平成心学塾 童話篇 涙は世界で一番小さな海 #003

マッチ売りの少女

神は見捨てない

アンデルセンは敬虔なキリスト教徒であったにもかかわらず、その人生を通じて「イエスは神か人間か」という問題に悩まされつづけました。

実際、この問題はキリスト教にとってのアキレス腱ともいえる部分だと思います。やはり、どう考えても、マリアが処女のまま神の子を宿したというのは信用しろというほうが無理ではないでしょうか。そんな突っ込みどころの多いファンタジーよりも、キリスト教はもっと豊かですばらしいファンタジーを人類に与えてくれました。

それは、神が最終的に人間の魂を救済してくれるという「救い」の物語です。アンデルセンの童話は、必ずしもハッピーエンドで終わるわけではありません。でも、その登場人物たちはみな、さまざまな苦しみを味わいながらも、なんとか「救い」に向かって進んでいこうとします。そして、最終的に神は彼らを救済します。『人魚姫』をはじめ、「パンをふんだ娘」にしろ、「赤い靴」にしろ、自分の過ちゆえ苦しんだ者たちをも最後に神は見捨てないのです。これは、親鸞の「悪人正機説」のごとく、アンデルセン童話を読んだ多くの人々に希望を与えたはずです。

そして、救われた魂は永遠の楽園で暮らすという「天国」の物語です。『人魚姫』にもこのテーマが暗示されていますが、それをさらに深く追求し、豊かに描いたアンデルセン作品が『マッチ売りの少女』です。

この話を知らない人はいないでしょう。物語はこのようにはじまります。

「それはそれは寒い日でした。雪が降っていて、あたりはもう、暗くなりかけていました。その日は、1年のうちでいちばんおしまいの、おおみそかの晩でした。この寒くて、うす暗い夕ぐれの通りを、みすぼらしい身なりをした、年のいかない少女がひとり、帽子もかぶらず、靴もはかないで、とぼとぼと歩いていました」(矢崎源九郎訳)

少女はマッチを売っていますが、まったく売れません。マッチ売りの少女は寒さのあまり、一本も売れなかったマッチをともして暖をとろうとします。

マッチをともすたびに、きれいな部屋、ごちそう、クリスマスツリーなどの不思議な光景が浮かんできます。そして最後には、亡くなったはずの懐かしいおばあさんの姿が浮かんできました。翌朝、街の人々は少女の亡骸(ルビ・なきがら)を目にします。最後には、こう書かれています。

「この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした」(矢崎源九郎訳)

『マッチ売りの少女』が教えてくれること

この短い童話は、いろんなことをわたしたちに教えてくれます。まず、「死はけっして不幸な出来事ではない」ということ。日本人の多くは、人が亡くなると「不幸があった」などと口にしますが、万人に必ず訪れる「死」を「不幸」と呼んだ瞬間に、すべての人は最後は不幸になってしまいます。伝統的なキリスト教の教えではありますが、『マッチ売りの少女』は、「死とは、新しい世界への旅立ちである」ことを気づかせてくれるのです。

そして、「救い」と「天国」の物語がやさしく語られています。

さて、『マッチ売りの少女』には、さらに2つのメッセージが込められています。1つは、「マッチはいかがですか? マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。

ここから、わたしは「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を思い浮かべました。これは『論語』に出てくる儒教の教えです。

孔子は、「勇」を「正しいことをすること」の意味で使っています。

いま、約64億の人口を養うための食料が世界には十分にあるにもかかわらず、依然として飢えや栄養不良に苦しんでいる8億5400万人以上の人々がいます。干ばつ、エイズ、マラリア、この三重苦にあえぐアジア・アフリカ地域では、5秒に1人の割合で5歳以下の子どもが亡くなっています。その原因は圧倒的に栄養不良だそうです。

そして、この子どもたち1人に対して20円あれば、1日生き長らえることができるそうです。つまり、わずかコーヒー1杯のお金で、10人以上の子どもたちを1日生き長らえさせることができるのです。この事実を、わたしは国連WFP協会の会長である丹羽宇一郎会長の講演会で知りました。丹羽会長は伊藤忠商事の会長でもありますが、わたしが伊藤忠商事に招かれ講演させていただいたご縁で丹羽会長の講演会を聞かせていただいたのです。そこで、マッチ売りの少女のように「わたしの命を助けてください」という心の叫びを発している子どもたちが世界にはたくさんいるという現実を知り、たいへんなショックを受けたのです。

わたしは、いてもたってもいられなくなって、飢餓と貧困の撲滅を使命とする国連WFP協会に加盟させていただきました。正式名称は「特定非営利活動法人 国際連合世界食糧計画WFP協会」ですが、わが社は評議員メンバーとして認めていただき、現在、世界の子どもたちの命を救うお手伝いをさせていただいています。

「わたしの命を助けてください」という心の叫びを発しているのは子どもたちだけではありません。子どもと同様に弱者とされる老人たち、それも身寄りのない孤独な老人たちも悲痛な叫び声をあげています。

孤独死を防ぐ隣人祭り

最近、「隣人祭り」というものが非常に話題になっています。地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会の集合住宅に暮らす人たちが年に一度、顔を合わせるのですが、いまやヨーロッパを中心に29カ国、800万人が参加するそうです。

隣人祭りの発祥の地はフランスです。パリ17区の助役であるアタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。きっかけは、パリのアパートで一人暮らしの女性が孤独死し、1カ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1カ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。

同じ階に住む住民に話を聞くと、「1度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。

大きなショックを受けたペリファン氏は、「もう少し住民のあいだに触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて一九九九年に隣人祭りを人々に呼びかけたのです。

第一回目の隣人祭りは、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。最初の年は約1万人がフランス各地の隣人祭りに参加しましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には約800万人が参加するまでに発展し、同年5月にはついに日本にも上陸しました。

日本でも孤独死は増えています。全国に約77万戸ある都市再生機構の賃貸住宅では2007年度に589人が孤独死しました。じつに5年前の2倍で、その7割近くを高齢者が占めています。

わが社では、孤独死を少しでも減らすことをミッションと考え、日本でもっとも孤独死の多い北九州市を中心に隣人祭り開催のお手伝いをさせていただき、多くの一人暮らしのお年寄りを紹介し合っています。

孤独死を迎えた人々は、その死の直前に「助けて!」と心の中で叫んだはずです。それは「マッチを買ってください!」というマッチ売りの少女の言葉と同じ意味だったはずです。その声を事前に聞き、SOSを事前に感じ、孤独死のような悲劇が起こらないようにする具体的な行動、それが隣人祭りの開催なのです。

「ランプの貴婦人」ナイチンゲール

また、わたしは、「看護の母」と呼ばれたフローレンス・ナイチンゲールのことも思い浮かべました。一九世紀のイギリス人女性フローレンスは、上流階級の出身でありながらみずから志願して看護婦となりました。

彼女は、17歳のときに「わたしに仕えよ」という神の声を聞き、神のみ心にかなう仕事を真剣に求めていたのです。当時のイギリスには恵まれた家庭の主婦が貧しい病人の世話をする奉仕活動があり、幼いころからフローレンスは母親について病人の家を訪問していました。彼女は、そのときがいちばん生き生きとすることに気づき、いつしか、病人の看護をすることが自分の使命であると信じるようになりました。

しかし、当時のヨーロッパにおいて、看護婦という職業は、まともな女性の仕事ではないと考えられていました。そのころの病院も、病気になった貧しい人々を収容する救貧院のような施設で、無秩序で不衛生きわまりない場所でした。貧しい女性たちが雇われて病人の面倒を見ましたが、その行動は無責任そのもので、何の手も施さず、多くの病人たちは次々に死んでいったといいます。そんな社会的地位のきわめて低い仕事に良家の令嬢であったフローレンスはみずから志願したわけです。

家族の猛反対も、2人の男性からの求婚も断り、フローレンスは看護婦への道を選びました。そして、1854年10月9日、フローレンスは手にした新聞に、クリミア半島の戦地で2千人ものイギリス軍兵士が負傷や病気で苦しんでいることを知りました。しかも、彼らは手当も受けられずにいるというのです。

ロンドンの病院で看護婦監督を務めていたフローレンスは、戦地に赴くことを即座に決意。同月21日朝には、もう選び抜いた38人の看護婦たちとともに出発しました。戦地の病院で彼女たちが目にしたのは、冷たい床の上に転がされるばかりで、何の手当も受けられずに死を待つおびただしい数の兵士たちの姿でした。

フローレンスは、まずシーツを調達しました。そして、下着や枕や包帯をつくりました。さらにはみずから床をみがいて、衛生的な環境をととのえました。その仕事ぶりを見た軍医たちは、フローレンス率いる看護婦団を信頼し、治療の指示を与えるようになります。

フローレンスは重症の患者に気を配り、大手術には必ず付き添いました。息を引き取る兵士がいれば、必ずそばに寄り添いました。

そして、夜毎、病院中をまわりました。大きな病院は六キロにわたってベッドがつづいていましたが、彼女はランプをかざして一人ひとりの様子を確認します。そんな彼女を兵士たちは感謝と尊敬の意を込めて、「ランプの貴婦人」と呼び、その影に接吻して敬意を表したといいます。

人類史上、フローレンス・ナイチンゲールをもって専門看護が始まったとされています。

彼女は社交パーティーを繰り返すような恵まれた家庭に生れ育ちながらも、生涯にわたって弱者の痛みや苦しみから目をそらしませんでした。彼女は、わたしたちに語りかけます。苦しんでいる人、困っている人がいたら、ためらうことなく手をさしのべ、助けてあげなければならない、と。そして、そんな生き方のできる人こそが「わたしは生きている」という実感に満たされる人であり、真に幸福な人なのだ、と。

彼女が生まれた8年後の1828年には、スイスのジュネーヴの裕福な家にアンリ・デュナンが生まれました。彼は、敵味方の区別なく、戦争で傷ついた人々を救う国際赤十字をつくった人です。1901年の第一回ノーベル平和賞を受けたアンリは、「赤十字の精神は、フローレンス・ナイチンゲールがお手本である」と明言しています。

いま、アンリの誕生日である5月8日は「国際赤十字の日」、フローレンスの誕生日である5月12日は「国際看護の日」になっています。余談ですが、わたしの誕生日は2人のちょうど間の5月10日です。そのことを子どものときに知ったわたしは、2人を心から尊敬するとともに、2人のように苦しむ人、困った人を救う人間になりたいと強く思った記憶があります。

「かわいそう」はどこから来るか

さらに、わたしはフローレンスやアンリの行動から、孟子を連想しました。孔子の思想を継承し、発展させた孟子は「性善説」で知られ、人間だれしも憐(ルビ・あわ)れみの心をもっていると述べました。

孟子はいいます。幼い子どもがヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとする。だれでもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思う。それは別に、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。周囲の人にほめてもらうためでもない。また、救わなければ非難されることが怖いためでもない。

してみると、かわいそうだと思う心は、人間だれしも備えているものだ。さらに、悪を恥じ憎む心、譲り合いの心、善悪を判断する心も、人間ならだれにも備わっているものだ。

かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は「義」の芽生えである。譲り合いの心は「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は「智」の芽生えである。人間は生まれながら手足を4本もっているように、この4つの芽生えを備えているのだ。

今まさに命を失おうとしている人がいたら、それを察知し、その命を救ってあげなければなりません。それは、儒教だとかキリスト教だとかの宗教のちがいなどをはるかに超越した普遍的な「人の道」だと思います。そして、これが『マッチ売りの少女』に託した、アンデルセンの第一のメッセージである。そのように、わたしは思うのです。

では、第二のメッセージとは何か。それは、少女の亡骸を弔(ルビ・とむら)ってあげなければならないということです。行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。死者を弔うことは人として当然です。

「死を待つ人の家」

ここで思い出すのは、かのマザー・テレサです。わたしがもっとも尊敬する人の一人です。

「私があなた方を愛したように、あなた方も、相愛しなさい」

マザーの一生は、このイエスの言葉に要約されています。イエスが行なった無償の愛を20世紀後半に実行した人であり、宗教、民族、年齢、性別、社会的地位等に一切かかわりなく、必要とする人々に愛の手を差し伸べた人でした。

マザー・テレサは1979年度のノーベル平和賞をはじめ、数多くの賞を受賞しました。また多くの大学から、人類愛を顕著に示した人に贈られる博士号を受け、多くの賞金も添えて贈られました。マザーは、これらの賞や賞金をけっして自分のものとすることなく、貧しい人々の名において受け、一銭残らず、彼らのために使い果たしています。

マザーが帰天したあとに残っていたものは、着古したサリーとカーディガン、古びた手さげ袋と、すり切れたサンダルだけだったといわれています。目に見える遺品は誠にわずかで貧しいものでしたが、マザーは計り知れないほどの「目に見えない」遺品を残してこの世を去りました。

最初にシスター・テレサの目に入ったもの、それは産み捨てられた孤児たちで、彼らを育てることから仕事ははじまりました。こういう子どもたちを公園から連れてきて、衛生的に生きるための基本的習慣を教え、アルファベットを覚えさせました。「何をするかと決める計画などはありませんでした。苦しんでいる人々が私たちを必要としている、と感じたとき、それに対処したにすぎません。神様は、いつも、何をするべきかを教えてくださいました」とは、マザーの謙虚な言葉です。

マザー・テレサの目的は、はっきりしていました。貧しい人々のうちにイエスを見て、その人々を愛し、その人々に仕えること。そして、そのための方法や手段はいつも、神のみ手に委ねていたのです。

ある日のこと、マザーは、歩道で死にかけている女性を見つけました。彼女の苦しみを和らげ、ベッドで心静かに人間らしく死なせてやりたいと思って、女性を連れて帰りました。この愛の行為をきっかけとして、マザーは、1952年8月に「清い心の家」にルマン・ヒリダイとも呼ばれる「死を待つ人の家」を開設することになりました。

「死を待つ人の家」では、数え切れないほど多くの人の死を看取りました。マザーは、ヒンドゥー教の人やイスラム教の人が亡くなるときは、その宗教の聖典の言葉を唱えて送ってあげました。それでいて、マザーの活動の源泉は、ゆるぎないカトリックの神への信仰でした。その根源にあるものは、人間の生命はかぎりなく尊いというイエスの教えであり、それこそ、一神教や多神教といった枠組みを超えて今後のすべての宗教のあるべき姿ではないでしょうか。

マザー亡きあとも、インドのカルカッタでは彼女の後継者たちが「死を待つ人の家」を守っています。死にゆく人々は栄養失調から来る衰弱死のため、たいていは苦悶の表情を浮かべて死んでいきますが、いまわのきわに口に氷砂糖やチョコレートなどを含ませると、ニッコリと笑って旅立っていくそうです。

また、亡くなった人は当然ながら貧しく葬儀をあげることはできませんが、せめてもの人間の尊厳として白い布が遺体にかけられます。その最期に口に含む氷砂糖やチョコレートはもちろん、死者の体を包む白布までもが不足しているというのです。

わが社は冠婚葬祭を業としていますが、そのミッションは「人間尊重」です。常々、「死は最大の平等である」とのテーゼを掲げ、その実現をめざしています。2006年一1月の創立410周年には、マザー・テレサの日本の代理人の方にわずかな寄付をさせていただきました。今後はぜひ、白布の大量寄贈をはじめとしたさまざまなサポートを「死を待つ人の家」に対して行なっていきたいと考えています。

弔う義務、弔われる権利

最近、話題となった日本映画といえば、「おくりびと」です。葬送の現場にかかわる人々を描いた作品ですが、モントリオール国際映画祭のグランプリを受賞し、世界中に大きな感動を与えたことは記憶に新しいところです。人はだれでも「おくりびと」、そして、いつかは「おくられびと」。弔うことは万人にとっての義務であり、弔われることは権利なのだと思います。わが社では、映画「おくりびと」のチケット購入でもサポートさせていただき、ほぼ全社員やその家族、あるいは関係者にこの名作を鑑賞してもらいました。

このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の二つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」なのです。

アンデルセンの残した『マッチ売りの少女』から、孔子や孟子やイエスやマザー・テレサにまでつながる「人の道」が読み取れるのではないかと思います。

さらに、第二のメッセージである「死者を弔うこと」についても、そのやり方について考えさせられます。『マッチ売りの少女』を読むと、あらためてキリスト教とは「死」の宗教であるという実感がします。

クリスマスというのも、イエスの本当の誕生日ではありません。クリスマスの正体とは、日本のお盆と同じく、死者の祭りにほかなりません。キリスト教という宗教は、「死」を不幸とせず、徹底的に「天国」を意識して、いかに心安らかに天国に帰ることができるかを追求した宗教だと思います。

当然ながら西洋の葬儀の歴史で絶大な存在感を示してきました。それはとくに音楽において顕著です。西洋音楽はキリスト教におけるBGMとして飛躍的に発達し、普及したわけですが、中でも、教会音楽の作曲家バッハは、けたちがいの才能の持ち主でした。バッハの音楽は、神を信じ、祈りの中から生まれたといわれています。どれも現在も生きつづける芸術的価値の高いものばかりですが、彼はとくに葬儀音楽に力を入れていました。

そして、人々に天国のイメージを自然に連想させました。キリスト教は「死」を不幸とはせず、悲しみとさえせず、ただ神のみもとに帰るというポジティブな考え方をもち、それにもとづいて葬儀も執り行なわれます。ですから、キリスト教の葬儀は暗くありません。

日本でふつうに行なわれる仏式の葬儀では、焼香のあとで清め塩を受け、衣服や靴などにふりかけます。亡骸に接したことで穢(ルビ・けが)れた自分を清めるという、神道につながる考え方です。この習俗には、わたしなども違和感があるのですが、キリスト教信仰をもつ人から見ると、かなりためらいを覚えるようです。

理由は、第一に死者に対する「礼」を失していることです。息絶えて現世との連絡が絶たれた瞬間から、穢れた者として扱われるのはどうしたことか。とくに家族や親しい者、愛する者であれば、やりきれません。キリスト教の信者たちいわく、これではまさに「浮かばれない」。

ここで思い出すのは『古事記』の、死んで黄泉に下ったイザナミの穢れた姿であり、追いかけて行ったイザナギが恐怖のあまり逃げ帰るほどの、あの不気味さです。

2番目の理由は、塩で穢れを落とすという気持ちの処理の仕方です。問題は、穢れが外部から付着し、まるでホコリを払うように簡単に落とせるという意識です。キリスト教では、外部からの穢れではなく内部の罪を問題にします。つまり払い落とせるような生易しいものではなく、心の内側にカビか水虫のように住み着いている手強い相手、それが罪であるというのです。

原罪意識はネガティブ思考にもつながるので納得できませんが、塩で清める行為が死者への礼を失しているという指摘には全面的に賛成です。今後の日本人の葬儀において、キリスト教的発想は大いに参考になるでしょう。

マッチ売りの少女の大きなスリッパ

『マッチ売りの少女』という興味深い物語についてさらに深く見るなら、最後の部分にもう一度注目したいと思います。

「この子は暖まろうとしたんだね、と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国へのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした」(矢崎源九郎訳)

ここで、「おばあさんといっしょに」というところがポイントです。少女の死は、彼女を唯一かわいがってくれた、今は亡き最愛のおばあさんと一体化するためのものということがわかります。なぜ、お母さんではなく、おばあさんなのでしょうか。お母さんは、どうしたのでしょうか。アンデルセンは、経済的にまったく恵まれない少女時代を送った自分の母親をモデルにして、この物語を書いたと一般にはいわれているのですが。

少女は靴もはかず、裸足で雪の中を歩いています。その理由が冒頭で述べられています。

「でも、家を出たときには、スリッパをはいていたのです。けれども、そんなものがなんの役に立つでしょう! なぜって、とても大きなスリッパでしたから。むりもありません。おかあさんが、この間まで使っていたものですもの。ですから、とても大きかったわけです」(矢崎源九郎訳)

ここには、母親がすでに他界していることが暗示されています。スリッパは母の形見なのです。では、なぜそのスリッパを少女ははいていないのか。物語はつづきます。

「それを、少女ははいて出かけたのですが、通りをいそいで横ぎろうとしたとき、2台の馬車がおそろしい勢いで走ってきたので、あわててよけようとした拍子に、なくしてしまったのです。かたいっぽうは、そのまま、どこかへ見えなくなってしまいました。もういっぽうは、男の子がひろって、いまに赤ん坊でも生れたら、ゆりかごに使うんだ、と言いながら、持っていってしまいました」(矢崎源九郎訳)

臨床心理学者の森省二氏によれば、母親の形見であるスリッパをなくしてしまうことは、母子の愛の絆が断ち切られてしまったことを物語っているそうです。また、もう片方のスリッパをなくし、それがふたたび「ゆりかご」に使われるという展開は、ユング心理学の「死と再生」のテーマ、すなわち死者が生まれ変わることを象徴しているようです。森氏は、少女が母親の愛を失い、やがて自分も死んで、その魂がふたたび生まれ変わることを暗示していると分析します。

マッチの光が浮かべたもの

それでは、少女がマッチの光の中で見る幻影は、なぜ「お母さん」ではなく、「おばあさん」なのか。森氏は、『ファンタジーの大学』(DHC)所収の「『マッチ売りの少女』の心的世界」において次のように述べます。

「一般的に母・子の愛情関係はなまなましくホットで、現実的かつ活動的な関係です。その愛情の深さの裏面には、憎悪が隠されてもいます。そのため、永遠かつ神聖な、あるいは教訓的な愛情関係を語るには多少不向きであり、むしろ、脱性化した老人と子どもの関係のほうが、好都合なのです」

なるほど、親と子よりも、祖父母と孫のほうが相性がよいというのは納得できます。子どもは霊界から来たばかりの存在であり、老人はもうすぐ霊界へ旅立ちます。ともに神にもっとも近い存在なのです。そして、昔から、男と女の一体化と並んで、子どもと老人の一体化は「完全なる人間」を生み出すと考えられました。日本の昔話を見ても、「桃太郎」にしろ「かぐや姫」にしろ、必ず老人が登場するのはそういった意味があると思います。

森氏は述べています。

「『マッチ売りの少女』は、母親ではなく、おばあさんと少女の愛を主軸にすえることで、解脱した、憎悪がなく、神聖かつ永遠の愛の姿を語っているのです」

アンデルセン自身も、不幸な境遇を送った自分の母親よりも祖母に愛着をもっていたようです。そんな個人的な心理もあって、少女と祖母の一体化を望んだのかもしれません。

マッチを擦る回数が4回なのも象徴的です。キリスト教徒は、降誕節に毎週1本ずつ4本のローソクをともしてクリスマスを迎えます。キリスト教において十字架を表現するしぐさも、天地左右の4点をつなぎます。すなわち、「4」は完成や完結の数とされ、4回目に昇天することが予告されているのです。

そして、マッチそのものにも注目すべきでしょう。作家の荒俣宏氏は、『別冊太陽 童話の王様アンデルセン』所収の「都会の創る童話~アンデルセンと19世紀都市文明」という秀逸なエッセイを次のように書き出しています。

「アンデルセンの童話を読んで、いつも思うことがある。アンデルセンは日常の小さな発明品や、文明の産みだしたおもしろい製品に、とても関心のある人だったにちがいない、と。

いや、むしろこういい直したほうがよいかもしれない。どんな人も新技術の出現に無関心でいられないような、そんな革新文明の時代に生まれあわせたのだ、と」

マッチ売りの少女が擦ったような、軸のあるマッチは19世紀前半に発明されました。摩擦マッチは1827年に、赤リンを側薬にした安全マッチは1845年に開発されています。この時期は、アンデルセンが童話をさかんに書いていた時期と重なります。つまり、シュッと擦って火をつけるマッチが最新の発明品だった時代に、アンデルセンは『マッチ売りの少女』を書いたわけです。荒俣氏は、「マッチ売りの少女は、いわば当時最先端をゆく文明の利器を売っていたのである。したがって、マッチはすでに最初から夢みるような魔法の商品というイメージを、そなえていた」と述べています。

アンデルセンが童話に起こしたイノベーション

「童話の王様」といわれたアンデルセンは、童話の世界に数々のイノベーションを起こした人でもありました。たとえば、童話の世界に都会生活を持ち込んだこともその一つです。それまでの童話といえば、古城とか森とかいった舞台設定が好まれました。実際に近代産業社会以前に成立していた地方の民話から童話がつくられていたわけですから、それも無理はありません。

しかし、アンデルセンは都市やその生活に強い関心をもち、自分の童話には、近代工業の生産品や新しい技術を応用したオモチャなどを大量に登場させたのです。そのシンボルこそ、マッチであり、機械じかけのナイチンゲールであり、すずの兵隊というティントーイでした。

すべては文明の産物ですが、とくにマッチは象徴的です。なぜなら、マッチが起こす火とは、文明そのものの代名詞といえるからです。

わたしは、アンデルセンが書いた二大童話ともいえる『人魚姫』と『マッチ売りの少女』はある意味で対をなす作品だと考えています。というのは、前者は「水」の物語であり、後者は「火」の物語だからです。

水と火。わたしは、ここに人類の謎があるような気がします。人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。もともと世界は水から生まれたとされます。しかし、人類は火の使用によって文明を生みました。「ギリシャ神話」のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。

そして、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。わたしは「ヒロシマナガサキ」という原爆のドキュメンタリー映画を観たのですが、広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を」と言って死んでいったといいます。

命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのずばりの兵器もありました。

人類の「かく在りたい」という理想郷のイメージは、天国や楽園に投影されています。そして、極楽浄土やエデンの園のイメージが代表するごとく、天国や楽園とは豊かな水をたたえた場所です。人類における最初の戦争は、おそらく水飲み場をめぐっての争いではなかったでしょうか。それほど、水は人間の平和や幸福と深くかかわっていると思います。

そして、火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。そして、自動車も冷暖房機もケータイもパソコンも、みな火の子孫なのです。わたしたちは、もはや火と別れることはできません。しかし、水は人類にとってもっとも大切なものです。

ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。人類の役割とは、火と水を結婚させて「火水(かみ)」を追い求めていくことではないだろうか。「火水(かみ)」とは「神」です。これからの人類の神は、けっして火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えていくことが必要ではないでしょうか。

アンデルセンの童話を追っているうちに、話が思わぬ方向まできてしまったようです。それにしても、短い童話の中にこのようにさまざまな意味を読み取らせるアンデルセンのメッセージ力の高さはただごとではありません。

アンデルセンの描いた二つのタブー「死と痛み」

アンデルセンが童話のイノベーターであると述べました。彼が童話の世界に初めて持ち込んだものは、都会生活や文明の最新技術だけではありません。彼は、そのほかにもいろいろなものを持ち込みました。

たとえば、「痛み」。赤い靴をはいたカーレンの踊りつづける足の痛み、人間になる代償として舌を引き抜かれる人魚姫の痛み、そしてマッチを擦りつづける少女の凍えてかじかむ指先の痛み。アンデルセンほど、子どもたちに「痛み」について考えさせた作家はいません。それは、それまでの児童文学においては完全なタブーだったのです。

そして、最大のタブーこそは「死」でした。アンデルセンは童話に「死」を持ち込んだ人だったのです。人間の「愛」と「死」を見つめつづけた彼は、水の物語である『人魚姫』では「愛」の本質を、火の物語である『マッチ売りの少女』では「死」の本質を見事に描き切ったと思います。

『マッチ売りの少女』には、死にいたる少女の心理が克明に描かれています。まるで、キューブラー・ロスの「死の体験」についての研究をそのままファンタジーにしたような感さえあります。

アンデルセンは、童話によって人類最大のミステリーに挑戦しようとしたのかもしれません。そして、彼が持ち込んだ「死」の問題のさらに奥へと分け入り、「死後」の問題にまで思いを馳せた人物こそ、ノーベル賞作家でもあるベルギーのメーテルリンクでした。