平成心学塾 聖典篇 知れば知るほど面白い #005

キリスト教の聖典

キリスト教の聖典においては、「正典」という概念が重要になる。正典とは、キリスト教会によって正式に認められた聖典であり、これに対して認められない「外典」や「偽典」が存在する。キリスト教の正典ができあがるまでには、およそ4世紀の年月がかかっている。それは『新約聖書』と呼ばれる27の文書から成り、ユダヤ教でTNK(タナハ)と呼ばれる『旧約聖書』と対照される。27の文書とは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書、「使徒行伝」、使徒たちの手紙、そしてヨハネによる「黙示録」である。

これらの文献のすべてにおいて、『旧約聖書』は救世主イエス・キリストの到来を予言するものとして、しばしば寓意的に解釈されている。キリスト教の正典に旧約を含めることは、2世紀に活躍した神学者シノぺのマルキオンによって抵抗にあっている。旧約を不必要と説いたマルキオンの異端を契機に、正典化の動きが始まり、正典から除外された諸書は新約外典・偽典となった。後にこの問題は一六世紀になってマルティン・ルターによって再び取り上げられ、アドルフ・フォン・ハルナックなどのドイツ福音主義者によって20世紀初頭に至るまで再検討されてきた。

新約正典はすべて当時の国際語であった「コイネー」と呼ばれる口語ギリシャ語で書かれている。『新約聖書』の諸書は、その成立の事情も内容も変化に富んでいるが、ナザレのイエスこそが待望されていたメシアであり、新しい人間の生き方の先駆者、すなわちすべての人の主であると証言する点で統一性を持っている。

キリスト教会は、『旧約聖書』と『新約聖書』をともに救いに必要な要道を載せたものとして、正典としている。旧約はメシア出現の希望と約束で終わっており、新約なしでは不完全で中断してしまう。しかしまた、新約は旧約の歴史と思想を前提としているので、それなしには理解できない。旧約において、イスラエルは民族として神への信仰と服従の道を開いたが、それを完成させることはできなかった。新約において、最後の「残れる者」であるイエスから民族を超えた新しいイスラエルが起こって、それを完成したのである。

『新約聖書』の内容をざっと見ると、まずイエスの言行録である「福音書」が最初にある。福音とは、使徒たちが広めたギリシャ語の「よい知らせ」を意味する。新約の中ではマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの順序になっているが、ヨハネを除く三福音書はたいへん多くの一致点を示しているので、「共観福音書」と呼ばれた。というのは、年代的に平行的に配置されているので、相互に参照して読めるからである。

しかし三つの「共観福音書」がどんなに似ていようと、それぞれはやはり、執筆者の個性と同じように特徴を持っている。伝承によれば、マルコはペテロの弟子たちのために、彼だけ「神の王国の福音書」という表現を使い、最初の言葉からイエスは神の子であると言明する。したがって、彼の物語ではイエスの公的生活だけが問題になる。イエスは何よりも自分の本当の姿を明らかにしない。「私が誰であるか、あなたは言えますか」という質問に、「神の子キリスト」と答えるときだけ、イエスはそのような自分を認める。すぐ後で変容した姿になるが、弟子たちに絶対の沈黙を要求する。なぜならば、「人の子は死に至り、三日目に甦らなければならない」からである。

エルサレムでアラム語の「福音書」を書いたマタイは、それからギリシャ語に翻訳し、イエスの幼少時代と公的生活の始まりに関する伝承を報告することで、「マルコによる福音書」を補強する。なぜならば、マタイはユダヤ人に話しかけており、前よりいっそう次のことを示そうと努めているからだ。すなわち、イエスはメシアに関する預言を実行したのであり、律法を廃止するのではなく、彼が基礎を作り創始した神の王国の到来のために律法を完成しに来たのであると。

マルコやマタイより学識のあるルカは、逆にキリスト教に改宗した元異教徒のために書き、歴史家としての著述を心がけており、距離を取りながら、普遍的である神の目論見を定義しようと努める。ルカにとって、「福音書」のこの普遍主義を成し遂げることによって、すでに貧しさは豊かさに打ち勝ち、謙譲は思い上がりに打ち勝ち、救いの教義は「精霊」の奇跡的な光に浸って現われる。

だが、「ヨハネによる福音書」はまったく別の調子を帯びている。ほとんどの研究家は、この四番目の「福音書」は少なくとも全体として「イエスが愛した人」の作であるとは認めない。より秘教的であり、プラトン主義的な要素が際立っている。それはキリストを神のロゴスに同定する点に特に明らかであり、ロゴスとは世界を構築する神の計画を表わしている。一方で「ヨハネによる福音書」は、「この世」と呼ばれる社会に対してきわめて否定的な見解を抱いており、この世は神の僕というよりはむしろ神の敵とみなされる悪魔によって支配されているという。

こうした考え方はたいていグノーシス主義やクムランのエッセネ派の文書と比較されてきた。エッセネ派が、そしておそらくはグノーシス主義がすでに、当時の精神的風土に根ざしていたことは確かである。

そして、4つの「福音書」の物語は補完しあっていると言える。それらの解釈や観点の違いを通して初めて、イエスの人柄や教えの内容が浮き彫りのように、私たちの前に現われる。しかし、他の情報は正典以外のところから私たちに届く。すなわちそれが聖書以外の「福音書」だ。あるものは同時代か、聖書正典より前である。ペテロやヘブライ人やエジプト人やエビオン派の「福音書」で、今日ではそれらはキリスト教徒律法遵守派の人々の中で生まれた古風な文書と見なされている。

1945年に上エジプトのナグ・ハマディで発見され、2世紀の前半のものと推定されるグノーシス派の重要な書架から出てきた「トマスによる福音書」の場合もおそらくそのようなものだ。イエスの114の言葉から成る簡単なこの文集は、正典の「福音書」の作成よりおそらく以前の伝承の存在を私たちに明らかにする。現在も進行中のこのような聖書外典の研究のおかげで、キリスト教徒律法遵守派の原始共同体の姿が明らかになるだろう。それは、イエスの教えそのものではないにせよ、キリスト教の起源をより一層知ることができることに他ならない。

四つの「福音書」に次ぐ「使徒行伝」は、第一の書「ルカによる福音書」の続きとして作者は書いている。だから誰にも認められている伝承によれば、ルカは、おそらくギリシャ出身で医者で改宗した使徒パウロとの誠実な共著のパートナーであったのだろう。このことは、使徒パウロの旅を「私たち」と言いながら著者が語っている文章から確認される。

物語は、イエスの昇天と弟子たちに与えた最後の教えで始まり、使徒たちの宣教の端緒となった使徒たちへの聖霊の降臨を、それから続いて起こる迫害とステファヌスの殉教を、最後に、パウロの伝道に先立つアンティオキアの異教社会におけるキリスト教の浸透を報告している。記述の残りはすべてパウロに捧げられている。すなわち、パウロの改宗から伝道の旅、そして逮捕、カエサリアでの捕囚とローマへの移送まで。ローマでは囚人であったが、福音を説くことができた。ここで突然使徒行伝は終わっている。典型的なものとして初期キリスト教の共同体の生活が記述されている。それは、すでに「公会議」を持ち、相互に愛し合い、試練に際しての喜びと忍耐のうちに、福音の教えを適用するものとして描かれている。

パウロや他の使徒たちの教会宛の手紙は、諸教会の間で回覧され、筆写保存されるようになり、また、イエスの直接の弟子が死滅する以前に彼らの記憶をもとに、イエスの教えと行動の物語が書き留められ、『旧約聖書』とともに礼拝の中で読まれるようになった。

そして『新約聖書』のきわめて謎めいた最後の書「黙示録」は、無数の注釈と解釈の対象となった。「黙示録」という言葉は今日、地球的規模の大異変、世界の終末劇の俗っぽい解釈を喚起している。しかし、「アポカリプス」という原語は単に「赤裸にすること」あるいは「暴露」を意味し、比喩的な意味では「隠されていたものの啓示」、ここでは神自らが啓示する神の秘儀を意味する。その明らかな象徴主義は、神秘のヴェールに包まれた崇高な情景の悲劇的な幻によると同時に、『福音書』や使徒書簡の内容とはきわめて異なる内容によって対照をなしている。なぜならば、ここでは、もはや歴史ではなく、人間と世界の終末が問題だからだ。伝承によれば、「黙示録」は小アジアに面したパトモス島でヨハネが作成したものだという。そのうえ「黙示録」は、ヨハネが建立したアジアの七教会に書き送られている。そしてエフェソスの教会でヨハネは亡くなった。

この書は、発表されるや教会内では猛烈な抵抗にあった。しかしながらこれが『新約聖書』として認められたのは、ドミティアヌス帝国の末期にヨハネが書いたと見なされていたからであり、「千年王国」の未来の報いを改宗者に約束して、改宗者の熱意をかき立てているからである。しかし、数世紀が過ぎ、時代の終焉はいっこうに来なかった。