平成心学塾 童話篇 涙は世界で一番小さな海 #007

閉講にあたって

ハートフル・ファンタジーの時代へ

 

宗教という難問

わたしたちの社会は、さまざまな難問を抱えています。

「戦争のない世紀」という希望とともに21世紀を迎えた人類を待ち受けていたのは、あの9・11同時多発テロからイラク戦争に至る相変わらずの一連の「憎悪」の連鎖、そして絶望でした。一方、地球温暖化をはじめとした地球環境の危機が叫ばれていますが、事態は深刻さを増すばかりです。そのほかにも差別や病気や貧困など、人類はさまざまな難問が残されています。

もともと人類の前に立ちはだかる難問を解決するために生まれたのが「宗教」というものであったように思います。

現在では、キリスト教とイスラム教の対立が深刻な人類的危機を招いていることから、宗教に対して批判的な見方が高まっています。とくに日本においては、あのオウム真理教事件の後遺症で、今でも宗教というとアレルギーを示す人も少なくありません。

しかし、だからといって人類にとって宗教が不要かといえば、わたしはそうは思いません。何だかんだといっても、とどのつまり宗教は人間の救済システムであるはず。人間はほんの短い人生のあいだに老病死や貧困や人間関係など、さまざまな苦悩を抱え、しばしば絶望に至ります。一切の希望の光を見失い、みずから生命を断つ者も少なくありません。

そんな危機的状況から救い出してくれて、人々に「生きる意味」を与えてくれるものが宗教にほかなりません。宗教はまた、究極の不安である「死」の不安から人間を解放し、「死ぬ覚悟」を与えてもくれます。つまり、宗教は人間の心を救い、かつゆたかにしてくれるのです。

しかし、その宗教同士が衝突し、多くの人間が血を流しつづけているという現実があります。とくに、キリスト教とイスラム教という両世界宗教の対立は、人類そのものの存続を脅かす最大の脅威となっています。

2001年に起こった9・11同時多発テロからイラク戦争へとつながった背景には、文明の衝突を超えた「宗教の衝突」がありました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教は、その源を一つとしながらも異なるかたちで発展しましたが、いずれもほかの宗教を認めない一神教である。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。

一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、ほかの宗教を認め、共存していける寛容性をもっています。自分だけを絶対視しません。自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念をもっている。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのです。そして、その宗教融合を成し遂げた人物こそ、かの聖徳太子でした。

「いいかげん」は「良い加減」

聖徳太子が用意した神道・仏教・儒教を一体とした習合思想は、新渡戸稲造が指摘したように武士道へと流れていきました。また、江戸時代には石田梅岩が登場しました。彼の「心学」は神道、仏教、儒教を「いいとこどり」したものでした。

さらには、冠婚葬祭というものも一種の習合思想であると、わたしは思います。日本人は、正月には神社に行き、七五三なども神社にお願いする。しかし、バレンタインデーにはチョコレート店の前に行列をつくり、クリスマスにはプレゼントを探して街をかけめぐる。結婚式も教会であげることが多くなった。そして、葬儀では仏教の世話になる。

このような日本人の宗教感覚を「いいかげん」と批判する人もいますが、逆にどのような宗教であろうが受け容れるバランス感覚が「良い加減」であると肯定的にとらえる人もいます。そして、冠婚葬祭こそはその日本人の宗教感覚の「かたち」なのです。

わたしは現在、冠婚葬祭を業とする会社を経営しています。また、平成心学塾という塾を主宰しながら梅岩の説いた商人道を追求しています。さらには、日本人の美意識の基本となる武士道というものを常に意識して生きているつもりです。わたしは日々、神仏儒にどっぷり浸かっているのです。

しかし、日本心学から世界心学をめざすわたしは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そのほかにもありとあらゆる思想に「何でもあり」で接し、どんどん「いいとこどり」していくつもりです。

そんなわたしは、いつも宗教間の平和というものについて考えています。そして、その実現を考えるとき、月が大きな鍵になると確信しています。

もともと太陽信仰と月信仰は、地球上のあらゆる場所において見られる普遍的な信仰でした。そして、常に不変の太陽は神の生命の象徴であり、満ち欠けによって死と再生を繰り返す月は人間の生命の象徴にほかなりません。

ユダヤ・キリスト・イスラムの三姉妹宗教においても、月は重要な意味をもっており、そもそも古代バビロニアでは 月は最古の月神であるシンでした。このシンの聖なる住まいはシナイ山であり、彼はイシュタルの父でした。この神に対する信仰が、安息日の遵守をはじめとして、ユダヤ教をはじめとするヘブライの宗教に大きな影響を与えたとされています。のちにこの神は主神マルドゥクと合体しました。モーセがヤハウェから十戒を授かった場所こそシナイ山であり、この月神シンはユダヤの唯一神の原像であると思います。

キリスト教においては、月は「イエス・キリストの磔刑」を見事に象徴しています。毎月、月は3日間だけ、わたしたちの視野から消えます。そしてまた姿を現し、次第に大きくなって満月になります。人類のために死に、やがて復活して3日目に姿を現し、人間に光を当てたのが、かのキリストです。

そして、イスラム教。ヒジュラ暦は太陰暦ですが、『コーラン』には月に関する記述がたくさん出てきます。イスラム神秘主義では3日月が楽園のイメージであり、かつ復活の象徴となっています。神とムハンマドの関係について、「月が太陽の光を映すように、預言者ムハンマドは、神アッラーを映す」と神秘詩人ルーミーは表現しています。

アポロの宇宙飛行士たちは、月面で神の臨在を感じたそうです。月の視線とは神の視線であり、宇宙飛行士たちはまさに神の視線を獲得したのかもしれません。

この現実世界と並行して存在する「別世界」

わたしは、すべての宗教がめざす方向とは、この地球に肉体を置きながらも、意識は軽やかに月へと飛ばして神の視線を得ることではないかと思います。

わたしは、月が好きです。とくに満月が大好きです。満月の夜には、よく月光を浴びて、瞑想的な気分に浸ります。瞑想とは魂のコントロール技術だと思いますが、月光が人間の魂に与える瞑想的な魔力を見事に表現した人物こそ宮沢賢治でした。

賢治は二十代の半ばに東岩手火山に登り、一夜を明かしました。そして、夜中の体験をそのまま帰ってきた翌日に「東岩手火山」という詩を書き、「月光は水銀 月光は水銀」と繰り返し月光と水銀の結合を語っています。

宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、古来、月は錬金術の一方の非常に重要な象徴であったそうです。水銀というのは人間の心・魂・精神を変えていく目に見える物質ですから、水銀は龍とか蛇とかのシンボルとも結びついたとされています。

月光とは水銀そのものであり、その月光が当たっている自分の魂というものを浮遊させ、それをどんどんハイになる方向に変えていこうとする、まさに月光を浴びるという行為によって「魂の錬金術」が行なわれようとしているのですね。

月光のみならず、わたしはファンタジーというものも「魂の錬金術」になりうると考えています。もともと、月とファンタジーは分かちがたく結びついています。とくに荒俣宏氏なども指摘しているように「昼間の月」というものが重要なシンボルになると思います。ときどき、太陽が地上に残っているときにも空に月が見えることがあります。奇妙ではありますが、昼間に月はちゃんと存在するわけです。

ゴーストみたいに白くて透明な昼間の月。これこそ、ニュートンのりんごのごとく大きな発見をわたしたちに与えてくれます。すなわち、別世界というものは存在するのだという真実を。アリスの不思議の国、オズの国、ネバーランド、ナルニア国、ミドルアース、ファンタージエン、イーハトーブ……あらゆる別世界はこの現実世界と並行して存在するのです。そして、おそらくは霊界さえも! 月とはそれらすべての別世界のシンボルです。別に月そのものが出ても出なくても、ファンタジー作品の本質的とは、月を語った「月の文学」なのです。

月に魅せられたファンタジー作家たち

ところで、宮沢賢治は数多くの月の短歌を残していますが、「あかつきの瑪瑙光ればしらしらとアンデルセンの月は沈みぬ」などと詠んでいます。どうも、「アンデルセンの月」という造語が大のお気に入りだったようですね。アンデルセンの月といえば、『絵のない絵本』が思い浮かびます。世界の隅々を照らす月が絵描きに物語るというスタイルをとった、絵よりも美しい絵画詩ですが、次のように、冒頭から月が登場します。

「ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持ちで、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません。そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした」(矢崎源九郎訳)

アンデルセンは月に魅せられていました。1859年5月22日の彼の日記には、「満月の期間とは、わたしたちの神がいらっしゃるときで、それが12回で1年となる」と記されています。彼の童話は宗教色の濃い作品が多いのですが、中でも『天使』『赤い靴』『マッチ売りの少女』などが代表的です。

とくに『マッチ売りの少女』は宗教性を止揚することに成功した完成度の高い作品だと思います。サン=テグジュペリの『星の王子さま』にも同様のことがいえますが、この作品はアンデルセンの『人魚姫』からインスピレーションを受けてつくられています。

サン=テグジュペリに最大の影響を与えたアンデルセンは、宮沢賢治にも、『青い鳥』のメーテルリンクにも影響を与えています。さらには、『人魚姫』の現代版である「リトル・マーメイド」などのディズニー作品、同じく『人魚姫』をモチーフとした「崖の上のポニョ」などの宮崎駿作品などのアニメーションに至るまで、世界中のあらゆるファンタジー作家がアンデルセンから多大な影響を受けているのです。

ほぼ同時代のグリム兄弟は民話の採集に明け暮れ、そのまま紹介しました。一方、アンデルセンは各地の民話を改変したのみならず、オリジナル童話を70歳で没するまでに次々に創作しました。その数、じつに一五六篇。まさに、アンデルセンこそは「童話の王様」であり、「ファンタジーのダム」でした。

アンデルセンに影響を与えたファンタジー作品

では、そのアンデルセンに影響を与えたファンタジー作品はあったのでしょうか。ありました。それも、アンデルセン童話と同じく世界的にもっとも有名な作品でした。

すなわち、『アラビアンナイト』です。西尾哲夫著『アラビアンナイト――文明のはざまに生まれた物語』(岩波新書)によると、ルイ一四世の時代のフランス人東洋学者アントワーヌ・ガランが、たまたま『アラビアンナイト』の写本を入手してこれをフランス語に翻訳しました。これは宮廷の話題をさらい、すぐさま英語に訳され、つづけて欧米諸語に翻訳されました。こうして『アラビアンナイト』は、アンデルセンやゲーテの愛読書となったのです。

また、トールキンの『指輪物語』やJ・K・ローリングの『ハリー・ポッター』などのファンタジー作品が誕生したのも、『アラビアンナイト』の翻訳を通してヨーロッパにもたらされた新しい文学思潮の流れを汲んでいることが指摘されています。

一八世紀のフランス宮廷では「シノワズリー」なる中国趣味が大流行しており、オリエンタルな世界に対するあこがれが強くありました。『アラビアンナイト』が提示する物語世界は、このような時代の空気にぴったりとマッチしたのです。さらに文学的な側面について西尾氏は、「イスラムという異文明の異界観に依拠した空想の世界は、キリスト教的中世から訣別したルネサンス以後のヨーロッパ人にとって新鮮な魅力に満ちていたということもあるだろう。アラビアンナイトは、新しい文学世界を近世ヨーロッパに提示したのだった」と述べています。

その後、ゴシック小説の誕生にも影響を与えたことはよく知られており、シェリー夫人の『フランケンシュタイン』やブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』などの怪奇小説の誕生にも一役買っています。

『アラビアンナイト』あるいは『千夜一夜物語』の題名で知られている物語集の原型は、唐とほぼ同時代に世界帝国を建設したアッバース朝が最盛期を迎えようとする九世紀ごろのバグダッドで生まれたとされています。アッバース朝の最盛期とは、イスラム教の最盛期でもあります。すなわち、『アラビアンナイト』とはイスラム教の物語集であり、いわば『コーラン』の世俗版なのです。実際に一読すればわかりますが、「アッラー」の名が至るところに登場し、イスラムの教えが説かれています。

そのような本をキリスト教徒であるアンデルセンが愛読したということに興味を抱いてしまいます。ここで、キーマンとなるのが彼の父親です。通説上アンデルセンの「父親」とされる人物は23歳の若い靴修理職人、つまり、同業者組合への加入を認められない最下層の職人でした。結婚当初は住む家もなく、馬小屋を改装した安アパートに住んでいました。すなわち、アンデルセンはイエスと同じように馬小屋で生まれたわけです。さらに、父親は文学を好み、幼いアンデルセンに『アラビアンナイト』を繰り返し読み聞かせたとされ、それがアンデルセンの文学への興味の出発点となっていることは、『アンデルセン自伝』にもはっきりと記されています。そういえば、『絵のない絵本』に出てくる月は、イスラム教が崇拝する月のイメージに重なるような気がします。

アンデルセンの父親はまた、イエス・キリストについて「神ではなく、単に偉大な人間である」との大胆な発言をしたり、世間の人々が一八一一年の彗星の出現を「この世の破滅」と脅えたとき、それを科学的に説明してやって迷信を取り除こうとするなど、興味深いエピソードを多くもつ謎の人物です。

ともあれ、父親の影響でアンデルセンが『アラビアンナイト』を愛読したことは事実であり、9・11の直後にアメリカが爆撃したバグダッドで『アラビアンナイト』が誕生したということも事実です。

キリスト教の歴史に対する違和感

アンデルセンや、彼の影響を強く受けたサン=テグジュペリは『聖書』の世界をファンタジーのかたちで示したといわれています。当然ながら二人ともキリスト教徒でした。しかし、サン=テグジュペリの『星の王子さま』はユダヤ人としてナチスに捕らえられた友人レオン・ウェルトに捧げられています。ウェルトはもちろんユダヤ教徒です。

また、同じくアンデルセンの影響を受け、サン=テグジュペリとほぼ同時代人の宮沢賢治は熱心に法華経を信仰し、膨大な彼の童話にはその世界観が表現されているといわれます。さらに彼の『銀河鉄道の夜』では、法華経を超え、仏教さえも超え、ついには人類愛にまで行き着いた観さえあります。

賢治に影響を与えたもう一人の人物であるメーテルリンクは宗教を超えた人類の「叡智」を求め、「心霊主義」としてのスピリチュアリズムにも強い関心を示してします。

さて、ここのところずっとファンタジー・ブームが叫ばれつづけています。『ハリー・ポッター』の大ヒットからはじまったブームはトールキンの『指輪物語』やルイスの『ナルニア国ものがたり』、さらにはル=グインの『ゲド戦記』などのファンタジーの歴史に燦然(ルビ・さんぜん)と輝く超大作のリバイバルも呼び起こし、これらの作品の映画化も実現してきました。

わたしも、映画化された作品をすべて観ましたが、どうにも気になったことがあります。

それは、どの作品もハイライトが戦争シーンであることです。たしかに『指輪物語』を忠実に映像化した「ロード・オブ・ザ・リング」三部作などはアカデミー賞を独占しただけあってすばらしいクオリティの作品でした。しかし、延々とつづくスペクタクルな戦闘の場面にどうにも違和感を覚えてしまったのは、わたし一人だけでしょうか。わたしは、「なぜ、癒しと平和のイメージを与えてくれるのではなく、ファンタジー映画に戦争の場面ばかり出てくるのか?」と素朴に思ってしまうのです。

もちろん、「光」と「闇」の対立とか、「善」と「悪」の対決とか、いいたいことは何となくわかります。それでも、どうしようもなく湧いてくる違和感。それは、「世界を正義の光で満たす」といいながら、世界中の国々を侵略していったキリスト教の歴史に対する違和感に通じるものです。

「異民族は皆殺しにせよ」

15世紀から17世紀にかけての大航海時代、コロンブスやマゼランといったヨーロッパ人たちは「未開の地」である新大陸に上陸しました。そこで彼らは、冒険家も宣教師もみな、罪もない原住民を殺しまくったのです。

スペイン人のピサロがペルーに渡ったときも、彼とその一行はインカ帝国を滅ぼし、その財宝を略奪したばかりか、そこに暮らす先住民を無慈悲に殺戮しました。

北米に移住してきたキリスト教徒たちも、ピサロに負けるなとばかりに先住民を殺しまくりました。移民当初は100万人はいたと推定されている先住民は、19世紀末にはわずか1万人足らずに減りました。

カリブ海に浮かぶ島々の先住民は、マルティニーク島をはじめ島によっては、一人残らず殺戮されています。

まさに「極悪非道のきわみ」としか表現できませんが、殺戮者たちには後ろめたさなどありませんでした。キリスト教の教義に従って異教徒を殺しただけだったからです。

このようなジェノサイド(民族皆殺し)の原点は、『旧約聖書』の「ヨシュア記」に見られます。神はイスラエルの民にカナンの地を約束しました。ところが、イスラエルの民がしばらくエジプトにいるうちに、カナンの地は異民族に占領されていました。そこで、「主はせっかく地を用意してくださいましたけれども、そこには異民族がおります」と述べたのです。すると神は、なんと「異民族は皆殺しにせよ」と言ったのです。

神の命令は絶対に正しい。となれば、異民族は皆殺しにしなければならない。殺し残したら、それは神の命令に背いたこととなり、大きな罪となるわけです。

神に対して敬虔であればあるほど、異教徒は殺さなくてはならない。この意味において、キリスト教は殺人宗教です。かの十字軍の遠征にしても途方もない殺人遠征でした。

1096年から始まる十字軍そのものは、教皇ウルバヌス二世の政治的意図から発しており、当初は聖地エルサレム奪回という意図は希薄でした。しかし、中世のキリスト教カルト集団たちの目には、十字軍は、サタンと反キリストに支配されているイスラム勢力を滅ぼし、セルジューク朝に支配されている聖地を奪回して千年王国を実現する「聖戦」(ジハード)ととらえられたのでした。

イスラム教徒がキリスト教の聖地巡礼を迫害しているという名目でスタートした十字軍遠征は、キリスト教側のデマゴーグであり、迫害などほとんどなかったことが世界中の歴史学者によってあきらかにされています。

キリスト教側が攻撃や略奪などを繰り返したので、イスラムはムハンマドの伝統にのっとって「聖戦」(ジハード)に乗り出したというのが歴史の実態なのです。そもそも『コーラン』には、防衛戦争以外の戦争をしてはならないとはっきり記されているのです。

ですから、いくら異教の香り漂うケルトの世界観が背景になっているとはいえ、『指輪物語』『ナルニア国ものがたり』『ゲド戦記』などには、かつてのキリスト教的価値観が無反省に投影されているような気が、わたしにはするのです。

そもそも「光と闇」とか「善と悪」などという対立の構図そのものが「神と悪魔」と並んで、キリスト教におけるデマゴーグの王道でした。それは、現代における最大のキリスト教国家であるアメリカの戦争外交にまでつながります。原作のファンタジー作品よりも映画のほうに戦争の匂いを強く感じるのは、その製作がアメリカによって行なわれているせいかもしれません。

メルヘンの末裔として人間の魂に養分を与えるべきファンタジーの中に殺伐とした戦争シーンが出てくるのは、わたしにはどうしても奇異に思えます。

ファンタジーは宗教を超える

真のファンタジー、つまりハートフル・ファンタジーとは、「死」の真実や「幸福」の秘密を語るものであると述べました。メルヘンが子どもたちへのメッセージなら、ハートフル・ファンタジーは老人たちへのメッセージであるとも述べました。

ハートフル・ファンタジーは、戦争の場面など必要としません。ひたすら読む者の心を癒し、平和のイメージを与え、幸福の意味について教えてくれます。そして、本書で紹介した四人の童話作家の作品こそはハートフル・ファンタジーであると確信しています。

『アラビアンナイト』という幻想的な物語の大河が、アンデルセンというダムに流れ込み、そこから支流としてのメーテルリンク、サン=テグジュペリ、宮沢賢治らへと流れていく。ここには、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も仏教も、スピリチュアリズムさえ関係ありません。もしかしたら、ファンタジーは宗教を超えることができるのでしょうか。

というより、ファンタジーには宗教同士の衝突という愚行を「物語」によって回避する秘力が備わっているのかもしれません。そして、その秘力とは「魂の錬金術」と同義語ではないでしょうか。ハートフル・ファンタジーを紡ぎ出す童話作家たちはすべて、「魂の錬金術師」なのです。

倫理学者の小原信氏は、『ファンタジーの発想』(新潮選書)において次のように述べています。

「ながい歴史のなかで、人類が直面した多くの危機はすべてファンタジーに起因するものである。神話も宗教も、戦争も友情もすべてそれぞれがお互いにいだくファンタジーによって起こり、またファンタジーによって収拾されてきた」

わたしは、「政治的決着」や「大人の解決」というような意味合いで、「ファンタジー的決着」とか「ファンタジー的解決」というようなものがありえるのではないかと真剣に考えはじめています。

不安の中に宿るもの

そもそもファンタジーとは何でしょうか。それは、人間が言語や意識をもったことによって生まれたものです。

人間はもともと宇宙や自然の一部でした。また、そのように自己認識していました。しかし、言語をもち、それによって意識をもったことで、自分がこの宇宙から分離され、孤立した存在であることを知ってしまったのです。つまり、意識の中に不安を宿したのです。

実存主義の哲学者たちは、それを「分離の不安」と呼びます。しかし、不安を抱えたままでは人間は生きにくいので、それを除去する努力をせざるをえませんでした。「分離の不安」を克服し、「心の安らぎ」を得るためには、重要な問題が一つあります。それは「死の恐怖」です。

フロイト理論に大きな影響を受けた岸田秀氏は、人間は本能の壊れた動物であり、本能に代わる行動指針として「自我」をつくったのだと主張します。この本能の代わりとなる「自我」が「死の不安」と深くかかわっているのです。

岸田氏によれば、本能だけで生きている動物には「死の恐怖」がないそうです。動物の個体の生命というのは同種の動物のほかの個体の生命とつながっているわけだから、動物には死の恐怖はないというのです。

なるほど、象でもネズミでも何でもよいですが、動物は人間のように「分離の不安」を宿していません。あるのは、より大きな生物種に属しているという意識です。ですから、個体が死ぬときも、その生物種が存続すればそれでよしという部分があり、人間が「自分が死ぬのは、宇宙が終わるのと同じ」と感じるような死の恐怖は感じないのでしょう。

そう、人間が「分離の不安」とともに得たものこそ「死の恐怖」だったのです。本能だけで生きていれば、死ぬことを恐れずにすんだのに、本能が壊れて自我をもってしまったがゆえに人間の心には「死の恐怖」が棲みついてしまったわけですね。

さらに、死の恐怖というのは耐え難い恐怖です。人間はその恐怖を鎮めるために「本当は、自分は切り離されていないのだ。神につながっているのだ」という信仰を必要としました。それが宗教になったのではないかと、岸田氏は述べています。

そして、「分離の不安」を消したい人間は、この世界そのものが意志をもった存在であると考えるようになります。それがアニミズムの世界というわけです。樹木とか魚とか万物に霊魂が宿っているというアニミズムは、精神分析的にいえば「自己投影」だと岸田氏はいうのです。自我をもったがゆえに、人間は世界をそのように見るというわけです。

世界にはわけのわからないことがたくさんあります。雨、雷、台風……さまざまな自然現象があります。自然現象以外にも、貧困とか病気とか、人間の理解を超えた現象も多い。古代人たちがそれらのことをなんとか理解し、なんとか世界にかかわっていこうとすることは当然でしょう。そして、人間にとって最大の理解を超える現象こそ「死」にほかなりませんでした。

わたしは、著書『法則の法則』において、きっと古代人たちは、そこに「法則」を見たのではないかと推測しました。人類は、不可解な現象をなんとか理解し、納得し、心を安らかにするために「法則」を求めつづけてきたのではないでしょうか。心に自我を宿した瞬間、「法則」を求めるスイッチが作動したのです。

それと同時にファンタジーのスイッチも作動したのではないでしょうか。人間は、「法則」も「ファンタジー」もともに必要とする生きものだと思います。というより、法則も広い意味での「物語」であると考えるなら、人間が自我の代用品として必要とするものこそ物語であり、その中に法則もファンタジーも入ってしまうのかもしれません。その後、ファンタジーは宗教に、法則は科学へとその姿を変えていったように思います。

サンタクロース誕生の理由

現代日本を代表する脳科学者である茂木健一郎氏は、著書『脳と仮想』(新潮文庫)の中で、人間はなぜ「平和」や「愛」という仮想を生み出さなければならなかったかという問いを立てています。また、「サンタクロース」とか「一角獣」とか「極楽浄土」などという仮想を、なぜ人類は必要としたのか。その答えを茂木氏は次のように述べます。

「私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、この上なく厳しい人間の生存条件の中で、私たちの心が傷つき、その傷が治癒される際に放射される光のようなものではなかったか」

そう、「仮想」とは脳内で放射される癒しの光なのです。人間の心が傷ついたとき、または傷つきそうな不安を感じたとき、「神」「仏」「天国」「極楽」「愛」「平和」「サンタクロース」といったさまざまな仮想たちが心に立ち上がってくる。そして、人間の心は深い部分で癒される。その一連のプロセスが、大いなる仮想の体系である宗教や芸術や哲学を生んだのではないでしょうか。

茂木氏は述べます。

「仮想によって支えられる、魂の自由があって、はじめて私たちは過酷な現実に向かい合うことができるのである。それが、意識をもってしまった人間の本性というものなのである」

では、人間にとって最大の過酷な現実とは何でしょうか。それは「死」にほかなりません。アンデルセンの描いた『マッチ売りの少女』は、死に際してマッチに火を灯し、「クリスマスツリー」「ごちそう」「亡くなったおばあさん」という仮想たちに出会い、幸せな気持ちのまま天国に旅立って行きました。

人間はさまざまな仮想たちを脳内に立ち上がらせ、心の傷を癒し、さらには過酷な現実に向かい合うことができるのかもしれません。

仮想は物語の姿を選びます。実際、人間はさまざまな物語によって「死」を乗り越えてきました。「あの世」も「生まれ変わり」も「千の風」も、いずれも一種のファンタジーであるといえます。そして、すべての葬儀というセレモニーはファンタジーにもとづいて行なわれているといえます。

わたしは冠婚葬祭業者として、日々、多くの「愛する人を亡くした人」に接しています。その人たちの心は不安定に揺れ動いています。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。

親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残ります。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険なものです。

葬儀というファンタジー

では、この儀式という「かたち」はどのようにできているのでしょうか。それは、「ドラマ」や「演劇」にとても似ています。死別によって動揺している人間の心を安定させるためには、死者がこの世から離れていくことをくっきりとしたドラマにして見せなければなりません。ドラマによって「かたち」が与えられると、心はその「かたち」に収まっていきます。すると、どんな悲しいことでも乗り越えていけるのです。

それは、いわば「ファンタジー」の力だといえるでしょう。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、ファンタジーの力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのかもしれません。

つまり、ファンタジーという物語があれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。

仏教やキリスト教などの宗教は、大きな物語なのかもしれません。「人間が宗教に頼るのは、安心して死にたいからだ」と断言する人もいますが、たしかに強い信仰心の持ち主にとって、死の不安は小さいでしょう。

死者が遠くに離れていくことをどうやって表現するかということが、葬儀の大切なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために、葬儀というものはあるのです。たとえば、日本の葬儀の九割以上を占める仏式葬儀は、「成仏」という物語に支えられてきました。葬儀の癒しとは、物語の癒し、つまりはファンタジーによる癒しなのです。

わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに語っています。あなたの愛する人が亡くなるということは、あなたの住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住みつづけることは、必ず精神の崩壊を招きます。

不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語つまりファンタジーの癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことにほかならないのです。

わたしは今後、葬儀はさらにファンタジー化していくと考えています。ファンタジーとは「月の文学」であると述べました。そして、死後の世界もファンタジーそのものです。わたしは、「月」と「死後の世界」という二大ファンタジーをふたたび結びつけ、それを葬送のセレモニーに反映することによって、「死はけっして不幸ではない」という普遍のメッセージを発信できるのではないかと考えました。

「月面聖塔」「月への送魂」「月の広場」といった具体的なプランによって、わたしは一貫して「月」を基軸とした「死」と「死後」のリ・デザインを行なってきました。これらの試みは、ハートフル・ファンタジーの世界を現実に置きかえる実験だと思います。

そして、わたしは、人が亡くなっても「不幸があった」と日本人が言わなくなる日まで、これらの試みを死ぬまで、また死んだあともつづけていきたいと考えています。