ブッダの教えを求めてインドへ
一条真也です。
いま、インドに来ています。「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の海外視察に参加しているのですが、現地では聖なるガンジス河をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回っています。言うまでもなく、インドはブッダが世界宗教である仏教を開いた土地です。その布教のルートを追いながら、ブッダの教えというものを振り返っています。
■世界を救う寛容の徳、慈悲の徳
現在のわたしたちは、大きな危機を迎えています。戦争や環境破壊などの全人類的危機に加え、わたしたち日本人は東日本大震災という未曾有(みぞう)の大災害に直面しました。想定外の大津波と最悪レベルの原発事故のショックは、いまだ覚めない悪夢のようです。そんな先行きのまったく見えない時代に最も求められる教えを残したのがブッダではないかと思います。
そこには、現代に生きるわたしたちが幸せになるためのヒントがたくさんあります。現在、「仏教ブーム」だそうですが、その背景には一神教への不安と警戒が大きくあると思います。キリスト教世界とイスラム教世界の対立は、もはや非常に危険な状態に立ち入っています。この異母兄弟というべきキリスト教とイスラム教の対立の根は深く、これは千年の昔から続いている業(ごう)です。
しかもその業の道をずっと進めば、人類は滅びてしまうかもしれません。
それを避けるには、彼らが正義という思想の元にある自己の欲望を絶対化する思想を反省して、憎悪の念を断たねばならない。この憎悪の思想の根を断つというのが仏教の思想にほかなりません。
仏教は、正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。わたしは、仏教の思想、つまりブッダの教えが世界を救うと信じています。
さらに、わたしたち日本人は特にブッダの教えを学ぶ必要があります。日本人の「こころ」は仏教、儒教、そして神道の三本柱から成り立っていますが、日本における仏教の教えは本来の仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という独立した宗教と見るべきではないでしょうか。
■ブッダは葬式無用論者だったのか
日本仏教は「葬式仏教」とも呼ばれます。しかし、宗教学者の島田裕巳氏などが執拗(しつよう)に葬式仏教批判を繰り広げています。島田氏はかつて『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)において、ブッダの葬式観に触れました。ブッダは決して霊魂や死後の世界のことは語らず、この世の正しい真理にめざめて、一日も早く仏に到達することを仏教の目的にし、葬儀というものを否定したというのです。いわば、仏教の開祖であるブッダ自身を「世界最初の葬儀無用論者」として位置づけたわけですね。
たしかにブッダは、弟子の一人から、「如来の遺骸はどのようにしたらいいのでしょうか」と尋ねられたときに、「おまえたちは、如来の遺骸をどうするかなどについては心配しなくてもよいから、真理のために、たゆまず努力してほしい。在家信者たちが、如来の遺骸を供養してくれたのだろうから」と答えています。
自身の死に関しては、「世は無常であり、生まれて死なない者はいない。今のわたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。いたずらに悲しんではならない。仏の本質は肉体ではない。わたしの亡き後は、わたしの説き遺(のこ)した法がおまえたちの師である」と語っています。
■盛大に行われたブッダの葬儀
しかしながら、ブッダに葬式を禁じられた弟子の出家者たちも、自分自身の父母の死の場合は特別だったようですし、ほかならぬブッダ自身、父の浄飯王(じょうぼんのう)や、育ての母であった大愛道の死の場合は、自らが棺をかついだという記述が経典に残っています。
それは葬儀というものが、単に死者に対する追善や供養といった死者自身にとっての意味だけでなく、死者に対する追慕や感謝、尊敬の念を表現するという、生き残った者にとってのセレモニーだからです。
そして、弟子たちに葬儀の重要性を説かなかったとされているブッダ自身の葬儀は、盛大に執り行われました。葬儀は遺言によりマルラ人の信者たちの手によって行われました。7日間の荘厳な供養の儀式のあと、丁重に火葬に付したといいます。ブッダは、決して葬式を軽んじてはいなかったはずです。もし軽んじていたとしたら、その弟子たちが7日間にもわたる荘厳な供養などを行うはずがありません。なぜならそれは完全に師の教えに反してしまうことになるからです。
それともマルラ人たちは本当にブッダの教えに反してまで、荘厳な葬儀を行ったのでしょうか。教えに従うにせよ、背いたにせよ、マルラ人たちは偉大な師との別れを惜しみ、手厚く弔いたいという気持ちを強く持ったのです。わたしは、ブッダはけっして葬儀を禁じなかったと確信しています。