第十講「共感から心の共同体へ」
第十講「共感から心の共同体へ」
ネクスト・ソサエティとしての「心の社会」は、ポスト情報社会としてとらえられがちだが、ある意味では、新しい情報社会であると言える。
情報には二種類ある。コンピュータで処理できる「記号系」情報と、コンピュータでは処理できない「非記号系」情報だ。記号系は、音(声)にはじまり、言葉、それを記した文字、静止画としての絵、それがビデオのように動く動画などで、これらは「知的情報」と呼ばれる。一方、非記号系は、舌で感じる味、鼻で知る香り、皮膚で感じる肌ざわりといったクオリアの世界、心と心のコミュニケーションとしての以心伝心、さらにはインスピレーションのような第六感の世界まであり、これらを「心的情報」と呼ぶことができる。これまでの情報社会とは、記号系の知的情報が中心の「知的情報社会」だったが、これからは非記号系の心的情報が中心の「心的情報社会」、つまり、「心の社会」となる。
思いやり、感謝、感動、癒しなど、人間のポジティブな心の働きは今後ますますその価値を高めていくが、社会というものが複数の人間の集まりであることを考えれば、関係性が重要な問題となる。そして、心の関係性というものを考えたとき、「共感」というキーワードが出てくる。
人はどんなときに共感するのだろうか。たとえば、感動的な映画を観終ったとき、卒業式で仲間たちと別れを惜しむとき、映画館や学校の講堂には間違いなく、共感が生まれていると言えよう。古来から人類に共感を与えてきたものとして、神話と儀式の存在を忘れることはできない。人類の偉大な精神の営みである哲学・芸術・宗教も、すべては母なる神話と儀式から生まれてきた。
神話とは宇宙のなかにおける人間の位置づけを行うことであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っている。日本も、中国も、インドも、アフリカやアラブやヨーロッパの諸国も、みんな民族の記憶として、または国家のレゾン・デトール存在理由として、神話を大事にしているのだ。ところが、神話というものを持っていない国が存在し、それはアメリカ合衆国という現在の地球上で唯一の超大国なのである。建国二百年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家であり、統一国家としてのアイデンティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要だった。それが、映画である。映画はもともと一九世紀末にフランスのリュミエール兄弟が発明したが、他のどこよりもアメリカにおいて映画はメディアとして、また産業として飛躍的に発展した。映画とは、神話なき国の神話の代用品だったのである。それは、グリフィスの「國民の創生」や「イントレランス」といった映画創生期の大作に露骨に現れているが、「風と共に去りぬ」にしろ「駅馬車」にしろ「ゴッドファーザー」にしろ、すべてはアメリカ神話の断片であると言える。それは過去のみならず、「二〇〇一年宇宙の旅」「ブレードランナー」「マトリックス」のように未来の神話までをも描き出す。
また、フランケンシュタインやドラキュラ、バッドマンやスパイダーマンなどは、すべて原作小説やコミックに登場するキャラクターにすぎなかったが、映画によって神話的存在となった。「ロード・オブ・ザ・リング」三部作や「スターウォーズ」シリーズはまさしく神話としての映画を実感させるが、日本においても、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」から「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」、さらには「ハウルの動く城」にいたる宮崎駿監督のアニメ映画ほど神話的世界を想像力ゆたかに描いているものはない。映画産業とは神話産業であり、現代人の共感の大きな源泉となっているのである。
そして、神話とともに共感の源となるのが儀式だ。私はこれまで結婚式・葬儀ともにそれぞれ数千件に立ち会ってきたが、もちろんすべてがそうではないにせよ、冠婚葬祭とは人々の共感を生み出す装置であると言ってよいと思う。特に、披露宴で花嫁が声をつまらせながら両親への感謝の手紙を読む場面や、告別式で故人への哀惜の念が強すぎて弔辞が読めなくなる場面などでは、非常に強大な共感のエネルギーというものを感じる。また、ロック・コンサートなどの会場にも共感のエネルギーがたびたび生まれる。いまや、カリスマ的なロック・ミュージシャンなどは「現代の神」とさえ言えるが、何度も繰り返されるリズミカルな刺激をともなう音楽には、大脳辺縁系や自律神経系を活性化させる効果があることが分かっている。こうした変化は、脳が現実を解釈したり、感じたり、思考したりする方法を根本的に変化させ、自己の境界を規定する能力に大きな影響を及ぼす。これによって共感のエネルギーが生まれるわけだが、これは、かつてイギリスの人類学者ヴィクター・ターナーが「コミュニタス」と名づけたものに通じていると言える。
コミュニタスとは、身分や地位や財産、さらには男女の性別など、ありとあらゆるものを超えた自由で平等な実存的人間の相互関係のあり方である。簡潔に言えば、「心の共同体」ということになるだろう。ターナーは主著『儀礼の構造』において、マルティン・ブーバーの「我と汝」という思想、アンリ・ベルグソンの「開かれた道徳」「閉ざされた道徳」という考え方を援用してコミュニタスを説明している。
コミュニタスは、まず宗教儀式において発生する。一般に儀式とは、参加者の精神を孤独な自己から解放し、より高く、より大きなリアリティーと融合させることを目的にしている。特に、宗教儀式においては、一般の信者には達し得ないような宗教的な高みを彼らに垣間見させるという意味合いが大きい。カトリックの神秘家の目的は「神秘的合一」の状態に達すること、すなわち、神の存在を実感し、一つになるという神秘体験をすることにあるし、熱心な仏教徒が瞑想をする目的は、自我がつくり出す自己の限界を打ち破り、万物が究極的には一つであると悟ることにある。けれども、稀代の高僧ならいざしらず、誰もが独力でこうした高みに到達できるわけではない。そこで、一般の信者にも参加できる効果的な宗教儀式というものを考案して、彼らにもおだやかな超越体験をさせ、その信仰を深めさせようとしたのである。
これは、キリスト教や仏教などの大宗教に限らない。これまで地球上に登場した人類文明のほとんどすべてが、何らかの宗教儀式を生み出してきた。そのスタイルは無限といってよいほど多様だが、一つだけ共通点がある。それは、宗教儀式が成功した場合には(当然のことながら常に成功するわけではない)、脳による自己の認知や情動に関わる知覚に、ある共通の変化が起きるという点である。そして、あらゆる宗教人たちは、この変化を「自己と神との距離が縮まった経験」として理解するのだ。
もちろん、すべての儀式が宗教的であるわけではない。政治集会から、裁判、祝日、求愛、スポーツ競技、そしてロック・コンサートや個人の冠婚葬祭に至るまで、いずれも立派な社会的・市民的な「儀式」である。こうした世俗的な儀式にも、個人をより大きな集団や大義の一部として定義しなおすという意義がある。個人的な利益を犠牲にして公益に奉仕することを奨励し、社会の団結を強めるための機構としては、世俗的な儀式は、宗教的な儀式よりもはるかに実践的である。この機能を軽視してはならない。そもそも、社会に利益をもたらすからこそ、儀式的行動が進化してきたとも考えられるのだ。
ターナーも、コミュニタスは何より宗教儀式において発生するとしながらも、それを大きく超えて、広く歴史・社会・文化の諸現象の理解を試みている。そしてターナーは、この「心の共同体」としてのコミュニタスに気づくことにより、「社会とは、ひとつの事物ではなく、ひとつのプロセスである」という進化論的な社会観に到達したのである。
そして「心の共同体」は、「共同知」を生む。私は常日頃から、儀式とはメンバーが知識を共有するための「ナレッジ・マネジメント」に他ならないと言っている。企業における毎日の朝礼にはじまって、新年祝賀式典、創立記念式典、進発式あるいは社葬などは、いずれも社員間に「共同知」を生み出すための文化装置であると言えよう。伝統的共同体においては、「共同知」は儀式のみならず、しきたり、言い伝え、あるいは老人の知恵、民話や童謡、そして祭りというかたちで蓄積され、伝承されてきた。かつてグリム兄弟が採集し、柳田国男が調査してきたのは、このような「共同知」の全貌だったのである。そこには、昔話のようでいて、実はコミュティを維持し運営するための問題解決の方法や、利害対立が起こったときの対処のノウハウなどが語られていることが多い。逆に、そのような意図があることを忘れてしまった地域や都市において、祭りも伝説も形骸化してしまったのだ。
もちろん「共同知」は、伝統的共同体の専売特許ではなく、情報共有を原則とするインターネットの世界にもよく見られる。しかし、インターネットにおいて共有されるものは記号化された知的情報であり、伝統的共同体のそれは主として記号化されない心的情報であると言えるだろう。
両親への感謝の手紙や弔辞が人を感動させ、共感を生み出すのは、いずれも「別れ」に関わっているからだろう。両親との別れ、故人との別れ、「別れ」は人をセンチメンタルにする。日本の歌謡曲をはじめ世界中の歌のほとんどはラブソングだが、ヒットしたものはいずれも失恋や恋人との死別といった「別れ」を歌っている。演劇や映画の名場面でも、駅や港や空港での「別れ」のシーンがすぐ思い浮かぶ。卒業式や送別会といった「別れ」のセレモニーが共感で満たされるのは、きわめて当然だと言えるだろう。
そして、社葬や国葬のように残された社員や国民の心を結束させる目的を持つ儀式も存在するが、現在の地球上で最も巨大な共感を生み出す「別れ」のセレモニーといえば、オリンピックやサッカーのワールドカップの閉会式に尽きるのではないだろうか。開会式というのは、そこに緊張があるにせよ、これからはじまるイベントへの期待と不安で心がバラバラになっている。ところが長い期間の熱戦を終えた後の閉会式には、やさしく平和的な心情が満ちているのだ。
オリンピックはもちろん閉会式のみならず、数々のスポーツ競技、そして他の国の人々との交流によって共感を絶え間なく生み続けるイベントだ。二〇〇四年のオリンピックは、五輪発祥の地アテネで開催されるということでかつてない盛り上がりを見せた。古代ギリシャにおけるオリンピアの祭典競技は、勇士の死をいたむ葬送競技として発生したという。私は、二十一世紀最初となるアテネオリンピックとは、9・ 同時多発テロやアフガニスタン、イラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な人類葬として非常に重要な意味を持ったと思う。
オリンピックはピエール・ド・クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって実に一五〇〇年もの長い眠りからさめ、一八九六年の第一回アテネ大会で復活した。その後一〇〇年以上が経過し、オリンピックも大きく変貌してきた。「アマチュアリズム」が完全に姿を消し、「ショー化」や「商業化」の波も、もはや止めることはできない。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにする。大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは今や、巨額のマーケットとなっている。しかし、いくら商業化しようとも、オリンピックの火を決して絶やしてはならない。いうまでもなく、オリンピックは平和の祭典である。悲しいことだが、古今東西、人類の歴史は戦争の連続だった。有史以来、世界で戦争がなかった年はわずか十数年という説もある。戦争の根本原因は人間の「憎悪」であり、それに加えて、さまざまな形の欲望や他国に対する恐怖心への対抗などが悲劇を招いたのである。だが、それでも世界中の人々が平和を希求し、さまざまな手法で模索し続けてきたのもまた事実だ。国際連盟や国際連合の設立などとともに人類が苦労して生み出した平和のためのシステムがオリンピックだと言えるだろう。
オリンピックが人類の幸福のために、どれほどの寄与をしたかを数字で示すことはできない。ノーベル平和賞受賞者であり、第七回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのノエルベーカーは、オリンピックを「核時代における国際理解のための最善のメディア」と述べている。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして、利害の反する各ポリスの団結を導いた。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けている。その点が、もう一つの国際イベントである万国博覧会とは明らかに違うと言えよう。
万国博覧会とオリンピックは二大グローバル・イベントとされる。かつて私は『遊びの神話』で指摘したが、社会空間としての構造から見れば、万国博は産業のオリンピックであり、オリンピックはスポーツの万国博であった。もともと近代オリンピックは万国博の「余興」にすぎなかったという事実がある。一八九六年の第一回アテネ大会に続く三回のオリンピックは、文字通り万国博の余興として開催されたのである。一九〇〇年のパリ大会は同年のパリ万博と、一九〇四年のセントルイス大会は同年のセントルイス万博と、そして一九〇八年のロンドン大会も同年の仏英博と深く関係していた。ただし、いずれにおいても主役はあくまで博覧会であり、オリンピックには脇役的な注意しか払われていない。
オリンピックはその後、第五回ストックホルム大会でようやく万国博から独立し、徐々にその規模を拡大していく。それでも一九二〇年代までは、決して万国博を凌駕する国際的イベントと言えるものではなかった。オリンピックと万国博とのこうした関係が逆転するのは、一九三六年のベルリン・オリンピックからである。
このとき政権の座にあってすでに三年を経過していたナチ総統アドルフ・ヒトラーは、ユダヤ人に対する残忍な迫害や周辺諸国への侵略意図をカムフラージュしつつ、自らの「第三帝国」を神聖化する恰好の仕掛けとして、オリンピックを徹底的に利用していった。そのために彼が行ったのが、大会のスペクタクル化である。すなわち、まさにこのベルリン・オリンピックにおいて、聖火リレーや表彰台、壮大なオリンピック・スタジアムの建設およびショーアップされた開会式など、現在に至るオリンピックの伝統が発明されていったのだ。ヒトラーの恋人でもあった女流監督レニー・リーフェンシュタールの記録映画「民族の祭典」を観るとよくわかるが、世界中の人々はベルリン・オリンピックに異常なまでに熱狂した。ある意味で、ヒトラーは大衆の「共感」を創造する天才であったと言える。
近代オリンピック復興の構想そのものは、クーベルタンが一八八九年のパリ万博を経験したことから生まれたという。クーベルタンは、このパリ万博の開会式で強い感銘を受け、やがて入場行進や国旗掲揚、国歌斉唱、開催国元首による開催宣言、そしてメダル授与などの重要ないくつもの要素が、万国博からオリンピックのなかに取り入れられていった。それをさらに演出的に発展させたのがヒトラーであり、第二次大戦後になると、諸国家が幻想領域で覇権を争う国際的イベントとしては、万国博ではなくオリンピックこそが中心的な場になっていく。二00五年に愛知県で開催された「愛・地球博」が意外な盛況を見せたとはいえ、結局は近代工業社会における産業見本市的な性格の強い万国博はすでにその役割を終え、オリンピックのような人類「共感」のイベントにはなりえていないと言えよう。
さて、古代の話に戻るが、天空神ゼウスに拝げる全ギリシアの宗教行事であったオリンピア祭典は当初一日だけだったが、紀元前四六八年の第七八回大会以後、五日制になった。第一日が競技者の資格審査と、ゼウス神前の宣誓、第二日が戦車競走、競馬競走、五種競技が行なわれた。そして第三日目は必ず満月の日を選んだという。午前中にゼウスの祭壇に犠牲を捧げる供儀が行なわれて、午後は少年競技となり、夜は盛大な宴会を催した。第四日の午前は競走競技、午後はレスリング、ボクシング、古代の総合格闘技であるパンクラチオン、武装競走で、夜はまたまた大宴会、最終日の第五日は表彰式と最後の宴会というプログラムで、大会が進められた。
犠牲には牛、豚、羊などが用いられ、三日にわたる夜宴の御馳走にこれらの肉が食べられたという。その数は相当なもので、多くの人々が大量の焼肉料理をたいらげた。当時ギリシア人の食物といえば、ブドウ、イチジク、オリーブなどの果物、魚、イカなどの魚介類、小麦粉でつくる餅などで、それに果実酒が加わっていたようだが、焼肉は高級料理であり、めったに口に入るものではなかった。それがオリンピアの祭典では一大バーベキュー・パーティーとなって、ふんだんに食べられたのだから、これは大変な魅力だったに違いない。こうなると、祭典は食欲を吸引力にした宗教行事のように思えるが、そういった一面も否定することはできないだろう。
宗教といえば、祭典の舞台であったオリンピアにはゼウス、ヘラの神殿を中心として、宝物殿や反響廊など、当時の一流建築家たちが技術の粋を尽くして建てた美しい石造建築が建ち並んでいた。またアルチスの森には、優勝者の栄誉を称える数多くの彫像が立っていた。これらもギリシア芸術が誇る傑作ばかりである。オリーブや月桂冠が深く茂る森、そこにそびえる壮大な大理石の宮殿、緑に包まれた広大な競技場、そしてこの神域を彩る美しい彫刻の数々。オリンピアは南国にふさわしい明るさと、荘厳さ、清純な空気に包まれたすばらしい神苑だった。そして、満月の青白い光を浴びる神苑アルチスの森を背景として、巨大なかがり火をたきながら焼肉に舌鼓を打つゴージャスな大夜宴! オリンピア祭典とは、宗教、芸術、スポーツ、グルメといった「文化」や「遊び」のエッセンスがすべて凝縮された古代のスーパー・イベントだったのである。まさに、大いなる「宗遊」そのものだ。
私は、かつて九二年のバルセロナ・オリンピックの際に、次のような企画を某新聞紙上で提案したことがある。それは、まず閉会式は満月の夜にセッティングすること、そして閉会式の後は野外の広い場所(できれば森がよい)にかがり火をたいて、古代さながらのバーベキュー・パーティーを開くこと。パーティーには、あらゆる国の選手が参加する。イスラム教徒は豚肉を食べなければよいし、ヒンドゥー教徒は牛肉以外の肉を食べればいい。「共食信仰」という言葉があるように、多くの言葉を交わすより、一度でも共に食べ、飲んだ方が人間の心は通じ合うものである。そして、満月の光とかがり火は人間を非常にロマンティックな気分にし、平和な心の理想郷ハートピアを幻視させる魔法の力を持っている。何よりも平和のイメージを強く発信する閉会式の直後にやれば効果的だ。オリンピックが故郷に帰った今回のアテネ大会こそ、アフター・オリンピックには、ぜひ、ムーンライト・バーベキュー・パーティーを復活してほしかった。
いま、多くの言葉を交わすより、一度でも共に飲食した方が心が通じると述べたが、もちろん、会話が無駄であるという意味ではない。会話という前段階があって、はじめて飲食のコミュニケーション効果があるのであり、会話もなくただ食事を共にするだけでは、食堂の相席と変わらないではないか。相手を知る、相手の心を理解する、すべての第一歩こそが会話である。
古代ギリシアの都市国家には、中心部にアゴラという広場があって、人々はそこで会話を楽しんだ。その会話が議論へと発展して「哲学」を生んだのである。
昔、ドイツのフレデリック二世は、生まれてきた赤ちゃんがどのように言語を獲得するかを観察するため、赤ちゃんの生理欲求はよく満たすが、赤ちゃんと関わることを一切しないという実験をしたという。話しかけるなどの関わりを一切断ったとき、赤ちゃんの言語獲得はどうなるのかを見ようとしたのだ。実験結果は大変悲惨で、赤ちゃんはみんな死んでしまったということが記録に残されている。関係欲求が充足されないと、たとえ生理欲求がよく満たされていても、脳活性は上がらない。そのため、外部情報に対し価値を認めることができず、意欲も上がらないために、脳の発育が不全となってしまう。これがひいては免疫活性の低下につながるなどして、病気になり生命を失ってしまったのではないかと推測される。きわめて非人間的な実験であったと言えるが、人間の本質をあばき出すことはできたようだ。人間には、生まれつき関係欲求が備わっているのである。そしてそれは何よりも会話を求めるのだ。「会話は人間を結びつける」と主張するアメリカの哲学者ダニエル・デネットは、「私たち人間は、この地球上の他の生物の能力を大きく超えるやり方で主観的な世界を互いに共有しているし、しかもそれを認識している。それは、お互いが話ができるからだ」と述べている。
ダライ・ラマ一四世といえば、現在、平和や幸福についての最も説得力のある言葉を持つ人だが、次のように語っている。
「世界が抱えている状況をじっくり考えたうえで申し上げれば、自分自身がより幸せになるために、そして、まわりの人たちも幸せになるために必要なものは、会話ではないでしょうか。会話をし、お互いに歩みよりの姿勢を持つことで、家庭や社会、世界が抱える問題をなくしていくことができると私は信じています」
戦争を地球上からなくすことなど不可能であると言う人は多い。たしかに、そうかもしれない。しかし長いあいだ、人類は奴隷制が永久に続くものだと信じていた。日本でも、明治維新の前後までは、国内で内戦がなくなるなど誰も考えていなかった。だが、西南戦争の後、一二七年間にわたって国内においては戦争は起こっていない。世界がこの日本と同じような状況に絶対にならないと誰が言えるだろうか。かつてドイツの哲学者カントが「永久平和のために」のなかで述べたように、私たちは地球上から戦争がなくなるまで愚直なまでに「燃えるような理想主義」を持ち続けなければならないのである。人類にとって最大の「プロジェクトX」とは、宇宙空間への進出でも、タイムマシンや心を持つロボットの発明でもなく、やはり戦争の根絶だろう。そして、限りなく幻に近い「永久平和」の扉を開くには、会話という、あまりにも人間的な方法しか私たちは持ちえないのだ。
大上段に人類の平和など持ち出さなくてもよいのかもしれない。人間には、もともと他人と会話したいという関係欲求を持っているのである。ヒトと人間は違う。ヒトは生物の種にすぎないが、人間とは社会的存在である。社会的存在としての人間は他人と交わる、つまり社会と交わるのであり、これが「社交」ということである。
「社交」について考えることは、「心の社会」の核心に迫ることだ。ドイツの社会学者テンニースは「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という有名な対概念を打ち出した。前者は人が宿命的に所属する「宿命集団」であり、全人格をあげて情緒的に融合する共同体だとされる。それは家や村のように、自然な感情と暗黙の了解が支配する社会であって、そのなかには契約や取引の論理が入り込む余地はない。後者はこれとは逆に、しばしば「利益集団」とも呼ばれるように、人がそのときどきの利益を求めて意識的、選択的につくり出す社会だと考えられる。人はこの集団では人格のすべてを捧げて一体化することはなく、本質的には独立した個人が緊張関係を保ちながら結合される。テンニースによれば、ゲマインシャフトは前近代的な地縁社会や血縁社会に現れ、ゲゼルシャフトは近代の都市や企業に見られる特色であるから、歴史的にはゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの発展が進むことになる。
しかし、『歴史の終わり』の著者として知られるアメリカの歴史学者フランシス・フクヤマは、テンニースとは違って、ゲマインシャフトが歴史的にゲゼルシャフトに発展する前段階と考えるのではなく、同じ社会に同時に存在する二つの層として理解した。それどころか、彼は前者を積極的に後者の下支えをする力と見なし、よりゲマインシャフト的な社会でこそ、より強く健全なゲゼルシャフトが成長しうると考えた。いいかえれば、より「自然発生的な社交性」に富み、より強い暗黙の「信用」関係が成立する社会でこそ、企業も市場もより大きく発展すると主張したのである。
フクヤマは大著『信用』のなかで、「自然発生的な社交性に富んだ社会」というコンセプトを示している。「社交性に富んだ社会」とは、人間の自然な親愛感が血縁家族の範囲を超え、多くの未知の他人を広く包みうるような社会である。具体的には、孤独な個人と社会全体との中間に、両者をつなぐ中規模の集団が生まれやすい社会である。そうした互いに顔の見える中間集団があれば、そこでは強制されない信用の感情も生まれやすいし、何よりも個人としての相互の認知が容易になるだろう。そういう集団は必ずしも前近代の村や血縁家族に限らず、現代の地域共同体にも宗教団体にも、趣味やスポーツのクラブにも、さらにはボランティア活動のグループにも見出される。そして、このような中間集団が自然に人に愛される社会、いわば本性的に社交性の高い社会のなかでこそ、企業家も血縁を超えて他人を信用し、その信用を基盤に巨大企業を組織することができるという。
フクヤマの功績は、すべての功利的社会の基盤に非功利的関係、すなわち、社交的な人間関係があることを指摘したことである。しかし、劇作家の山崎正和氏などは著書『社交する人間』において、フクヤマの「自然発生的な社交性」や、さらにはテンニースの「ゲマインシャフト」というコンセプトに疑問を投げかけている。世界には桃源郷のような情緒的な共同体が存在して、そこでは人々が生まれつきの共同感情で結ばれ、努力なしに互いを信用しあうことができるというのは幻想ではないかというのだ。
社会の秩序を全体として保ち、信用度の高い世界をもたらすのに、社交は唯一の方途ではないと山崎氏は述べる。だがそれをいえば、階層組織も普遍的な法も、宗教的な戒律さえ今日ではそのための万能の力ではない。むしろ、現代は何であれそうした一元的な原理が力を失い、全体を包むただ一つの社会秩序という観念が無効になりつつある時代なのかもしれない。秩序化の原理そのものをも多様に組み合わせ、同時に複数の秩序ある共同体を重複させることの他には救済方法のない時代なのかもしれない。山崎氏はこのような現実主義に立ったうえで、いいかえれば可能性の限度を見限ったうえで、社交にそのための一つの役割を期待している。特に、社交が倫理的に中立であること、しかもさまざまな功利的行動、階層組織のなかにも浸透して、それに社交的な性格を兼ね備えさせる力があることを考えたとき、この期待はただの夢ではない現実感を帯びるのである。
グローバル化という時代の圧倒的な趨勢をもはや私たちが覆すことはできない以上、求めるべき救済があるとすれば、それは個人の生きるもう一つの世界を確保することの他にはないだろう。克服できないリスク社会の克服をめざすのではなく、それと共存しうる別の社会を避難所とすべきで、それは「社交社会」とでも呼ぶべきものである。契約社会に対立する「信用社会」と名づけてもよい。
グローバル化とは近代の組織原理の徹底の過程であり、皮肉にもそれが逆転して、当の組織社会を揺るがせつつある過程である。かねて国家や企業を支えてきた合理的な秩序、法と契約を絶対視する精神が地球規模に拡大し、人間の生きる空間を一元的に支配しつつある過程である。かつて古い村を脱出して国家と企業に参加した人間が、いま、地球社会の一員に加わろうとしている。しかしグローバル化は、個人の顔の見える社会、身にふれて具体的に感じられる社会のすべてを脅かしているのだ。かつて村を捨てた個人には国家と企業があったが、その国家と企業から自立した個人にはもはや抽象的な「地球社会」しかない。そのうえ、グローバル化という一元化は都市文化という人間の絆、組織とは正反対の社会単位さえ破壊しようとしている。呼べど答えぬ無限空間のなかで、個人はひとり一方的な説明責任を負って立ち尽くしている。山崎氏によれば、二十一世紀の人類がいま漠然と感じているのはこの「空間恐怖」であって、逆説的なことに、これが人類が歴史上のさまざまな閉塞感を打ち破ったことの成果であったという。そして、もし現代文明に「第三の道」と呼べるものがあるとすれば、それは一方に抽象的な地球社会、他方に国家や企業を含めた組織社会をひかえて、その両方に拮抗して個人に「心の居場所」を与える、もう一つの人間関係でなければならないというのだ。
「抽象的な地球社会」とか「空間恐怖」「心の居場所」といった山崎正和氏による刺激的な言葉にふれて、私はまたしても、月のことを想った。月は地球の鏡である。実際に、月には地球の影が映っている。だからこそ半月や三日月といった現象が天空で起こるのである。実際に自分の影を見て、人は自分の存在を確認することができる。月に映った地球の影に私たちはもっと注意を注ぐ必要がある。そうすれば、バーチャルな「グローバル・ヴィレッジ地球村」などでなく、リアルな地球そのものが心に浮かび、具体的な像としてイメージされて無限空間への恐怖も消え去るはずだ。また、古来より人間は月を心の鏡としてきた。なぜなら、人間の心とは月のようなものだからである。人間は倦怠しているとき、下弦の月のごとく、精神の四分の三が影となっている。何かで悩んだり、ねたみ、そねみ、憎しみなどのネガティブな感情におちいっているとき、暗雲に隠された月のように精神も闇に覆われているのである。しかし、何かで感動したり幸福感などでにわかに活気づくと、心の満月が突然現われ、人間は自分の本当の能力を完全に掌握し、自分の内側にある生命の源と触れ合っていると感じる。このように心と月は限りなく似ていると言えよう。わが国の例を見ても、歌聖・西行も、俳聖・芭蕉も、最も多く詠んだテーマは「月」だ。花鳥風月に心をときめかせる風流人たちは、何よりも月に心を遊ばせたのである。人間の心を映す月は現代人にとっても心の居場所としての役割を果たすのではないだろうか。
私たち地球人類は、表層では明晰なる太陽の原理に従っていながらも、その深層では依然として月の支配を受けているのだ。詩、夢、魔法、愛、瞑想、狂気、そして誕生と死。そのすべての神秘性を、月は常に映しつづけている。月の古語「ツク」からは「尽く」という言葉も派生している。「尽く」とは「果て」「極限に達する」という意味だ。そして、「底を尽く」というように、その果てにすべては無になる。月に映し出される神秘や謎や不思議とは、われわれの心の働きを底の底まで尽くした果ての真実に他ならないのである。
平和の話に戻るが、人類の平和と幸福のためには、何よりも会話が必要であると述べた。そして会話には共通の話題が必要である。世界中の人々に共通する話題など存在するのだろうか。哲学者の梅原猛氏は、それは「あの世」だという。あの世に関心のない民族はなく、仏教でどうなっているか、キリスト教でどうなっているか、イスラム教やヒンドゥー教ではどうかというのは、まさに大問題である。神について議論していたら、いろいろ信仰が対立するかもしれないが、あの世について共通なものと、その違いを探っていくということは、おそらくあらゆる宗教の人々が対立なしに解明できることかもしれないというのである。そして梅原氏は、「比較あの世学」というものを提唱し、自分には人生の時間があまり残っていないので、若い人にどうかそういう学問をつくってほしいと述べている。
実は、私はかつて『リゾートの博物誌』という本で、古今東西のありとあらゆる死後の世界のイメージを集めて、その共通点と相違点を徹底的に調べあげたことがある。その結果、意外と共通性が高いのに驚き、その最大公約数としての霊界像を「ハートピア・ゼア」と名づけ、私たちがこの地上につくるべき平和な心の共同体を「ハートピア・ヒア」と呼んだのである。
さて、人類共通の話題だが、理論物理学者の佐治晴夫氏は、それは「宇宙」であるという。佐治氏は「人はなぜ戦うのか」というテーマで、『利己的な遺伝子』の著者として有名なイギリスの生物学者リチャード・ドーキンスと対話した。そのとき、争う集団と集団がなくなれば、当然、戦争は起こらず、そのためには集団間で風通しよく話し合えるための共通の価値観が必要になることに気づいた。そして、佐治氏はドーキンスに対して、「そうした共通の価値観といえば、それはやはり、宇宙に対する認識だと私は思います」と言ったという。宇宙のカラクリがはっきりわかれば、宇宙の歴史のなかで、人類がなぜ存在したのか、自分という人間がなぜ生まれてきたのかといったことに思い至ったりするわけだ。そのような、いわば宇宙的な意識こそが共通認識、共通の価値観になる。単に宗教だけではだめだし、経済問題だけでもだめだし、もっと根本的なパラダイムに気づいていかなければならないと佐治氏は述べている。
宇宙を最も具体的にイメージさせる対象といえば、何といっても地球から一番近い天体である月だ。私は二十一世紀の葬送文化として「月面聖塔」や「月への送魂」を提唱し続けている。詳しくは、幻冬舎文庫より刊行されている拙著『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』をお読みいただきたいが、これらは結局、月をあの世に見立てていることになる。あの世、そして宇宙が人類共通の話題になりうるなら、月をあの世に見立て、世界中の人々が月見をして会話すれば、それは「心の共同体」をつくる最良の方法の一つではないかと私は思う。
会話が必要とされるのも、結局は他者をよく知り、他者の心を感じることが大切だからである。最後に、その営みとしての観光について見てみたい。
二一世紀は観光の世紀であると言われる。もともとホスピタリティが旅人へのもてなしから生まれ、発展したように、ホテルや航空機などの交通サービスを含め、観光とは人間の心に関わる巨大な概念である。観光の問題は、心の問題なのである。
「旅人は、いろいろなことに情熱を注ぐけれど、なかでも旅への情熱が、おそらく一番すばらしく、純真だ」と、オーストリアの詩人モーリッツ・ハルトマンは一八五一年の『南フランス旅日記』に書いている。船の汽笛の鈍い響き、けたたましい機関車の汽笛、空港での出発前の最後のアナウンス、これらが聞こえてくると、誰もがはるかな世界、遠い国々、異国の人々、そして旅での冒険と体験に思いを馳せる。期待は膨らみ、大昔から人間が実現しようと追い求めてきたあこがれが胸を騒がす。感動、癒し、そして共感を求めて人は旅に出る。旅ほど、心をワクワクさせるものはないのだ。
旅は、昔は生涯でただ一度の大事業だった。だが、いまでは日常茶飯のこと、人生経験の一部分にすぎなくなった。ジュール・ヴェルヌが一八七三年に書いた有名な小説『八〇日間世界一周』には、気球、馬車、鉄道、船を乗り継いで世界一周できる最短日数は八〇日であると書かれている。今日では、地球を一周するのに超音速航空機でわずか数時間しかかからない。二〇世紀の象徴となったテクノロジーが、大衆旅行への道を開いたのである。
旅によって人は他の国々や人々を知ることができる。これは大変なことだ。しかし、それはインターネットやテレビやガイドブックや万国博覧会においても可能ではないかという声が聞こえてきそうである。そういったさまざまなメディアと旅とは本質的に違う。前者はあくまで記号的な知的情報にすぎず、後者の旅のみが非記号としての心的情報を発信する。それでも、万博は実際に人々が集まるリアルな共感のイベントであり、そこに示される国々や人々についての情報は心的情報ではないのかと言う人もいるだろう。たしかに、よくわかる。私自身、小学生のころに行った大阪万博でアメリカ館、ソ連館や、その他聞いたこともないような国のパビリオンに足を運び、異国についてのさまざまな情報にふれて、その国を本当に訪れたような気分になった。でも、それはやはり一種のバーチャルリアルな体験なのである。
一九世紀から二〇世紀にかけて全盛を迎えた博覧会は、帝国主義と消費社会、それに大衆娯楽という三つの要素を融合させてきた。博覧会は、帝国主義のプロパガンダ装置であり、消費者を誘惑してやまない商品世界の広告装置であり、そしてまた近世以来の見世物から多くを受け継いだスペクタクル装置でもあったのである。そのことは、一八五一年ロンドン万博における水晶宮や、一八八九年パリ万博におけるエッフェル塔を見ればよくわかる。
しかし、ここでは第一の要素である「帝国」のディスプレイとしての博覧会に焦点を当てることにする。博覧会が、近代国家にとって最大の祭典としてきわめて重要な意味を持った一八五一年から一九四〇年までのあいだ、帝国主義と植民地主義の巧妙で大規模な展示が、さまざまな方法で繰り返された。一八五一年ロンドン万博は、「万国」の祭典である以上に実際には「大英帝国」の祭典であったし、一八七〇年代以降、パリで開かれていく万国博は、より大規模に植民地主義的な展示を行っていく。この傾向は、一八八〇年代から一九一〇年代までの博覧会ではいっそう露骨になり、多くの植民地パビリオンが建てられ、植民地の人間が「展示」されたり、植民地戦争での戦利品が堂々と展示されたりもした。そして、これと同じことが、日露戦争の前後から、日本の博覧会でも顕著に見られるようになる。朝鮮館、台湾館、満蒙館、南洋館が人気パビリオンとなり、アイヌや琉球、台湾の人々の「展示」も行なわれていったのだ。
このように基本的に帝国主義・植民地主義と深く結びついていた博覧会における諸国のディスプレイにはさまざまな政治的意図が込められており、そこで発信される情報とは、加工され繰作されたものだったのである。博覧会でふれる他国の情報が旅のそれとは本質的に違うとはそういう意味だ。
しかし、ある意味で博覧会は今日のような観光産業の産みの親であるとも言える。「観光産業」という言葉は、一九世紀のはじめに使われるようになったもので、一八〇〇年ごろから英語で使われ、一八三〇年ごろドイツで定着した。だが、なんといっても、近代的な観光産業を築いた最初の人は、トーマス・クックというイギリス人である。家具職人で巡回牧師だったクックは、新しい鉄道の可能性を誰よりもよく認識して、団体旅行を初めて実施した。彼はまた、一八五一年にロンドン万国博覧会旅行を組織し、一六万五〇〇〇人が会場を訪れ、旅行者数の新記録になった。そのとき、博覧会会場周辺の主だった観光地をすべて訪れるという大胆なアイデアで事業をすすめ、博覧会クラブと旅行クラブを活性化した。会員は毎週わずかな金額を払い込めば、乗り物とロンドンでの宿泊が保証された。ここから「旅行積み立て」の制度が生まれたのである。
一八五五年パリ万博の際、クックはついに外国旅行を開始し、五六年にアントワープ、ブリュッセル、ケルン、フランクフルト、ハイデルベルグ、ストラスブール、パリ、サウサンプトンを宿泊地とする最初の大陸旅行を実施した。周遊旅行券と一定の乗車船券を合わせたクーポン綴りには宿泊券と食事券がついていて、旅行が簡単で安くなり、クックいわく「教育を受けていない人たちや、外国語ができない人たち」に外国を開放した。これが現在に至るマス・ツーリズム大観光時代の幕開けであり、万博が観光産業を生んだということも言えるのである。
この最初のマス・ツーリズムが一九世紀後半のイギリスの労働者階級に発生したのは偶然ではない。彼らは「余暇」という名の自由時間にミュージック・ホールで憂さを晴らし、南イギリスのブライトンのようなリゾート地へとこぞって殺倒するようになる。この労働の時間に対置される観光の時間という構造は、文化人類学ではおなじみの儀礼の構造、つまり世俗的な時間をストップさせ、聖なる時間をつくり出す儀礼の構造ときわめて似ている。それゆえ、観光を現代における儀礼としてとらえることもできるのだ。事実、観光の原型の一つである巡礼は儀礼的な旅行に他ならず、日本の観光も「お伊勢まいり」や「熊野詣で」をはじめとした巡礼というフレームのなかで形成されてきたのである。
旅行とは時間においても空間においても日常性から非日常性へ移行していく行為だが、そこで旅行者は何より「いつもとは違う経験」を求める。それは見るもの、聞くもの、食べるものとさまざまな次元にわたり、それによって「異文化」を体験するわけだ。こうして、観光客は旅行によってリフレッシュする、つまり新たな存在として生まれ変わるのである。それゆえに、観光広告というものは「もう一人のあなたを発見するために、旅に出てみませんか」と語りかけるのだ。
旅行という経験を、本物性、本来性を意味する「オーセンティシティ」の追求としてとらえる考え方がある。つまり、私たちは近代の疎外された世界に住んでおり、そこでは本当の自分を実現することができない。そこでもう一つの世界を求め、本当の自分をさがすために人は旅に出るというのである。そもそも住み慣れた家、あるいは田舎を捨て、都市へ出て、自己実現をはかろうとした近代人とは、実は「観光客」そのものなのだ。
都市とは何か。都市はいくつもの多様な機能が何層にも重なっていて、しかも、各層がお互いに連携している複雑な構造で成り立っている。人類が一万年近い年月をかけて試行錯誤を積み重ね、つくり上げた最も高度な自律展開と自己調節能力のあるシステムである。自然を体験するグリーン・ツーリズムの重要性が近年言われているが、美しい自然だけでは十分ではない。都市という複合的魅力を持った人工的なものと自然との組み合わせこそ、観光の喜びと楽しさをつくるのに必要だ。花鳥風月を通して人の心に何かを訴えるとしても、自然の歴史とは億年単位であり、時空間のサイズがヒューマン・スケールを超えている。それに比べると、人の営みの集積である都市は感情移入できる時空間である。変化するダイナミズムも魅力があるし、逆に時間が停止したような街並みも魅力的だ。そして異国の都市を訪れた旅人は、「地球上のどこでも、文化や風習の違いは多少あっても、人間の生活する場というのは同じようなものだ」という実感を抱き、異国の人々に共感するのである。
結局、都市へのまなざしは、人間へのまなざしなのだ。「まなざし」という概念はフランスの思想家ミシェル・フーコーが唱えたものだが、観光とは、日常から離れた異なる景色、風景、街並みなどに対するまなざしに他ならない。どんな土地にも、その土地なりの光り輝く魅力がある。そして、観光とは文字通り、その光を観ることなのである。二十一世紀における自然科学のキーワードに「複雑系」があるが、これは複雑なものを複雑なままに見るということだ。世界とは複雑であり、北京で一匹の蝶が羽ばたきによって起こした徴かな風が、数日後にニューヨークの株式市場に影響を与えるということが現実にあり得るのである。つまり、複雑系が真に問うているのは、「世界を見ることを学び直す」ことなのだ。これまでのガリレオやニュートンに代表される機械論的な科学に何よりも欠けていたのは、「多」を「多」のままで見るという姿勢である。そうではなく、普遍的法則の名のもとに「多」を「一」として見てきたのだ。これは科学のみならず、政治における国民国家、経済における資本主義、宗教における一神教にも通じる。すべては「一」なる世界をめざしてきた運動体なのであり、それらはいま、グローバリズムの名のもとにさらなる巨大化を遂げつつある。「一」なる世界による支配が全面化されていくこと、これこそグローバリズムの正体である。しかし、複雑系そのものといえる脳を持つホモ・サピエンスとしての私たちの「心」の基体は、すべてのものを商品化していく資本主義によっても、無意識の大規模な抑圧の上につくられたキリスト教的一神教によっても、満足を得ることはない。
その意味で、ツーリズムこそはグローバリズムに対抗する思想になりうるのではないだろうか。そもそも世界中がマクドナルド化してしまったら、観光という発想自体がありえなくなる。大切なのは、「多」を「多」として見ること。つまり、世界にあふれている多彩な「光」をただそのまま「観る」こと、これこそが観光という営みなのである。そして心の社会においては、観るだけでなく、その土地の人々の心が放つ「光」を「感じる」こと、いわば「感光」が求められていくと言えよう。「観る」から「感じる」へ、「観光」から「感光」へ、そして、「まなざし」から「共感」へ。ここにおいて、ツーリズムとは、グローバル化が進む二一世紀を生きる私たちの「心の共同体」をつくる作業として位置づけられるはずだ。「一」なる世界を超えて、旅に出よう!
最後に、旅といえば、私が一番行きたい場所は月である。月へ飛ぶという人類の夢は二〇世紀に実現した。一九五七年にソビエトのスプートニクが宇宙探査時代の幕を開いた。一二年年後の六九年には、アメリカの宇宙飛行士が人間としてはじめて月面を歩いた。一八六五年にジュール・ヴェルヌは『月世界旅行』を書いたが、その一〇〇年後、私たちは宇宙への飛行を経験し、それをもって宇宙旅行を経験したことになる。アメリカの旅行会社では、すでに月と宇宙への旅行を発売している。
またしても、月!私のルナティック月狂いも本当に困ったものだが、月面に立って、そこから地球をながめることは本当に私の人生最大の夢なのである。せめて今夜も、満月をながめながら、月の光を感じることにしよう。