八大聖人「ブッダ」
八大聖人「ブッダ」
●仏教の開祖
世界宗教である仏教は、ブッダことゴータマ・シッダールタによって開かれた。
仏教はまことに多様な展開をした宗教だが、その基本的性格はブッダによって定められ、継承され、発展して今日におよんでいるのである。
ブッダとは、パーリ語でもサンスクリットでも「めざめた者」を意味するが、北部インド、現在のネパールでシャーキャ族の王子として生まれた。
シャーキャ族の中の聖者(ムニ)だから「シャーキャムニ」と呼ばれ、それが音写されて「釈迦牟尼(しゃかむに)」となった。またバガヴァッドの訳語から「世尊(せそん)」ともいう。「釈迦牟尼」と「世尊」をあわせた「釈迦牟尼世尊」の短縮形から「釈尊」とも呼ばれる。本書では、ブッダと呼びたい。
ブッダは16歳のときに2人の王女と結婚し、一子をもうけた。ラーフラと呼ばれる男子で、後に父なるブッダの弟子となり、十大弟子の一人ともなる人物である。このように父の王宮でなんの憂いもなく恵まれた家庭生活を送っていたが、四度の外出によって人生が一変する。これを「四門出遊」というが、人間を悩ませる避けがたい苦悩、すなわち「生老病死」を知ったのだ。
●ブッダの悟り
人生の目的を発見できずに悩んだブッダは、29歳でついに妻子や両親を捨て、王宮をあとにして、修行の生活に入ってしまう。彼は2人の師から、哲学とヨーガについてそれぞれ教わるが、やがてそのもとを去り、5人の弟子たちとともに山林にこもって6年間の苛酷な苦行に没頭する。
その苦行は「断穀行(だんこくぎょう)」と呼ばれ、一切の穀物を口にせず、水と木の実だけで生命をつなぎつつ一心に座禅に入るものだった。
この断穀行はただの断食でも苦行でもなく、古い経典によれば、ブッダはこの間ひたすら「慈心」を修得していたという。
「慈心」とは、その字の通り、慈悲の心である。自分ひとりの解脱のための修行ではなく、世のすべての人のための修行ゆえに「慈心」というのであり、また仏となる性質である「仏性」を持つ穀類を食べず損なわないこと自体が慈悲の行いであるというのだ。
ブッダがこの6年間の苦行を意味あるものととらえたか、無意味だととらえたかについては意見が分かれている。そのいずれにせよ、その後ブッダは山林を出て、ナイランジャナー河で禁じられた沐浴(もくよく)をし、村の長者の娘であるスジャーターの捧げる乳粥を食べた。
これを意志の弱さの証しとみた弟子たちは憤慨し、彼のもとを去ってしまう。ブッダは菩提樹の下に座し、3721日の座禅によって大悟成道したという。すなわち、悟りを開いたというのである。
死神と悪魔が一体となった「マーラ」と呼ばれる霊的存在が彼を襲ったが、夜明けにはマーラを打ち破り、四つの真理である「四諦(したい)」を得て、めざめた者としての「仏陀(ブッダ)」になった。
そしてブッダは、ヴァーラーナシー(現在のベナレス)において、自分のもとを去ったかつての弟子たちに四諦を説いたのである。
●四つの真理「四諦説」
四つの真理とは何か。
第一の真理は、苦という真理、すなわち「苦諦(くたい)」である。宇宙には一つとして常なるものはないのに、私たちは常ならんと欲して執着し、ここに苦しみが生まれるということだ。
第二の真理は、集まる真理、すなわち「集諦(じったい)」である。すべてのものに不変の実体はなく、原因と条件によって仮の姿を現し、ものとして集合しているということである。
第三の真理は、滅した真理、すなわち「滅諦(めったい)」である。欲望を捨て去ることによって、苦が消滅し、心のやすらぎが訪れるということである。
そして第四の真理は、そこに至るための方法の真理、すなわち「道諦(どうたい)」である。この四つをあわせて、「苦・集・滅・道」の「四諦説」というのである。
仏教の根本教説「四法印」
これに似たものに「四法印(しほういん)」というものがある。「一切皆苦」「諸行無常」「諸方無我」「涅槃寂静」といったよく知られた四つの仏教的コンセプトであり、根底にはブッダの教えの根幹ともいうべき「縁起」の思想がある。
「一切皆苦」とは、人生の正体が「苦」であることに他ならないが、注意するべきは、ここでいう「苦」とは感覚上や心理上の「苦しみ」をいうのではなく、すべてこの世のものは有限であり、相対的であるということだ。
「諸行無常」とは、花はやがて散り、人はやがて死ぬという人生の真実を知ることである。それは、すべてのものは原因(因)と条件(縁)とによってこの世にあらわれる(生起)からである。すなわちこの「因縁生起」を略したものが「縁起」である。縁起こそは、森羅万象すべての性格であり、そこには何ら永続すべき実体性などないのである。これを「諸法無我」という。
この宇宙の理というべきものをわきまえず、欲望に苦しめられるのは「我執」である。我執をなくせば、煩悩の消え去った静かな涅槃境地が得られる。これを「涅槃寂静」という。
以上の四つの教えは「四法印」として、仏教を他の宗教と区別する基本となり、古来から各宗派を超え、仏教の根本教説として尊重されてきた。このうち「一切皆苦」を除いた「三法印」が次第によく用いられるようになった。
●八正道の教え
「四諦説」に戻ると、最後の道諦説は、まさに悟りを得るための方法論である。これを具体的に展開することこそ、ブッダの実践哲学そのものとなる。
まず、苦の消滅にいたるためには「中道」を行くことが求められ、それにはすなわち「八正道」を明らかにすることが必要であるとされた。
八正道とは、正見(正しく見方)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精道(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい観想)をいう。
このうち正定が、ブッダの説いた本来の教説にもっとも近いとされている。
ヴァーラーナシーでの最初の説法の後、改宗者たちはサンガ(僧伽)と呼ばれる仏弟子たちの集団を組織した。
仏教で信仰の対象として敬われる「三宝」とは、すなわち「仏(ブッダ)」・「法(ダルマ)」・「僧(サンガ)」である。
サンガは修行者のみならず、バラモンや国王にいたるまで、ありとあらゆる人々を取り込み、めざましい発展をとげた。ブッダは、尼僧にまで修道生活の道を開いたが、その時すでに、ブッダは法(ダルマ)の衰退を予言していた。
35歳で成道した後、80歳で中インドのクンナガラ村でその生を終えるまで、ブッダは一日も休むことなく教化の旅を続け、多くの人々を導いた。インド全国には及ばなかったけれども、強固な信者層を形成し、世界宗教としての今日の仏教の基礎をつくりあげたのであった。
●大乗仏教と上座仏教
ブッダの死後、仏教は大きく分裂した。紀元100年から250年に新しいスタイルの仏教が発展し、過去の教えよりすぐれた解脱の方法を打ち出したのである。そのためこの新しい仏教は自らを「大乗」と称し、それまでの仏教を「小乗」と呼んだ。ブッダが生前に説いた仏教も小乗仏教と呼ばれたのである。その字のごとく、大乗とは大きな乗り物であり、小乗とは小さな乗り物をさす。乗り物というのは、仏教の教えを、人々をこの迷いの岸から悟りの彼岸に渡してくれる乗り物にたとえた表現である。つまり、小さな乗り物では少数のエリートしか救われないが、大きな乗り物なら万人が救われるというわけだ。
しかし、小乗仏教とは大乗仏教を自称する人々が一方的につけた侮蔑的な表現であり、今日では上座仏教などと呼ばれる。教団内の指導的な長老たちが「上座」に坐ることから命名された。
大乗仏教の教えは、紀元100年頃に登場しはじめた般若経典においてはじめて現れる。
『般若心経』は日本人にもっともなじみのある経典だが、正式には『般若波羅蜜多心経』という。
「般若」といえば能楽の鬼の面を連想する人が多いが、実は「智慧」を意味する古代インド語の「パンニャー」を漢字に音訳したものである。
「波羅蜜多」とは「彼岸に渡る」という意味で、「心」は根本である。
よって、「仏の智慧でもって彼岸に渡る、その根本を教えた経典」というのが『般若心経』の正しい意味となる。この「仏の智慧で彼岸に渡る」ということこそ、大乗仏教の真髄である。
そこでは「中道」や「空」が強調されたが、もともとこの二つのコンセプトはブッダ自らが示した考え方であり、大乗とか上座とかを超えた仏教の根幹となる思想と言ってよい。
「中道」は孔子やアリストテレスが説いた「中庸」にも通じる考えで、「極端なことをしない」といった意味である。「いい加減」と表現してもよい。また「空」は「からっぽ」とか「無」ということではなく、平たく言えば、「こだわるな」という意味である。
よく「空」と「無」は混同される。中国でも老荘思想における「無」と「空」は同じ意味だとされ、老子がインドに言ってブッダとなったという説まで唱えられた。しかし、無というのは有に対立する概念であるのに対し、空は有無を超越した概念である。
すなわち、空は有でもなければ無でもなく、同時に有であり無でもある。また、有と無以外のものでもある。形式論理学から見ればまったくありえないこの「空」の論理こそ、仏教の最重要論理なのである。