一条真也のハートフル・ライフ 『終活WEBソナエ』連載 12

世界同時開催『隣人祭り』を知ってますか?

こんにちは、一条真也です。

 6月6日は、世界同時「隣人祭り」の日でした。
 フランス・イギリス・ドイツ・イタリアをはじめとした世界各国で「隣人祭り」が同時に開催される日です。日本では、北九州市八幡西区にあるサンレーグランドホテルでなど開催され、わたしも同ホテルを訪れました。
 午前11時のスタートでしたが、会場には200人以上の方々が集まりました。
 最初に今回の「隣人祭り」開催の主催者であるNPO法人ハートウェル21の首藤哲哉事務局長が「主催者あいさつ」をしました。それから、パワーポイントを使って「隣人祭り」の歴史と意義についての説明が行われました。みなさん、まったく私語をしないで、真剣に聞いておられました。
■きっかけは、ある老女の孤独死
 「隣人祭り」は、今やヨーロッパを中心に世界30カ国以上、1000万人もの人々が参加するそうです。その発祥の地はフランスで、パリ17区の助役アタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。きっかけはパリのアパートで1人暮らしの女性が孤独死し、1カ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1カ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。 同じ階に住む住民に話を聞くと「1度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。大きなショックを受けたペリファン氏は「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」を呼びかけました。
 第1回目の「隣人祭り」は、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。その時、初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれました。最初の年は約1万人がフランス各地の「隣人祭り」に参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、08年には約800万人が参加するまでに発展しました。
■2008年、日本に”上陸”
 この年の5月にはついに日本にも上陸しました。4日間、新宿御苑で開催され、200人以上が集まったそうです。
 その後、わが社は10月15日に北九州市八幡西区のサンレーグランドホテルで開催された「隣人祭り」のサポートをさせていただきました。サンレーグランドホテルの恒例行事である「秋の観月会」とタイアップして行われたのですが、これが九州では最初の「隣人祭り」となりました。
 日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。その後も、わが社はNPO法人ハートウェル21と連動しながら、「隣人祭り」を中心とした隣人交流イベントのお手伝いを各地で行ってゆくことにしました。年間の開催回数ですが、11(平成23)年は469回、12(平成24)年は510回、13(平成25)年は578回、14(平成26)年は718回となっています。今年も700回以上の開催サポートを予定しています。
■季節行事を取り入れ、日本らしく
 本家のフランスをはじめ、欧米諸国の「隣人祭り」は地域住民がパンやワインなどを持ち寄る食事会ですが、そのままでは日本に定着させるのは難しいと考え、わたしたちは、季節の年中行事などを取り入れています。
 たとえば、花見を取り入れた「隣人さくら祭り」とか、雛(ひな)祭りを取り入れた「隣人ひな祭り」、節分を取り入れた「隣人節分祭り」、七夕を取り入れた「隣人たなばた祭り」、秋の月見を取り入れた「隣人祭り 秋の観月会」、クリスマスを取り入れた「クリスマス隣人祭り」といった具合です。
 おかげさまで大変好評を得ていますが、これは、日本におけるコンビニエンスストアのマーケティングを参考にしました。
 アメリカ生まれのセブン-イレブンを初めて日本に輸入した時、当初はうまくいかなかったそうです。しかし、セブン-イレブン・ジャパンの社長であった鈴木敏文氏が日本流に「おにぎり」や「おでん」などの販売を思いつき、それから大ブレークして、すっかりコンビニが日本人の生活に溶け込んでいったことをヒントにしたのです。欧米の文化をそのまま日本に輸入してもダメで、日本流のアレンジが必要であるということを学んだわけです。
■「無縁社会」乗り越えるきっかけに
 さて、世界同時「隣人祭り」に話を戻します。「隣人祭り」の説明が終わった後は、博多笑い塾による「笑って健康 バラエティショー」が行われました。塾長である小ノ上マン太朗さんがステージで爆笑漫談を披露されました。
 「博多笑い塾」とは、日本初の「笑い」のNPO法人です。福岡を拠点に、笑いの健康をテーマとして、笑いの医学的効用についての研究や実践を通した活動を行っています。マン太朗さんはギャグを連発して笑いを誘いながら、会場のみなさんからも指や手を動かしてもらう参加型の漫談で会場を笑いの渦に包みました。
 続いて、恒例の「ラテンダンスステージ」では、マンボ、サルサ、サンバ、ジルバの華麗なダンスが披露されました。客席の人たちも我慢できずに踊り出すほど、大いに盛り上がりました。
 それから、「フラダンスステージ」です。複数のチームが、さまざまなカラフルな衣装で優雅に舞ってくれました。舞台狭しと踊る美女たちのパフォーマンスに会場は熱気ムンムン!サンレーグランドホテルがハワイアンセンターに変わったようでした。
 ハワイアンといえば、一昨年(2013年)の今ごろ、わたしは福島県いわき市のホテルハワイアンズで有名な福島のフラダンスをみました。その時、本場のフラガールたちが踊ってくれた「花は咲く」という曲があります。東日本大震災の復興支援ソングですが、この歌を今日は踊ってくれました。
 そして、「隣人大歌声喫茶」です。歌声喫茶倶楽部の川上きよこ氏のリードで、なつかしいメロディーをみんなで歌いました。この日は、「雨降りお月さん」「新妻に捧げる歌」「鬼のパンツ」「花は咲く」「てんとう虫のサンバ」などが歌われ、最後は全員で「青い山脈」を大合唱しました。みんなで歌を合唱すると、「こころ」がひとつになりました。歌が「こころ」をつなぎ、歌が人をつなぐのです。
 「隣人祭り」では、「いま」「ここに」居合わせた人が”となりびと”だという実感がしますね。「いま」「ここに」居合わせるだけで、大いなる「縁」を感じることができます。そして、それこそが「無縁社会」を乗り越える第一歩となるのではないでしょうか。