第十二の魔法「手紙」
手紙というのは大いなる魔法だと思います。
わたしには少し前まで周囲から「犬猿の仲」と思われていた同業者の方がいました。
ここには書くことができない長年の確執があったのですが、最近、その方が全国の業界団体の会長に就任した折、なんと副会長にわたしを指名して下さったのです。最初は意図がわからず戸惑いましたが、とりあえずその方に手紙を書きました。そして、わたしのような若輩者を重要なポストに抜擢していただいたことに対して素直に感謝の意をお伝えしました。
すると、しばらくして、先方から返事が来ました。「今まで色々あったけれども、業界の発展のためにお互いにがんばろう。あなたに期待しています」といった内容で、わたしは非常に感激しました。
今では、その方とお酒も一緒に飲みますし、その方の御自宅にも招待されるまでの仲になりました。これまでの険悪な関係を知っている周囲の人々はとても驚き、「まるで魔法のようだ」と語り合いましたが、その魔法の背景には2通の手紙の存在があったのです。
わたしは毎日のように誰かに手紙を書いています。初めて面会した政治家や経済人や文化人、研修旅行などで同行した人、パーティーで知り合って名刺交換をした人、読んで感動した本の著者、とにかくありとあらゆる人に手紙を書きます。それも結構長文で、乗ってくると便箋で10枚ぐらいは平気で書きます。それによって、ずいぶん多くの方々との縁を深めることができたのではないかと思います。
絵ハガキもよく書きます。出張が多いので、出張先から家族や友人や仕事の関係者にさまざまな写真のポストカードを出すのです。その数は、年間で数百枚におよびます。
だから自分ほどハガキを書く人間はあまりいないのではないかと思っていたところ、『ハガキ道に生きる』という本(致知出版社)を読んで、上には上がいることを知りました。著者の坂田道信氏はハガキを書くことを「道」にまで高めています。自分など、この人には到底かなわないと思いました。
ハガキは、粗末でもいい、下手でもいい、字の間違いがあってもいい、とにかく書くことが大事だと、坂田氏は説きます。あたかも蚕が繭糸をつむぐように毎日ハガキを書いたおかげで、日本国中に知り合いができ、坂田氏自身のネットワークが生まれました。坂田氏にハガキを出すことをすすめられたおかげで、商売が順調に行った人も多いそうです。
その坂田氏が書くのは、複写ハガキです。便りを複写にして控えを取っておくことができるものです。直筆の文字には心が宿ります。
縁ある人から1枚のハガキが届くほど嬉しく、ゆたかな気分にさせるものはありません。そこから大きな夢がはじまります。そう、ハガキとは小さな紙片に大きな夢を乗せる道具なのです。
ハガキといえば、多くの方にとって年賀状が思い浮かぶのではないでしょうか。最近は、新年の挨拶などもメールで済ませる人が多くなってきましたが、やはり年賀状は良いものです。文面を印刷してあるものがほとんどですが、ちょっとした一言を直筆で書いてあると、かなり嬉しいものです。すべてが直筆の年賀状など貰うと、とても嬉しいですね。感激します。心が動きます。
また、わたしたちの会社が創立40周年を迎えた記念に俳句コンクールというものを開催し、授賞式をさせていただいたところ、そのすべての受賞者の方々から見事な達筆の礼状をいただき、驚きました。中には受賞の喜びを俳句に詠んだ方までおられ、たいへん感動しました。わたしも、可能な限り手紙はまめに、しかも直筆で書くよう心がけています。
筆まめといえば、拙著『龍馬とカエサル』(三五館)にも書きましたが、坂本龍馬が有名です。姉の乙女に宛てた12通をはじめ、現存する手紙の数は128通。交流の深かった中岡慎太郎や西郷隆盛にもかなりの手紙を出しているとされていますが、それらはすべて消滅して残っていません。それらを含めると、おそらく300通は下らないという歴史学者もいます。
この大量の手紙に目をつけて、龍馬をフリーメーソンの諜報部員ではなかったかと推理したのが作家の加治将一氏です。その理由は郵便料金にあります。
龍馬の手紙は飛脚が運びました。飛脚料は江戸―大坂間で、配達日数の違いもあり、七両から銀三分。現在の貨幣価値に直すのは困難ですが、当時の米価や手間賃から推測すると、龍馬の飛脚料はだいたい1300万円になります。これは最低の概算であり、失われた手紙の量を考えると、2000万円は超えていたと思われます。
これは、当時の龍馬のような下級武士にはまったく不相応な金額です。ここから加治氏は、龍馬がトーマス・グラバーの仲介でフリーメーソンに入会し、英国の諜報部員となったという大胆な仮説を立てるわけです。多すぎる手紙には諜報の暗号文が記されていたというのですね。
加治氏の説はロマンがあり、ありえない話ではないと思います。しかし、そんなスパイ説が出るのも、龍馬が大量の手紙を書いたという歴史上の事実があるからです。幕末維新の志士たち、郷里の家族、そして愛する女たち、龍馬は多くの人々の心を手紙でつなぎとめたのです。
さて、今の時代、メールでのやり取りがコミュニケーションの主流になりました。職場でも私生活でも、パソコンメールや携帯メールが大活躍しています。メールは時間や場所を選ばず、思い立ったときに仕事の内容や自分の気持ちを伝えることができて、とても便利です。しかし、注意しなければならないことがあります。それは、人をほめるとき、叱るときなど、相手の心を直撃する言葉はメールに向かないということです。
そんな場合は実際に会って口頭で言うことが一番、どうしても会えないときは電話が二番。特に、怒っているときにメールで怒りを伝えるのは絶対にやめて下さい。
なぜなら、メールとは記録が残るものだからです。「怒り」というマイナスの感情がいつまでも残されるのは避けたいものです。
ほめるときも同じ。メールでは細やかな感情がどうしても表現できません。たとえ、顔文字や絵文字を使ったとしてもです。相手が喜んでくれるような言葉は、あなたの肉声で伝えてあげましょう。もちろん、愛の告白も。
メールといえば、わたしはWEB上で、日本を代表する宗教哲学者の鎌田東二先生と文通を続けています。満月ごとに交わす文通で、「ムーンサルトレター」と名づけています。
わたしと鎌田先生との出会いは20年ほど前にさかのぼるのですが、3年くらい前に、義兄弟の契りを交わしました。ともに「世直し」をこころざしたからです。そして、京都大学こころの未来研究センターの教授に鎌田先生が就任された御縁で、現在はわたしも共同研究員を務めさせていただいています。
手紙でも、ハガキでも、メールでも、便りを交わすことは心の交流そのものであり、人間関係を大いに良くするものなのです。