平成心学塾 社交篇 人間関係を良くする17の魔法 #016

第十五の魔法「祭り」

日本人は、祭りが大好きです。

子どもにとっては、夜遊びのワクワク感をともなって、祭りはひたすら楽しいイベントです。大人になるにつれ、命がけのお祭り、勇壮なお祭り、優美な祭りに心を奪われます。どんな祭りにも日常とは違った空気が流れており、そこに惹かれるのかもしれません。

では、祭りとは何でしょうか。宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、祭りは自然と人間と神々との間の調和をはかり、その調和に対する感謝を表明する儀式であるといいます。

「まつり」というやまと言葉の原義は「神に奉(つか)へ仕(つかまつ)る」であることを国学者の本居宣長は『古事記伝』で説いています。「まつり」の語源は「たてまつる」の「まつる」すなわち供献する・お供えすることに由来するというのです。

たしかに「祭り」のはじまりは「神と人との関係」にありました。でも、現在では「人と人との関係」、つまり人間関係という視点から祭りをとらえているのではないでしょうか。古来より、日本の祭りは人間関係を良くする機能を大いに果たしてきました。ともに祭りに参加した人間同士の心は交流して、結びつき合うのです。

人間関係を良くする祭りといえば、最近、「隣人祭り」というものが話題になっています。地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会の集合住宅に暮らす人たちが年に一度、顔を合わせるのですが、いまやヨーロッパを中心に29カ国、800万人が参加するそうです。

隣人祭りの発祥の地はフランスです。パリ17区の助役であるアタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。きっかけは、パリのアパートで一人暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1ヵ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。

同じ階に住む住民に話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。大きなショックを受けたペリファン氏は、「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に隣人祭りを人々に呼びかけたのです。

第1回目の隣人祭りは、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。そのとき初めて知り合い自己紹介をした男女が、その後、結婚するという素敵なエピソードも生まれました。

最初の年は約1万人がフランス各地の隣人祭りに参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には約800万人が参加するまでに発展し、同年5月にはついに日本にも上陸しました。4日間、新宿御苑で開催され、3万人もの人々が集まったそうです。

日本でも孤独死は増えています。全国に約77万戸ある都市再生機構の賃貸住宅では2007年度に589人が孤独死しました。じつに5年前の2倍で、その7割近くを高齢者が占めています。

隣人祭りが発展した背景には、孤独死の問題はもちろん、多くの人々が行きすぎた個人主義に危機感を抱いていることを示しています。アタナーズ・ペリファン氏と共著『隣人祭り』(ソトコト新書)を書いたフランス在住のジャーナリストである南谷桂子氏は、「朝日新聞」2008年8月16日の朝刊で、

「一度でも言葉を交わしていれば『感情公害』と呼ばれる近隣トラブルは減るし、いきなり刃物で刺すような事件もなくなるはず」と語っています。

また、ペリファン氏は『隣人祭り』の「著者の言葉」で次のように述べています。

「人間には、誰にでも潜在的に寛大さというものが備わっている。ではなぜ、それを覆っている殻を打ち破って寛大さを表に出さないのだろう。人は誰でも問題を抱えているものだ。その問題を解決するには、自分以外の誰かの善意がきっと役に立つはずだ。人間の良心だけが、人間を救える唯一のものだと僕は信じている」

隣人祭りは、なぜ成功したのでしょうか。「日本経済新聞」2008年8月30日夕刊にフランスでの成功のステップが四つにまとめられているので、紹介したいと思います。

人と出会い、知り合う。親しくなる。近隣同士、ちょっとした助け合いをする(パンやバターの貸し借りなど)

相互扶助の関係をつくる(子どもが急に病気になったが仕事で休めないとき、預かってもらう環境をつくるなど)

より長期的な視野で相互扶助をする。(複数の住民で協力し、近所のホームレスや病人の面倒をみたりするなど)

これを見ると、隣人祭りのキーワードは「助け合い」や「相互扶助」といった言葉のようです。それなら、多くの人は日本に存在する某組織のことを思い浮かべるのではないでしょうか。そう、互助会です。正しくは、冠婚葬祭互助会といいます。「互助」とは「相互扶助」を略したものなのです。

わたしはフランスで起こった隣人祭りと日本の互助会の精神は非常に似ていると思っています。わたしたちの会社はまさに互助会であり、わたしは互助会の各種業界団体の役員を務めています。いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。

そこで互助会であるわが社では、NPO法人などを通じて、各地で隣人祭り開催のお手伝いを行なってゆくことにしました。まずは、日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での隣人祭りのお手伝いをさせていただきました。

隣人祭りは、人生最後の祭りである「葬祭」にも大きな影響を与えます。隣人祭りで知人や友人が増えれば、当然ながら葬儀のときに見送ってくれる人が多くなるからです。

わたしは多くの葬儀に立ち会うのですが、中には参列者が1人もいないという孤独な葬儀も存在します。そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。

亡くなられた方には、家族もいただろうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は1人で旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、人は1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つというのは、あまりにも寂しいではありませんか。

モントリオール国際映画祭でグランプリを受賞した「おくりびと」が話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。

1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示すのです。その意味で葬儀の場とは、人生のグランドフィナーレであるとともに、良い人間関係の檜(ひのき)舞台に他なりません。

祭り、隣人祭り、冠婚葬祭・・・哲学者のアリストテレスが述べたように、人間とは、他人と触れ合わずにはいられない社会的動物なのです。

ITが進歩するばかりでは人類の心は悲鳴をあげて狂ってしまいます。ITの進歩とともに、人が集う機会がたくさんある社会でなければなりません。

これからも、さまざまな「祭り」に参加して、人間関係を良くしようではありませんか。