生前葬としての退職記念講演会
一条真也です。
先日、わたしは小倉から京都へ向かいました。日頃より親しくさせていただいている宗教哲学者の鎌田東二(とうじ)先生が、教授を務められている「京都大学こころの未来研究センター」を定年退職されます。それを記念して、講演会およびシンポジウムが京都大学芝蘭会館内の「稲盛ホール」で開催されるのです。わたしは鎌田先生とのご縁から同センターの連携研究員を務めており、インドから帰国したばかりで体調が優れませんでしたが、頑張って京都まで行きました。
■ミュージカルのような講演
鎌田先生は講演に先立ち、まず法螺(ほら)貝を演奏しました。続いて、鎌田先生が直立不動のまま歌い出したので驚きました。まるでミュージカルの舞台を見ているようでしたが、その歌は「この光を導くものは この光とともにある♪」で始まり、最後は「生きて、生きて、生きてゆけ~♪」で終わる不思議な歌でした。10年ほど前にJR渋谷駅の階段の間でこの歌が思い浮かんだそうです。
いよいよ鎌田先生の退職記念講演がスタートしました。演題は「日本文化における身心変容のワザ」でしたが、鎌田先生は開口一番、「日本文学、日本宗教の本質は歌だと思います」と述べました。そして、「今日は日本文化の本質を語りたい」と言いました。
鎌田先生にとって人生最大のイベントは小学生のときの『古事記』との出合い、スサノヲとの出会いでした。そして、スサノヲのメッセージを伝えることが自分のミッションであると思うようになったそうです。
スサノヲは「八雲立つ 出雲八雲垣 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」という歌を詠みましたが、「ヤエガキ・シュプレヒコール」と呼んでもいいようなこの歌こそは、日本最古の和歌として『古今和歌集』の「仮名序」に紹介されている歌なのです。
■古今和歌集こそ日本文化の真髄
鎌田先生は『古今和歌集』こそは日本文化の真髄(しんずい)であると喝破しました。そして、万感の想いを込めて「紀貫之すごすぎる!」と叫ぶのでした。続いて、世阿弥の『風姿花伝』にも言及した鎌田先生は、「京都の気候は非常に変化に富んでおり、アイルランドを連想させる。『季節の変化が』繊細な美意識を育てた」と述べました。そして、西行に憧れた松尾芭蕉を絶賛しました。鎌田先生は「短歌は心を容(い)れる容器。俳句は宇宙を容れる容器」という名言を吐き、「芭蕉すごすぎる!」と叫んだのです。
その後、鎌田先生は宮沢賢治のいう「透明な食べ物」こそは歌であり、それは「魂の食べ物」であると訴えました。そして、鶴見和子、石牟礼道子という2人の女性詩人の魂を揺さぶるような詩を紹介して、この感動的な退職記念講演を終えたのでした。講演後は、パフォーマンスの時間です。鎌田先生は、パワーポイントで映し出された比叡山の画像に向かって、石笛、横笛、法螺貝を立て続けに演奏しました。なんという肺活量!
聴衆は鎌田先生のパフォーマンスに圧倒されましたが、さらに仰天する事態となります。なんと、鎌田先生はサングラスをかけ、エレキギターを持って、自身が作詞・作曲した神道ソングを歌い始めたのです。アカデミズムの殿堂である京都大学の稲盛ホールが一瞬にしてライヴハウスに変身しました。いつの間にか背後の画像も比叡山から地球に変わっていました。何から何まで型破り、希代の「知のトリックスター」のラスト・パフォーマンスに満員の聴衆から盛大な拍手が巻き起こったことは言うまでもありません。
■空前絶後の引退セレモニー
第一部の講演が終わると、第二部のシンポジウム「日本文化とこころのワザ学」が開催されました。パネリストたちは話の冒頭で、鎌田先生に対して一言を贈られました。いわく「鎌田東二すごすぎる!」「鎌田東二やばい!」「鎌田東二オララ!」。「オララ」とは「表現できない」という意味のフランス語です。
パネルディスカッションの総合討論が終了すると、鎌田先生だけが壇上に残り、謝辞を述べられました。最初に「この8年間、わたしは幸せでした」と言われ、感謝の言葉をユーモアたっぷりに述べられました。そして、謝辞を述べ終わると、鎌田先生は「比叡山を去ってゆく」と言って法螺貝を吹きながら退場されました。最後まで度肝を抜くパフォーマンスに盛大な拍手が送られました。まことに前代未聞、空前絶後の教授退職セレモニーでした。その後の懇親会も鎌田先生にゆかりのある方々が参集し、大盛況でした。まさに現代の「縁の行者」の大いなる壮行会といった印象でした。
わたしは、「これは良い意味で鎌田先生の生前葬だ」と思いました。もちろん、鎌田先生はこれからもずっとお元気で活躍される方ですが、区切りとしての卒業セレモニーを盛大に行われたのです。このような素晴らしい生前葬を開くことができた鎌田先生は本当に幸せな方であると思います。もちろん、それはすべて鎌田先生の日頃の行い、人徳によるものです。わたしも、いつの日か、自分なりの生前葬を開いてみたいと心から思いました。