八大聖人「モーセ」
八大聖人「モーセ」
●『旧約聖書』の最重要人物
人類の歴史においてユダヤ人の存在はとても大きい。近代に限っても、カール・マルクス、ジークムント・フロイト、アルベルト・アインシュタインと、人類史のターニング・ポイントには常にユダヤ人がいた。また、ロスチャイルドやロックフェラーなどのユダヤ人財閥は世界経済を動かしてきた実績を持つ。
歴史上、ユダヤ人は差別され、迫害され続けた。その最も悲惨な出来事が、第二次世界大戦時のナチスによるホロコーストである。アドルフ・ヒトラー率いるナチスは、ユダヤ人のジェノサイド(皆殺し計画)を実行に移し、アウシュビッツなどの強制収容所へ送ってユダヤ人を殲滅しようとしたのである。犠牲者の総数は、約600万人にのぼった。
ユダヤ人の民族宗教がユダヤ教で、信者数は約1500万人である。しかし、世界における総信者数で一位、二位となっているキリスト教とイスラム教は、ともにユダヤ教から分かれた宗教である。つまり、この三つの宗教の源は一つだ。ヤハウエとかアッラーとか呼び名は違っても、三つとも人格を持つ唯一神を崇拝する「一神教」であり、啓典を持つ「啓典宗教」である。
啓典とは、絶対なる教えが書かれた最高教典のことである。おおざっぱに言えば、ユダヤ教は『旧約聖書』、キリスト教は『新約聖書』、イスラム教は『コーラン』を教典とする。
モーセはその『旧約聖書』の中の最重要人物である。『旧約聖書』『新約聖書』『コーラン』を貫く真の主人公とはヤハウェ=ゴッド=アッラーだが、人間界における主役とは、モーセ、イエス、ムハンマドの3人である。
●モーセが生まれるまで
ユダヤ民族に由来するユダヤ教は、イスラエルの宗教、神に選ばれた民衆の宗教である。ユダヤ民族が歴史に登場したのは、紀元前2000年以後のこと。彼らの一部は、前3000年紀の終わりにメソポタミアに定着するアモリ人、すなわち「西方人」の子孫である。
『旧約聖書』によれば、ユダヤ人の太祖、つまり初代族長はアブラハムとなっている。アブラムが神ヤハウェと出会って、アブラハムとなったのだ。ヤハウェの呼びかけに応じたアブラハムは、紀元前1760年頃、ウルから西へ向かい、ヨルダンと地中海の間にあるカナンに到着した。その後、カナンの中心都市として栄えていたシケムに祭壇を築いて家族と一緒に生活を始め、ヘブライ語を取り入れたという。
このカナンの地こそ、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地、すなわちイスラエルなのである。アブラハムの子孫であるユダヤ人が、後に祖国を追われ、以後ずっと迫害を受けて流浪しながらも常に願い続けてきたのはイスラエルへの帰還だった。
アブラハムとその一族は、その後、イスラエル南部のネゲブに移り、独特の信仰を持つようになる。それは、他の部族集団とは全く異なり、偶像崇拝を否定して唯一の神を信奉するものであった。ユダヤ教の原点である。
宗教以外の法慣習に関しては、メソポタミアのそれとほとんど同じであったが、礼拝法に大きな特徴があった。族長が動物の供犠を行ない、一族が神に祈りを捧げるのである。
やがて、ネゲブは飢饉となり、アブラハムの孫ヤコブとその一族はエジプトへと逃れた。
アブラハムの曾孫のヨセフは一時、エジプト王ファラオの大臣になり、氏族全員をエジプトへ連れてきた。その子孫は約400年にわたって奴隷にされ、ピラミッドなどの土木工事を行なったという。
●モーセの生涯
紀元前1300年頃、モーセは重労働に苦しむヘブル人(後のイスラエル人)の子として生まれた。ファラオがヘブル人の男児は殺すように命令していたため、モーセの母親は赤子を葦の箱に隠し、ナイル川に流したという。わが子の運命を神に委ねたわけだ。これを見つけたファラオの娘によって拾われ、モーセは王宮で育てられることになる。
あるとき、エジプト人がヘブル人を打ち殺すという出来事があった。これを見たモーセは憤慨し、そのエジプト人の男を殺して荒野に逃亡する。そこで身を寄せたミデアン人の祭司エテロの娘と結婚する。その後、モーセはエテロの羊を飼って過ごしていたが、あるとき、シナイの荒野を放牧中に神から呼び出される。そして、この神は先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちヤハウェであることを知る。
ヤハウェは「燃える芝」の姿で現れ、エジプトに戻って苦しむ同胞を救い出せという命令をモーセに下した。モーセはこの重い任務をできるだけ断ろうとするが、ヤハウェは許さなかった。彼はついに神の命令に従ってエジプトに戻り、へブル人の民族意識を目覚めさせ、祖国に帰るよう彼らを説得した。
また、モーセはファラオの前に立ってヘブル人を解放しようとするよう要求し、10回におよぶ災害を下してついに王を屈服させたのである。彼らは何千人という集団をなして、前1260年頃、モーセに率いられてそこを脱出した。これを「出エジプト」という。
途中、海を二分するという奇跡によって紅海を渡り、モーセは彼らをシナイ山のふもとに連れて行った。その後、山上で、ヤハウェはモーセの仲介によりイスラエルの民と契約し、その律法である「十戒」を与えたのだ。
しかし、その後、約束の地カナンに至るまでの荒野の旅は苦難をきわめた。モーセとイスラエルの民たちはパレスチナに入ろうとしたが、押し戻されて、40年間砂漠でさまようはめになったのである。モーセは彼らの反乱を抑えるために大変苦労したという。そして、オアシスに居を定めていたイスラエルの民は、37年後に再び歩みを開始して、ようやくヨルダン渓谷にまで行き着いた。そのとき、すでに120歳になっていたモーセは、死ぬ前に「約束の地」をじっと遠くから眺めることができただけだった。
●モーセの十戒
モーセといえば、映画のタイトルにもなった「十戒」を連想する人は多い。
紀元前1250年頃、シナイ山の麓にあるイスラエル人たちの天幕の周囲は、突然、凄まじい雷鳴に包まれた。神が山頂から降臨してきたのである。恐怖するイスラエルの民の前で、神は次のような十戒を授けた。
1、唯一全能の神である私以外のどんなものも神としてはならない。
2、偶像を作って神としてはならない。
3、神の名をみだりに唱えてはならない。
4、週の七日目は安息日とし、これを聖別せよ。
5、父母を敬うこと。
6、殺してはならない。
7、姦淫をしてはならない。
8、盗んではならない。
9、偽証をしてはならない。
10、隣人の家や妻、奴隷、家畜など、いっさいの所有物をむさぼってはならない。
十戒は、神と人間との関係についての第一戒から第四戒までと、人間とその隣人との関係についての第五戒から第十戒までといったように、いわば二部構成で成り立っている。つまり、神と民との生ける愛と信頼の組み合わさったものとして表現されているところに、十戒の特色がある。
イエスは、律法を一言で要約すれば「神を愛することと、自分を愛するように隣人を愛することだ」と述べたが、彼はこの十戒の要点にふれたわけである。そして、山上で人類にメッセージを与えるという点においても、イエスによる「山上の垂訓」とは、モーセの「十戒」のリニューアルなのだ。
●モーセは預言者たちの原像
モーセは、ユダヤ教における最重要人物であると述べた。それは、彼がイスラエルの先祖たちをエジプトから救い出す使命を持っていただけでなく、神と彼らとの契約、すなわちシナイ契約を行ない、彼らに宗教的覚醒を促したからである。
「イスラエル」とは「神の支配」という意味だ。エジプトから脱出した人々は、まだイスラエル民族になっていない。あくまで、イスラエルの先祖である。しかし、出エジプトを経験して、ヘブル人たちが十戒による神との誓約をすることによって、イスラエルが成立したのである。そして、彼らは同じ信仰の者同士としか結婚しないため、イスラエル民族、すなわちユダヤ人が起こってきたのである。だから、モーセこそはユダヤ教の真の創始者なのだ。
また、モーセは後の世に現われるイエスやムハンマドなどの偉大な預言者たちの原像でもある。キリスト教の教典である『新約聖書』は、『旧約』の根本であるユダヤの律法に新解釈を加えて枝分かれしたものだ。また、イスラム教の開祖ムハンマドは、アブラハムとエジプト人の妻との間に生まれたイシュマエルの子孫である。イスラムがアブラハムを宗祖とするのはそのためだが、このことは『旧約聖書』において、アブラハムに始まりモーセで完結する神との契約の過程が、実はイスラムの世界にも基調低音として色濃く流れていることを意味する。つまり、アブラハムからモーセに至るユダヤの太いラインこそが、ユダヤ・キリスト・イスラムの三大宗教の根幹の役割を果たしているのだ。
●「モーセ五書」とは何か
ユダヤ教の聖典といえば『旧約聖書』がすぐに思い浮かぶが、実はユダヤ教にはこうした「旧約」という呼び方は存在しない。それはあくまでも、「新約」つまり神との新しい契約という概念を持ったキリスト教側に分類にすぎないからである。
また、一般の日本人は、『旧約聖書』が一冊の本であると考えていることが多い。しかし、教派によって若干の差があるものの、実際には、39もの異なった書物の複合体であり、そして本来、そのひとつひとつが章としてではなく、独立した本(ブック)として存在しているのである。そうした書物群は、宗教書というより歴史書、あるいは契約書といった内容である。
ユダヤ教は、いわゆる『旧約聖書』を「トーラー(律法)」「ネイビーム(預言者)」「ケトゥビーム(諸書)」の三つの基本的な部分に分類している。略してそれを「TNK(タナハ)」という。すなわち本来の意味でのトーラーである「モーセ五書」と「預言者」、そして他の文書とである。この三つが集まって、いわゆる『旧約聖書』となる。「モーセ五書」の最古の部分は前10世紀に遡るが、ケトゥビームの最も新しい部分は前2世紀より遡ることはない。
「モーセ五書」は、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」から成る。「天地創造」や「十戒」などのハリウッド大作のスペクタル・シーンでよく知られているように、「アダムとイヴ」「カインとアベル」「ノアの箱舟」「バベルの塔」「エジプト脱出」「モーセの十戒」をはじめとしてスリリングな場面が次から次に展開する文学作品でもある。
ユダヤ人は、「モーセ五書」すなわち古い律法であるトーラーをそれぞれの時代に適用するにあたって解釈や注釈を加えてきた。これらは久しく口伝されてきたが、紀元の境をはさんだ数十年間に、ユダヤ教の教師であるラビたちがこれらの伝承を編集した。これが「ミシュナ」である。ミシュナは「繰り返す」が語源だが、一般には「教え」といった意味である。