遣唐使の一員として入唐した折に密教の正当な承継者として認められ(諸尊仏龕)、帰国後に密教を広める場所を決める(飛行三鈷杵)といったここ高野山開創に至るまでに深く弘法大師と結びついた宝物ばかりです。しかも『聾瞽指帰』と言えば『超訳 空海の言葉』の中でも紹介した『三教指帰』の原書の弘法大師の真跡です。もちろん初めての体験ですが、実際の空海の筆跡を間近で見て非常に感動しました。
 そして、壇上伽藍です。旧暦の3月21日に当たる5月9日、旧正御影供が執り行われます。前日に当たる8日の夜には「御逮夜(おたいや)」が執り行われ御影堂で年に一度の一般内拝が出来ますので今回参拝致した次第です。夕方六時になって大きな鐘が衝かれ、御逮夜が開始されました。
 18時に御影堂を訪れると、多くの人が集まっていました。わたしが見学していると、「一条さんではありませんか!」と声をかけられました。その人は『超訳 空海の言葉』を読まれたという岐阜から来られた方でした。わたしのブログも愛読して下さっているそうで、ありがたいことです。
■高野山の「おもてなし」は…
 さて、御逮夜を見学してからタクシーで帰ろうとしたのですが、タクシーが1台も見当たりません。総合案内所や観光協会に頼んでタクシーを呼んでもらおうとしたのですが、なんと乗務員さんが上がってしまって1台もないとのこと。開創以来最も大量の観光客が訪れているはずのこのシーズンにタクシーが1台もないというのは仰天しました。仕方ないので、それから1時間近くも待ってバスに乗りました。
 夕方になってお腹が空きましたが、食堂も17時頃にすべて閉まってしまいます。どうも、宿坊に配慮しているようで、飲食店は夜間の営業を控えているものと推測されます。しかし、この日は宿坊も満室で泊まれません。観光客はどこで食事をすればいいのでしょうか。お遍路さんの「お接待」は有名ですが、高野山には「おもてなし」の欠片もないようですね。それとも、密教は「観光」を否定しているのでしょうか?
 わたしは空きっ腹のまま再びケーブルカーに乗って下山し、それから2時間くらいかけて大阪まで戻り、串かつを食べました。