八大聖人「老子」
八大聖人「老子」
●謎に満ちた人物
老子という人物は、とにかく謎に満ちている。老子が書いたとされる書物も『老子』という。神秘的な色彩が強い書物の内容と同じく、老子という人物もまた人間ばなれした不思議な存在としてイメージされる。後世の画家たちのイマジネーションを刺激したように、ただ一人で青い牛に乗って、どこともしれぬ遠い彼方へ去ってゆく仙人というのが典型的な老子像ではないだろうか。
その最も古い伝記は『史記』の老子伝である。それによれば、姓は李(り)、字は耼(たん)で、老子とか老耼(ろうたん)とか呼ばれる。現在の河南省鹿邑(ろくゆう)県東方の人で、周王室の図書館の役人だった。
おそらくは伝説だろうが、孔子が訪ねて礼についての質問をしたというから、時代は紀元前6世紀の末ということになる。そのとき老子は、孔子に対して、聡明と雄弁を棄(す)てて我執(がしゅう)から離れよと諭(さと)している。
やがて老子は周の衰運を予見して都を去る。その後、関所の役人の喜(き)という人物の頼みで、上下二篇五千数百字の書物を著わし、それから消息を絶ってしまう。この書物が現在の『老子』である。
老耼についての情報は以上がすべてである。『史記』はなお別の2人の老子という人物の伝記を紹介している。1人は、楚(そ)の国の老萊子(ろうらいし)という陰士(いんし)である。もう1人は、孔子の死後の129年目に秦の将来について予言をした周の太史儋(たいしたん)という人物だ。つまり、『史記』に出てくる老子は3人いるのである。
『史記』が書かれた頃には、すでに幾通りかの老子についての言い伝えがあって、曖昧になっていたのだろう。
●道(タオ)の思想
『老子』は古くから、おそらくは漢代から『道徳経』と呼ばれた。二篇の題名がそれぞれ「道経」「徳経」であったためである。これは上篇の第1章が「道」の字ではじまり、下篇の最初となる第38章の第二字が「徳」の字であることから、便宜上つけられた名であるようだ。上篇は必ずしも「道」を説くだけではないし、また下篇においてのみ「徳」が説かれるわけでもない。
「道」という字は、上・下篇を通じて全部で76回登場し、「徳」は44回である。それゆえ、「タオ」とも呼ばれる「道」は老子の思想における最重要キーワードなのだ。
その「道」(タオ)を一種の形而上的な存在として説くところが老子の思想の特色である。まず、世間一般にいう「道」が一面的で相対的なものにすぎないことを論破する。つまり、老子の「道」は単なる道路でもなく、儒家のいう人倫の道でもないのである。それは、老子が恒久不変、絶対的であるとして提唱する「道」である。その「道」は、見ることも聞くことも手に取ることもできない、わたしたちの知覚や感覚を超えたものである。本来は名前を与えることさえできない存在だが、それは天地もまだ生じない前からある物としてあり、天地間の万物は、その物、つまり「道」のおかげで生成を遂げ、それぞれ所を得ているのである。
「道」は唯一絶対の存在であることから「一」とも呼ばれ、恍惚としてとらえようのないことから「無」と称し、その働きの霊妙ではかり知れないことから「玄」と名づける。「道」のしわざは、あまねく宇宙に行きわたっているが、作為の痕跡はまったく見えない。
●無為自然の道に徹する
老子の思想の根幹は、無為自然の道に徹することである。そして、その道を徳として日常の中に実現することである。「道は常に為すなくして為さざるなし」というとき、この無為とは「自然に順(したが)う」ことであり、自然とは「もののありのままの姿」であった。すなわち、老子の教えの要点とは、「あらゆる作為を捨てて、ものの自然に帰れ」ということなのだ。そのようにしてこそ、人をも含めた個別存在を、その個性にしたがって生かし、育てることができると考えたのである。その意味で、「ものの自然」とは存在の理(ことわり)のことである。この存在の理からはずれたとき、物も、人間も、本来の生命を失うことになるという。
『老子』の第1章には、「道の道(い)うべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず。名無きは天地の始めにして、名有るは万物の母なり」とある。
老子の説く無為自然の道とは、「万物の母」なのである。そして、あらゆるものを覆い、あらゆるものを載せてやまない天と地の働きでもあった。
無為自然の道の姿は、低く流れてやまない水の流れ、あるいは、あらゆる河川の水を集める深い谷に写し出される。人間においては、無垢な赤ん坊にたとえられた。
老子の思想は、儒家のいう「仁」や「義」や「礼」といったコンセプト、煩雑な法制禁令を排斥し、太古の素朴な世界を理想とする。
人民が争わないようにするには、こざかしい知恵を捨て、便利な道具を作らせないほうがよい。鋭利な武器も作らないほうがよい。戦争が起こらないようにするためである。こうして、太古の素朴に帰れば、世の中は平和になるだろう。
『老子』の第80章には、この平和な理想の国が描かれている。そこでは船も車も不要であり、文字の枝葉もやめてしまう。そして、鶏の鳴く声が聞こえるほど近い隣国へさえ人々は行こうともしない。
この有名な「小国寡民」の理想を説いた章などから、無政府的自然主義と見られることもあるが、老子の思想はその究極において、世俗的・現実的な成功主義とされる。したがって『老子』に出てくる論法には「大巧は拙なるがごとし」や「その身を後にして身先立つ」のように、逆説が多いことで知られる。
●儒家と道
中国の思想には表と裏があるという。表が儒家で、裏が道家である。この表裏が一体となったところに、中国知識人の生活が成立した。一般に、儒家は官界で出世するための思想であり、道家は隠士(いんし)、つまり官界に入れられなかった不遇の知識人によって歓迎されたと見られがちである。しかし、中国哲学史家の森三樹三郎は著書『老子・荘子』において、次のように述べている。
「老荘思想は必ずしも人生の落伍者だけによって支えられてきたわけではない。得意の絶頂にある政治家も、やはり人間である以上、永遠の世界に思いを寄せることがある。人生が有言のものであり、死が何人(なんぴと)にも避け難い運命であるとすれば、その思いはさらに切実にならざるをえない。このような知識人の要求に答えるものが、すなわち老荘思想である。このため中国の知識人のうちには、役所に出たときには儒家となるが、家に帰って寝ころべば道家となるものが少なくなかった。」
面白いことに、老子は儒家の孟子と同じような政治の理想を抱いていた。老子の政治論においては、人民に損害を与えることが少なければ少ないほど良い君主となる。人民同士の間でも争いが起こらないほうがよいのはもちろん、君主は人民と利益を争ってはならないとした。
孔子の後継者である孟子は仁政を説き、古代の土地制度としての井田(せいでん)の法を説いた。真剣に耕地の均分を主張した孟子の理想は老子に通じるものがある。
また、孟子は「浩然の気」について述べているが、ここにも老子の思想との共通点がある。孟子が「万物みな我に備わる」とは、いわゆる万物と一体となった特殊な体験を通して到達した心境告白とされている。戦国時代においては神秘主義的な道家思想が広まり、孟子もその影響下にあったのかもしれない。
さらに、老子と孔子にさえ共通性を見出した人物もいる。森鴎外による伝記文学の名作『澁江抽齊(しぶえちゅうさい)』の中に、抽齊が「老子の道は孔子と異なるに似たれども、その帰する所は一意なり」と述べる場面が出てくる。さらには、「聖人の道と事ごとしく云(い)へども、六経を読破したる上にては、『論語』『老子』の二書にて事たるなり。其の中にも『過ぎたるはなほ及ばざるがごとし』を身行の要として、無為不言を心術の掟(おきて)となす。この二書をさへよく守ればすむ事なり」と述べているのである。
江戸時代には、澁江抽齊のような儒者が多かったという。ここでは「心術」という表現だが、良い思想は何でも参考にするという「ええとこどり」の心学思想が生きていたのだろう。
なお、かのロシアの文豪トルストイも、その晩年には『論語』と『老子』をともに愛読したという。
●老荘と道家と道教
老子の後には荘子が出た。もっとも2人の間には明らかな相違がある。老子が政治的関心から出発して形而上の世界へ入っていったのに対して、荘子は最初から永遠の世界に入ろうとしている。それだけに荘子のほうが、より哲学的であり、宗教的だと言えるだろう。2人が道家思想の巨人として並び称せられるようになったのは、前漢、紀元前139年にできた『淮南子』という百科思想書に「老荘」として初めて登場してからだ。また、魏晋南北朝時代の頃には『易経』『老子』『荘子』がまとめて玄学として学ばれた。
老子と荘子をあわせて「老荘思想」というが、「道家思想」とほぼ同じ意味に用いられている。これは前漢の頃には信頼できる道家の思想書が『老子』と『荘子』くらいしか残っていなかったからだという。
よく間違われるが、老子は道家思想の開祖であっても、道教の開祖ではない。名称が似ているために混同されがちだが、道家と道教は違う。道教は中国の民族宗教で、その歴史は長い。時間をかけて展開された宗教ゆえに、その内容は非常に複雑である。
道教のはじまりについては、いくつかの説がある。道教を道の教えととらえ、「道」の思想を説いた老子にさかのぼる説。古代の共同体社会の再編成期に、地域社会の枠を超えて後漢末期に成立した新興宗教の太平道、五斗米道を起源とする説。そして、宗教教団としての体裁を整え、北魏王朝の公認をえた新天師道までくだる説などである。
森三樹三郎によれば、道教の本質とは新興宗教の性格から脱していない大衆宗教であり、これと道家すなわち老荘思想を混同することは不合理だと述べている。